第10話 あざとヒロインが地味ヒーローを好きな理由。

「なんでそんなこと聞くの?」


 驚きと動揺を混ぜたような、複雑な表情をした彼女を見てすぐに自分が失言したのだと気づいた。なにやってんだ俺、ちょうどいい距離感を慎重に保つようにするのが得意なんだろ。


 踏み込みすぎず、けれども冷たすぎない距離。


 それは、自分が透明人間であるかのように、誰にも迷惑をかけず、誰からも余計な関心を持たれないでいるために保ってきたもののはずなのに何やってるんだ。


 ていうかこういうのって、勝手に他人が踏み入るものではないのはわかってるだろ。それなのに今俺は彼女の心に土足で入ろうとした。


 弁えろよ。誰もお前なんて興味ないんだよ。


 自己嫌悪に陥りながらも、今更口に出した言葉を引っ込めることもできない。

 可愛川さんの動揺がはっきりと見て取れる。彼女の震える手元に目をやりながら、俺はどうにかしてこの場を取り繕おうと頭を巡らせる。


「いや、その…なんとなく気になっただけで、深い意味はないんだ。ごめん、変なこと聞いて」


 なんとか自然なトーンで言い訳を試みるが、可愛川さんの顔にはまだ緊張が残っている。さっきまでの柔らかい雰囲気はすっかり消え、どこか居心地の悪い空気が漂っていた。


「それでさぁ」


 他の客の談笑する声が聞こえてきて、ドリンクバーの前で固まっている俺たちを横切った。ドリンクバーの機械でジュースを入れてる男に俺たちのことが視界に入っていないのだろう、特にこちらに視線を向けることもなくコップを注いでいる。


 それと同時に可愛川さんは一度深く息を吐いて緊張の糸を解き、少し硬い笑顔を浮かべた。


「部屋、戻ろっか。多分みんな待ってるよ」


「あっ…うん」


 うなずいた俺に優しく笑みを浮かべた彼女は先導するように、他の客の間をすり抜けながらドリンクバーから離れていく。

 結局俺は何も言えず、可愛川さんの後ろをついていくことしかできなかった。


「匠くん」


 ドリンクバーから少し離れたところで、前を歩いていた可愛川さんが立ち止まり俺の名前を呼ぶ。その声色は先ほどより少し優しく柔らかい。


「どうしたの、可愛川さん」


「私がね吉田くん好きなのは…私と違って自分を偽らないからかな。初めて同じグループ班になった時ね、みんな適当に課題をこなそうとしてる中、吉田くんだけ自分の意見をしっかり言ったの。陽キャだからとか陰キャだからとか関係なく態度なんて絶対変えずにボーンと自分の意見を言っちゃうの。


そんな吉田くんが急に……キラキラして見えたんだ」


 可愛川さんの声は、どこか羨望を帯びていた。

 視線は、少し遠くを見つめているようで、まるで吉田くんのその特性を思い浮かべているかのような彼女は少し笑みを浮かべる。


「気づいたらずっと目を追ってた。吉田くんって無表情に見えて結構可愛いところあるんだよ、いつも寝癖がついてたり、好きな食べ物は卵でお昼はいつも購買の温泉卵を買ってたり。意外と真面目そうに見えてお馬鹿さんだったり、あっ今のは吉田くんにはないしょね」


 ぺろっと舌を出し、可愛川さんはクスッと笑う。


「私と全然違う。周りの望む自分をずっと演じてきて、気づいたら自分の気持ちを押し殺してしまう私とも違うし他の人に流されちゃう自分とも違う。自分がどう思うかを大事にしてる吉田くんが眩しかったんだ、本当に」


 いつものおちゃらけた様子は全くなく、自分の本音をさらけ出し話しているように彼女の言葉一つ一つには熱がこもっていた。

 彼女の言葉には、ただただ吉田くんへの尊敬と、自分自身に対する少しの劣等感が混じっていた。それでも、そんな彼女の思いは純粋で、揺るぎないものだった。


「なーんちゃって!はい話は終わり終わり。まじになってほんとはる馬鹿みたいだなぁ、やっぱり恋は人を馬鹿にするってほんとだね。あはは」


 そう言って可愛川さんは照れを隠すように、おちゃらけて笑い飛ばす。


 まただ、可愛川さんは俺にフィルター越しの自分を見せてくる。俺だけじゃない、みんなにだ。一瞬本当の本音に触れたと思った瞬間、いつの間にか仮面をつけている。そんな感じ。


 でもそれは俺も人に言えない。俺も自分をフィルター越しにしか見せられない、俺は普段無意識に作っている顔を崩してしまうのが怖いのだ。


「可愛川さん」


「はーい。どした?」


「ジュース両手に持って重いからさ、オレンジジュースの方持ってくれない?」


 はい、と可愛川さんの前にオレンジジュースの入ったコップを差し出す。彼女は片手で受け取るが、コテンと頭を横に倒した。


「ついでに吉田くんにジュースを届けてきてくれないかな」


「え、なんで?別にいいけど自分でそれくらいでき…」


 そこで可愛川さんは気づく、俺がなぜジュースを渡したのかを。


「ジュースを渡すって形なら、話しかける始まりとしても自然でしょ?」


 そして俺はニッと笑う。

 笑顔は仮面じゃない、素直な感情の表し方だ。

 その意味を俺はずっと知らなかった。でも俺は、可愛川さんの人には見せない一瞬のその素を見て俺もなんでかわからないが心から笑ってみようと思えた。


「だねっ」


 彼女は一度その大きな目で俺を数秒見た後、ニカッと悪戯っぽく歯を見せて笑う。


 俺はきっとずるい。


 多分この手助けも自己満に過ぎない。彼女の恋が実って、吉田くんとの距離が縮まったら、俺はまたいつも通り適度な距離を取ればいい。

 だから今だけこの世に存在したい。

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