第1話 卑屈な透明人間、中谷くん
誰だって友達が欲しいわけじゃない。
多くの人に囲まれて、毎日誰かと一緒に昼飯を食べたり、週末に彼女や友達と映画を観に行ったりするような生活が、必ずしも幸せだとは思わない。
むしろ、そうした喧騒の中に自分を見失いがちになることが怖い。
そういう人もいるはずだ。そして俺もそういう人の一人だ。
これだけ話を聞くと陰キャの僻み?とかぼっちの嫉妬と思うかもしれない。
しかしそれは間違いだ。どちらかというと俺は友達は多い、多分だがクラスの中でも友達の多さでいうとダントツで俺が一番だろう。
……違うな。言いかえよう。
友達ではない、知り合いが多いのだ。
学校の廊下を歩けば、あちらこちらから「おー、元気か?」なんて声がかかる。
教室に入れば、隣の席の奴が「昨日のテレビ見た?」と話しかけてくるし、昼休みには「一緒に食べようぜ」と誘われる。
表面的には、俺はクラスの誰とも良好な関係を保っているように見えるだろう。
でも、そこに本当の意味での「友達」がいるかと言えば、そうじゃない。
昼休みを一緒に過ごす奴らも、俺に話しかけてくる奴らも、みんな「知り合い」だ。
彼らにとって俺は「そこにいる人」以上でも以下でもない。
特別に信頼されているわけでもなければ、何かを共有するような深い関係でもない。俺が急に学校を休んでも、「あいつ、今日は来ないんだ」とすら言われず軽く流されるだけだろう。誰も本気で気にしない。
透明人間のような存在。つまりこの世界は俺がいなくても成り立つということだ。
「ねぇ、あいつキモいんだけど」
女子の誰かが言ったその言葉で俺は現実に戻される。
イヤホンから流れる音楽も、いつの間にかその一言と共に止めていた。
男の言う「キモい」と女子がいう「キモい」とは何故こうもダメージ量が違うのだろうか。
咄嗟に俺のこと⁉︎と思ったが、ただ音楽を聞いてるだけの俺がキモいはずがない、多分。
顔を上げて前を見ると黒板の片隅に女子が集まって何やら会話をしていて、その女子が指さす方向を反射的に見た。俺の右斜め前の方。
そこにいたのは目立たない、地味な男子だった。名前は何だっけ……思い出せない。
確か……吉田とかいう奴。
なんだ一体彼のどこがキモいのか?普段通りにしか見えないのだが。
いつもと違うところといえば……ライトノベルの代わりにランチバックを持っている。それも可愛らしいピンクと白のストライプで、全体に花の絵が描かれている。
少女趣味というのだろうか、吉田くんも随分可愛い趣味をお持ちで。
「ねぇ吉田くんさぁ席離れてるのに、可愛川さんのランチバックをなんで勝手に持ってるの?そこ可愛川さんの席だよね?」
暖をとっているのかというくらい集まっていた女子たちの一人が、ランチバックを持っている吉田くんに向かって強い口調で言う。そうか何か違和感があると思ったら、可愛川さんの席に吉田くんがランチバックを置いていたからか。
確かにその女子の言う通り、可愛川さんの席と吉田くんの席は少し離れている。
「ち、違うんだ…なぜか僕の机の上に可愛川さんの弁当袋が置かれてたから元に戻してるだけで」
「えぇ?さすがに意味不でしょ。なんて吉田くんの机の上に可愛川さんの弁当があるの?」
「そんなの僕が知るわけないだろっ‼︎」
隙なく問い詰められた吉田くんは思わず大声を出してしまい、その声の大きさに自分でも驚いたのか、すぐに口を押さえて周りをキョロキョロと見回した。
吉田くんの声はクラス中どころか廊下にまで響き渡り、みんなの視線が一気に彼へ集まる。
そして、彼の視線は俺の方へと向き……目が合うと彼は気まずそうな表情を浮かべて俺から視線を逸らした。 助けてくれないと瞬時に俺は切り捨てられたのだ。
だがそれもあながち間違いない。
まず俺は最後の数秒の一連の流れは見ていたが……正直、何が起こっているのかよく分からなかったのだ。
そして恥ずかしくなったのか、吉田さんは慌てて席を立って足早に教室を出て行った。
「な、なにあいつ。こんなことで声荒げなくてよくない?まじ怖いんだけど」
「ね。こっちは心配して言ってるんだけど」
「親切心とかわからないんじゃない?だからさ、ほら友達少ないんだよ」
「それでかぁ」
甲高い自己保身に塗れた女子の声が、不協和音のように教室に響き渡り耳に障る。
人は人をそこまで理解しようとはしないのに、自分はなんでもわかっているかのような振る舞いをする。その身勝手さにはさすがに嫌気がさす。
まあ、それは俺にも言えるか。
それでも俺は、教室に流れる噂話など興味がないといった素振りをして再びイヤホンを耳にはめた。吉田くんには悪いと思っているがそれでも巻き込まれたくない。
「ねぇねぇ廊下まで声聞こえたんだけど、どした?」
「っわ」
イヤホンから流れてくる音楽に耳を傾けようとした途端、視界の端に白いカッターシャツが目の前に映り込んで、思わず声が上ずり心臓が跳ねる。
廊下側の窓側、一人の女子生徒が頬杖をついて肩にバックをかけながら、目の前にいる俺のことなど気づいていないかのように女子たちに声をかけた。
「ああーねぇ夏ちゃん聞いてよ」
「おうおうどうした?」
集団で固まっていた女子たちはその夏ちゃんと呼ばれる女子を見るなり、待ってましたと言わんばかりに俺の席へと集まり、そしてその女子生徒に先ほどまでの経緯を話して聞かせる。
女子というのは噂や今あったことを誇張して話すのが好きなものだ。
俺はその軽い気持ちで行われた会話の恐怖を知っている側の人間だ。
ただうんうんと聞いているだけの夏ちゃん生徒だがその雰囲気だけで、女子からかなりの信頼を得ているという印象を受ける。
鮎川真夏。会話に出てくる可愛川はるとは他のクラスでありながら親友の間柄で、中学校の時からの幼なじみとだとこの前話していた。
「中谷はさ、どう思う?吉田くんのこと」
「俺?」
「うん。キモいよね」
お前がな。そう言いかけた言葉を、俺はなんとか飲み込んだ。
急に俺の存在を思い出したかのように、集団の一人が同意を求めて俺に話を振ってきたのだ。善意からきてるのかすらわからないが、できれば俺に振らないで欲しかった。
正直な話、別に彼をキモいと思ったことはないが……。
あえて言うのなら、教室の中であんな風に取り乱すのは良くないと思ったくらいで、どちらかと言えば少し不憫だなという印象だった。
でもここで俺が何か言ったところで彼女たちには響かない、決して。
女子たちの機嫌を損ねないために、少し考えた素振りをしてからから口を開いた。
「俺さ、イヤホンしてたからほぼまったく聞こえてないんだよね」
えーなにそれ!という女子たちの不満の声を笑顔でなだめながら、俺は音楽プレイヤーをカバンから出して見せる。
「まあよくわかんないけど流石に女子の弁当を持って急に叫んだら不信感持つよな」
「だよね、やっぱり中谷もそう思うよねぇ」
女子生徒たちが同調するように深く頷き、対して鮎川さんは首を軽く傾げ、不意に彼女と視線が合う。
そして彼女は、俺を見た途端ニコッと笑って見せた。
「へぇ結構中谷くんってストレートな物言いなんだね」
「そうかな。俺はそういうつもりないけど」
長いまつ毛に彩られたその大きな瞳で、俺の目を逃さず捉えたまま鮎川さんはにやりと笑う。可愛いというよりも少し大人っぽい顔立ちの彼女だが、その表情は年相応の悪戯な笑みを浮かべて可愛らしい。
日焼けした小麦色の肌、ゆるくカールした焦げ茶色の長い髪がよく似合う鮎川さんは、まだ梅雨の寒さが少し残る時期だというのにシャツの第3ボタンまで開けていて、そこから覗く胸元からは日焼けした鎖骨が少し見え隠れする。
この学校では校則で化粧は禁止されている上、髪色も黒しか許されていないはず……しかし彼女は明らかに校則をいくつも破っているようだった。
なんで学校側は黙認するんだ、目に見える校則違反だろ?これが許されるなら、俺の少し赤くスプレーされただけの自転車も返してくれよ……。
まあ誰も興味のない俺の自転車話は置いといて。
「とりあえずここにいない吉田くんの話をしても可哀想だしやめようよ。それよりさ、多分だけどはるる教室にお弁当箱を忘れちゃったんだよ。だって今弓道部の部活のはずだもん」
鮎川さんが言った、はるる。可愛川さんのことだ。
「へぇそうなんだ」
俺は適当に話を合わせるが内心、この会話から早く解放されたいと願うばかりだ。
「でも困ったなぁ。私も今から放送部だから、はるるにお弁当届けられないし」
それでもまだ話足りないのか、彼女たちは可愛川さんのことを話題に上げ続ける。俺は再びイヤホンを耳につけ、スマホの電源を入れると通知が数件届いていた。
同級生の女子からだ。
しめた、これを口実にこの会話から自然に抜け出せる。
俺は教室の前にある時計に視線を移し、スマホをポケットへと閉まい立ち上がる。
「中谷どこ行くん?」
「友達んとこ。連絡来てた」
「ふーん。あっそ……それでさ可愛川さんには悪いけど」
自分から聞いてきたくせに、興味なさそうに声のトーンを落としながら話を戻した彼女たちに苦笑する。
でもこれでいい、これがいい。
面倒ごとは抜き、これが透明人間である唯一の利点だ。
教室の扉に手をかけ、彼女たちに軽く「じゃ」と別れの挨拶をしてから、俺はゆっくりと教室を出たその時だった。
「あっそうだ!中谷くんがはるるに弁当持っていけばいいじゃんっ」
唐突に思いつきで閃いたような声をあげて、鮎川さんは女子たちに向かって提案した。
え?と戸惑う俺におかまいなしで鮎川さんは、女子たちからランチバックを受け取ると、そのまま俺の前まで駆け寄ってきてそれを強引に俺に握らせた。
「頼むよ〜中谷くんっ。友達のとこに行くついでにさ、弓道部行って弁当届けてくんない?あの子少食で朝食は食べない主義だから絶対今お腹空いてるよ」
「いや別に俺じゃなくても、他の女子が持っていけばいいじゃん」
「私は今から放送部だし、他の女子もバスケ部の用事があるらしいんだよ。頼む頼むっ」
「俺にも用事あるんだけど」
俺の放った一言に、鮎川さんは頬を膨らませて何かを言おうとしたがすぐに口を閉じると、大きく溜息をついた。
「わかった、仕方ないねぇ……今度グループでカラオケ行く時、中谷くんの分も奢ってあげる!」
いや別に俺が行きたいわけじゃ……と言いかけたが、あまりに彼女が目を輝かせて期待の眼差しを向けてくるものだから俺は押し黙るしかなかった。
ここまで言われて断ったら逆に変か、断る選択肢を潰しやがって。
俺は心の中でそう毒づくも、観念するしかなかった。
吉田さんのことも可愛川さんのことなんかもうどうでもよくて、ただこの場から逃げたかったのかもしれない。
しぶしぶそのランチバックを手に、仕方なく弓道部へ届ける任務を引き受けると、鮎川さんはパッと表情を明るくしてお礼の言葉を言いながら嬉しそうに俺の背中を軽く叩く。
「マジさんきゅー!絶対100%おごるから、忘れてなければだけど。忘れてたら私にちゃんと教えて」
「はいはい」
こうして俺は、弓道部にいる可愛川さんに弁当を届けることになった。
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