あざと女子可愛川はるは接近したい。

第2話 美少女とは1%のあざとさと99%の努力である。

 ランチバックについているストラップをジャラジャラと鳴らしながら、俺は弓道場を探す。

 渡り廊下を歩けば、吹奏楽部の演奏が三階の窓から微かに聞こえた。日差しの強い廊下にはほどよい風の影など一切なく、歩くだけで額からは汗がにじむ。

 こんなクソ暑いしかも昼休みの中、部活をする人間の気持ちが俺は一切わからない。そしてわかるつもりはない。

 

 この学校は部活動に何故かかなり力を入れており、運動系の部活や文科系の文化部合わせて十以上の部活がある。


 確かに文武両道と謳っているだけあり、運動部も地区大会から全国大会まで行っている。だからなのかはわからないが、どの部活も週に一度か二度ほど昼休みにも部活動に参加しないといけないらしい。


 ただこのクソ暑い中、外で部活動をやらされる生徒たちははかわいそうだなと心から思う。幸い俺は帰宅部貴族なので、俺の知ったことではないが。


「えっと…弓道場は、ここか」


 南校舎横の中庭に弓道場はあるためか初めて来たのにすぐに見つけることができた。


「結構騒がしいもんなんだな」


 弓道場というものはいつも静かな凛としたイメージがあったのだが、予想に反してその外からも分かるほどの賑やかさに少し戸惑う。

 俺は閉まっている入り口の扉を少し開け、中を覗く。そこでは十人ほどの部活動生徒たちが道着姿で弓を構えて、一人一人弓を引こうとしているところだった。


「おっ、一年生が何してんの?」


 弓道場の中を見つめていた俺に、一人の男子生徒が気づいて声をかけてきた。


「可愛川さんに弁当を届けに来たんですけど……渡しといてくれませんか?」


「可愛川?どうせなら直接渡しなよ。てか中入りな?外暑いっしょ」


「…え?あぁ、じゃあお言葉に甘えて」


 本当はさっさと済ませたいのだが……引き受けた以上弁当はしっかりと届けないといけない。腹を括るか。

 俺は先輩に言われるがまま、扉に手をかけて弓道場へと足を踏み入れた。


 パシッと矢が的に当たる音や、部員たちの話し声などが途端に聞こえ始め、それとともに外の気温とは比べ物にならないくらい暑い空気がムワッと顔を撫でる。

 袴姿の生徒たちは俺が入って来たことに気づきながらも、興味なさそうに自分の弓の点検や練習を続けていた。


「可愛川とはどういう関係?」


「ただのクラスメイトっすよ」


「そっかぁ。じゃあ見といたほうがいいよ」


 一人が弓を引き、次を待つように生徒たちは弓の用意をし待機する。


 そしてその中に、一際目を惹く存在がいた。


 彼女の立ち姿は、他の生徒とは明らかに一線を画した雰囲気で、その凛とした佇まいから目が離せなかった。

 普段は長い髪を二つに結っている彼女の髪は、後に一つ結ばれていた。

 その毛先から滴り落ちる汗の雫が、俺の視線を釘付けにする。


「彼女は一年の中でも期待のエースだから」


 可愛川さんはゆっくりと矢を弦に乗せ、ゆっくりと引いていきその美しい顔を歪ませて矢を放つ。


 その一射は、正確で美しく澄み切っていた。


 ピンと張り詰めた緊張感が離れたこの距離でもわかるほど、弓道というものを知らずとも美しいと思える一射だった。

 放たれた矢はゆっくりと弧を描き白線へと向かい……そして中心に命中した。


「な?すげぇだろ」

「はい…」


 俺は思わず小さく拍手をしてしまった。

 可愛川さんは、矢が的の中心に命中したのにも関わらずその表情に喜びはなく、まるで当たり前とでも言うかのような無表情で的を見つめているように見えたが……彼女は小さくガッツポーズをしていた。

 でへへ、可愛い。素直にそう思った。


「で?弁当渡すんだっけ。可愛川ぁ」


 一緒に見ていた先輩が、的から視線を逸らさずにいた可愛川さんの名前を叫んだ。その声に彼女は反応すると、驚いたように俺のことをその丸い目でとらえる。

 そして次には驚いたような表情へと変わり、先ほどのようにパァっと表情を明るくして先輩たちに軽く頭を下げると、足早にこちらへと駆け寄ってきた。

でへへ、可愛い。


「匠くんどうしたの?まさか弓道場に来るとか思ってなかったよ〜」


 そうはにかむ彼女の首元に、汗の雫がつたる。

 長いまつ毛から覗いた大きく綺麗な瞳はキラキラとして、色白の肌は暑さで少し赤らんでいるのが、またなんとも可愛らしい。


 彼女、可愛川はるは仲がいい生徒も仲がそこまでよくない生徒も、全ての生徒を下の名前で呼ぶ。

 ふわふわとした雰囲気の人畜無害そうな雰囲気の彼女は、ゆるく巻かれた髪をふわっとなびかせて守ってあげなきゃオーラを存分に出しながら首を傾げる。

 でへへ、可愛い。いや、あざとい。意図的にこの雰囲気を出してないのなら、天性。出してるのなら天才といってしまうくらいあざとい。


「じゃあ後は一年生同士で仲良く話して。次、俺の番だからさ」


 先ほどまで優しくしてくれていた先輩が、気のいい笑顔で俺を可愛川さんに押し付けて去っていった。いい人だった、俺はああいう先輩になりたい。


「ふたりっきりだね」


 感傷に浸っていた俺に突然そう呟いた可愛川さんに、俺は何とも言えない表情で彼女を見つめる。なぁに言ってんだぁ、この人は?


「いや他の部活生がいるんだから二人っきりでは」


「なんとなくだよ、なんとなくっ!えへへ」


 そう言って笑う彼女の笑顔は、無邪気で穢れを知らないように見える。

 その笑い方も計算してやってるのか天然なのか……見た目も美少女ではあるのだが、やはりこのあざとさがどこか小悪魔めいている気がするのは俺の気の所為だと思いたい。彼女は長いまつ毛をぱちくりさせながら俺を見つめると、何かに気づいたようにハッとした表情へと変わり、そしてまたにんまりと笑った。


「もしかして照れてる?」


「て、照れてないよ。俺は用事があってきただけで」


「あっそうだったんだ。わざわざどうして会いにきてくれたの?」


「いやさ、鮎川さんから可愛川さんが弁当忘れたっぽいから届けてこいって頼まれて」


「弁当?」


 その俺の一言で、可愛川さんのその無邪気な笑みがピシッと固まる。空気がなんだか重くなったように感じるのは俺の勘違いだろうか。


「べべべべべべべべ…弁当?」


 いや絶対に勘違いじゃない。

 彼女はニコリと微笑みながら、しかし体全身から滲み出ている怒りと威嚇のオーラは俺に向けられてるのは火を見るよりも明らかだった。


「あ、あれぇ?はる弁当忘れた覚えないんだけどなぁ。ど、どどどどどこからその弁当を?」


「吉田くんの机の上に間違って置かれてたからって、言ってたよ」


「ぐふっ!」


 可愛川さんは表情を崩さずに、その口から絞り出されたような声は彼女に似合わず存外汚いもので、彼女はそのまま膝から崩れ落ちた。


 いやどうした可愛川さん!?そんな一瞬で崩れ落ちるほどの何かを俺は今言ってしまったか!?


 可愛川さんはそのまま四つん這いで俺の足元まで来ると、俺の足をガシッと掴んで上目遣いで俺を見上げた。


「そ、その吉田くんはどういう反応をしてた?」


「迷惑そうだったよ」


「ぐへっ!」


 可愛川さんは胸を抑えて、そして悶えるように体をくねらせる。

 その場にいた他の部活動生たちも、可愛川さんの奇妙な動きにドン引きしている。

 何があったか知らんがやめるんだ!!ていうかこのまま帰りたい……。


「まあとりあえず弁当は渡すから」


「うん……」


「ごめんね、吉田くんじゃなくて俺が来て。それじゃあ」


「ちょっと待った」


 弁当を受け取ってなおうずくまって悶えていた可愛川さんは、そそくさとその場を立ち去ろうとする俺の脚にガシッとしがみついた。


「それどう意味?」


「な、なんのこと?」


「吉田くんじゃなくて俺って……」


 さっきのあざといふんわり系女子はどこへやら、表情の変化をさせずにここまで人を恐怖に陥れるのはもはや才能である。


 今にも殺されるのではないかとさえ思えてくるその怒りオーラを全身から迸らせる可愛川さんに俺は思わず後ずさりをするが、彼女はそんな俺に対して一歩ずつゆっくりと近づいてくると、俺のシャツの胸あたりをギュッと掴んできた。


「どういう意味ぃ?」


 息がかかるほどの至近距離で、可愛川さんは恐怖が滲む笑みを俺に向けてきた。

 その可愛らしい見た目に反して放たれる恐怖とプレッシャーに俺の体中から嫌な汗が吹き出した。


 これはもう逃れられないと思い俺は肩を落とす。


 言い訳をしようにも全く思いつかないし、思いつくはずもない。


「てっきり俺可愛川さんが吉田くんのこと好きなのかなって」


「はぁ!?そ、そんなことないよ〜匠くんはなにを言ってるのかなぁ。わ、わわわ私がよ、よよ、吉田くんのことを好きなんて」


 ボロですぎだろ、さすがに。可愛川さんの顔はもう熟れたトマトのように真っ赤っかであり、恥ずかしさのあまりか体をフラフラとさせていた。


「俺このこと言わないから。じゃあそれじゃあ」


「ちょっと待ていぃぃ!」


 もはやキャラがブレまくっている可愛川さんだが、まだ追及の手が緩むことはない。俺はシャツを掴まれ引っ張られたことにより体勢を崩しかけた。

 掴まれた俺のシャツを強引に引き寄せ、彼女は下から見上げるように睨んでくる。


「匠くん、一緒にはるとお弁当食べない?」


「……はい?」


「一緒にいろいろお話ししたいし、前から匠くんと仲良くなりたいと思ってたんだよね」


「いや、でも俺友達と」


「食べるよねぇ?」


いや、その笑顔は怖いっす。

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