第8話 鮎川真夏という全人類を照らす恵の陽キャ。

「可愛川さん歌わないの?」


「歌えるわけないじゃん……」


 背筋をピンと伸ばしソファにほとんど座っていない可愛川さんが、メロンジュースをストローで吸いながら不機嫌な声で呟く。

 暗がりの中、カラオケのスクリーンに映る色とりどりの映像が彼女の顔に微妙な陰影を作り出していた。現在は秋元さんが90年代メドレーを熱唱中だ。


 俺の左隣には吉田くんが、そして俺の右隣には可愛川さんが座るという板挟みにあいながらも、緊張を感じさせないため俺はソファに深く腰掛けて身を沈ませている。

気まずい。


 普段元気な可愛川さんが先ほどから一言も発せず、メロンジュースをひたすら吸い続ける機械と化しているのに対し、普段は目立たない秋元さんがノリノリで人前で歌っているというこの逆転自体がもうすでにカオスと言っても過言ではない。


 先ほどまで坂本が懲りずに、可愛川さんにちょっかいかけたり声をかけたりしていたがあまりにも無反応で、ついには坂本の方が可愛川さんに見切りをつけ一条の隣でタンバリン係になるという始末だ。


「席かわろうか?吉田くんの隣、譲るよ」


「そんなことしたら死ぬよ、私?」


 ギロりと俺を睨みつける彼女の目は、ようやく彼女から浴びせられる悪意に慣れたはずの俺がちびりそうな鋭さを秘めていた。


「匠くんさぁ、なんではるここに来てしまったんだろう」


「鮎川さんを男子から守るためじゃなかったけ?」


「その肝心のなつなつがさぁ…なんで来てないんだよっ!!」


 空になったコップをテーブルに叩きつけた彼女は、機嫌の悪さを隠す気がなくなったのか恨めしそうな目でテーブルの一点を見つめている。


 学校から直でカラオケに来た俺たちと違って、鮎川さんは一旦水泳部の方に寄るとの事で、カラオケには遅れて合流する手筈になっていたのだが、未だにその気配はない。


「落ち着いて可愛川さん、吉田くんの前だよ」


「はっ!」


 吉田くんがいることを思い出したのか、可愛川さんは慌てて両手で口を塞ぐ。

 幸いマラカスを激しく降ることに集中していた吉田くんは秋元さんの方に釘付けで、俺たちの会話は聞いていなかったようで安堵する。


 可愛川さんと吉田くんの距離はわずか40cmほど、先ほど可愛川さんが「1メートル近くにいけない」とか言ってたが、案外慣れるものなのか今は特に照れた様子もなく吉田くんをじっと真顔で見ている。


 一方の吉田くんも可愛川さんの視線に気づかず、秋元さんの歌に夢中だ。


 こりゃ結構恋愛に進展するまで時間がかかりそうだな、と思いながら注文用タブレットに視線を落とす。


 ちなみに俺も可愛川さん同様、今回カラオケで何かを歌うつもりはない。

 理由はもちろん、誰も俺に興味なんて持たないだろうし、わざわざ注目を浴びるような真似をする気にもなれないからだ。


 俺はただ、この場の空気を読むだけの透明な存在でいい。


 誰かが歌い終わるたびに次の曲を入れたり、飲み物を追加したり、そんな雑務に徹しているのが一番楽だ。


「吉田くんかっこいいな…近くで見ると結構まつ毛長いし、意外と目も大きいんだ……それに案外喉仏あるんだ……見てるだけで目がよくなる」


「そうことは心の中で言ってくれ」


 俺の隣で、吉田くんの一挙手一投足を見逃すまいといった様子で観察している彼女はもはや恋する乙女というよりかは変質者に近い。

 夢心地で呟く彼女の声はどこか遠くに感じ、俺は相槌をうつのも諦める。


「お待たせ〜!!遅れちゃってごめんごめんっ」


 突然部屋の扉が開くと、快活な声とともに鮎川さんが部屋に入ってくる。そのテンションの高さに、反射的に俺や秋元さん、吉田くんはバツの悪そうな苦笑いで返すが可愛川さんは目を輝かせて立ち上がり、彼女の元に駆けていく。


「なつなつ遅いよ、めっちゃ待ったんだからねっ!!」


「ごめんって。あっ、ハルキのドリンク飲んでいい?外暑くてさぁ」


 颯爽と吉田くんの真向かいの席、一条と坂本の間に座るや否や、勢いよくジュースを飲み干す。可愛らしく喉を鳴らしながら、ドリンクを飲む彼女は一つ一つの仕草が豪快だ。


「お前さ、俺の飲むなら最初からドリンクバーでついでこいよ」


「悪い悪い。でも部屋どこかわかんなくて迷っちゃったよ、ここクーラーきいてるねぇ」


「クーラの温度下げようか?」


「ああいいよいいよ、ありがとう坂本」


 豪快だが一瞬にし雰囲気を明るくする彼女の華やかな笑顔と容姿は、周囲の空気も軽くする。それは天性の才能だろう。


 先ほどまでは秋元さんだけが楽しく歌い、それ以外はお通夜か?というくらい静まり返っていたが、鮎川さんが来たことで一条と坂本の会話が自然と生まれ室内全体に 騒々しさを感じるほどに空気が一気に変わった。


 これもまた可愛川さんとは別の華やかさと言える。

 可愛川さんはその容姿、計算されたあざとさ、そして完璧な佇まいなどの数えきれない魅力で、周りの人が自然と彼女を中心に輝かせようとする、それが彼女の華やかさ。


 自分自身を輝かせるのとは対照的に、鮎川さんは自分の明るさで周りを照らし出し、皆を巻き込んでその場全体、周囲を輝かせる華やかさ。

 どちらも場を明るくし、華やかにする力を持っているが、その輝き方は対照的で、だからこそ一緒にいると絶妙なバランスを生み出している。だからこそ二人は仲がいいのだろうなと思った。


「あっ、えっと秋元さんだっけ?隣のクラスの鮎川真夏です。ごめんね途中で入ってきて、もう今度はめちゃくちゃ静かにするか盛り上げちゃうから」


「そ、そ、そ、そうですか」


「なに秋元さん緊張してるの?かわいいなぁ、なに歌ってたの?てか距離感難しいから秋元さん呼びやめていい?下の名前なんだっけ?」


 鮎川さんが入ってきたことで歌うのを中断し呆然としていた秋元さんだったが、急に鮎川さんに声をかけられ、その勢いとグイグイ来る感じに気圧され、たじたじになっている。


「陽キャだぁ……」


 マイクを握りながら先ほどまで大声で歌っていた秋元さんが、子犬のようにプルプル震えて弱々しくか細い声で萎縮する。


「陽キャとか秋元ちゃんマジおもろい。仲良くしようぜ、秋元ちゃん」


「はいぃ…」


 完全に怯えている秋元さんに、満面の笑みで肩を組みに行く鮎川さん、知らない人が見たらカツアゲの瞬間と思っても仕方がない。


「あっ、そういえば私もう一人女子の友達呼んだけどいい?」


「勝手にどんどん追加されるな」


「いいじゃん。ハルキもいっぱい人呼んでるんだし、今その子トイレだから多分後で来るよ」


 一条の頬を人差し指でグリグリと押しながら、まるで我が家のように振る舞う鮎川さんは本当に行動の展開が読めない。一条はというと、その行為に少し照れながらもまんざらでもない様子でされるがままになっている。


 この二人はきっと、お互いに気を遣わなくていいからこその距離感なのだろうなと思った。


「さぁて曲入れるかぁ、あっはるはる次一緒に歌おうよ」


「あーうん。今からドリンクバー行くから空になったジュース入れたらね。はるの代わりに一条くんと歌ったら?」


「一条?うーん、まあいっか。一緒歌おうぜ」


「げ、マジか」


 肩を組んでくる鮎川さんに、苦笑いを浮かべる一条が目に入る。微笑ましい二人だな。鮎川さんが一条に腹パンをして、二人が仲良さそうにしている様子を見ながら、俺はふと隣を見る。可愛川さんがいない。


 彼女が座っていた席には、空のジュースのコップだけがなくなっている。どうやら、いつの間にかドリンクバーに行ったらしい。


 俺も自分の空になったコップを見つめ、手に取る。

 せっかくだし俺もドリンクバー行ってジュース補充するか。

 隣を見ると吉田くんのコップも空だった。


「吉田くん、ジュース補充してこようか?」


「え?あーじゃあお願いしようかな。飲み物はなんでもいいから」


「了解」


 俺は吉田くんから空のコップを受け取り、部屋を出た。ドアが閉まると、歌声と笑い声が少しずつ遠のき、廊下の静寂が耳に染み渡る。


 静かだ、落ち着く。


 そのまま廊下をでて右にあるドリンクバーの機械がある場所まで歩く。俺を一瞬一瞥してそのまま部屋に入る人、ジュースを抱えて楽しそうに談笑する人たち、ただすれ違い俺もその人たち同様彼らの存在を無視する。


 機械が静かに動作音を立て、ジュースが冷たく注がれる音が聞こえる。可愛川さんの姿を探すと、彼女は少し離れたところで新しいコップを取り出していた。

 特に話しかけることもなく自分のコップをセットしボタンを押すと、ガランゴロンと氷が勢いよく落ちてくる音が聞こえた。


「ストーカーですか?」

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