第6話 眠れない夜の時間が増えていく
「プロポーズ、されたみたい」
深夜帯のシフトで大学生の狩野(かのう)に聞かれるまま、南央の話をすることが増えていた。狩野の一目惚れというのもあって、一度同じシフトに入れるように組んで欲しいとまで言われていた。
「……、南央さんから」
「はあ!?」
お客さんがいるにも関わらず、狩野は素っ頓狂な声を上げて、こっちを見た。
「狩野くん、お静かに、」
「スミマセン、けど、何すか、妄想ですか?夢?」
ウイスパーボイスで狩野が、詰め寄ってきた。
「それが、聞き間違えられないくらいの、はっきりとした滑舌の良さで言われたよ。結婚したらいいって。意味わかんないから、聞き返したんだけど、あとは、じっと見つめ返されて」
「……、何それ、本気のやつじゃないすか、信じたくないけど」
雑誌を選んでいるお客さんの目を気にしながら、会話が続く。
「あれからさ、デートとかにも誘われてて、すごい積極的で。好きだとか何も言われてないんだけど、ただ、すごい見てくるし、すぐ上がらないで、俺の休憩時間終わるまで帰らないし」
信じられないのは俺のほうなんだけど。
「はぁ~っ、ガチのやつか、うわ~、店長のどこに惚れたんすかね、やっぱこの筋肉?弾力ありそうな、このムチムチのおっぱい?」
狩野まで手を伸ばしてくるので、さすがに、よけた。
今日の休憩時間、寝るつもりだったが、散々手を弄ばれた。
嬉しそうに触って、驚いて、褒められたりして。うとうとしてしまうほど心地よかった。段々、減るもんじゃないし、そのうち飽きるだろうと、片手を伸ばして、向かい側に座る南央に預けた。
南央に両手で手のひらをマッサージされる。
頬杖をついて、ボンヤリ、その様子を見ていた。
「手にもいろんなツボがあるみたいですよ。わかんないから全押ししちゃいますね。何かにきくかも」
おかしなことを言ってはしゃいでいる。
こんな明るく屈託ない子だったっけ。記憶が曖昧になる。
前に倉庫の暗がりで南央に腕や肩に触られてから、もう、してこないものとばかり思っていた。あの時自分は南央にそういうことは良くないと話したのだった。
男に対して無防備すぎると。
でも、ことあるごとに、ぺたぺた触れてくるし、あのプロポーズを受けてから、余計に遠慮がなくなったなと感じる。
「お父さんとかにも、こんなことよくしてるの?」
何気なく言ったら、まさか、と返された。
「そんな、気持ち悪いことするわけないじゃないですか」
「……、そう、なんだ」
さっきから手のひらを揉みしだくだけじゃなく、指先を握られたり、指の股深くに細い指を絡めてきて、握ったりしてくる。思わず、目をそらしてしまう。なんか、いけないことをさせているみたいで。
そろそろ手を引いて、寝ようかな、と思った時に、
「藤間(とうま)さんの手、好きかも」
とポツリと南央が言った。
顔に熱があがってくるのをじわじわ感じながら、返す言葉が見つからなかった。
「藤間さん、お休み、何してるんですか」
南央に親指を付け根から指先へと扱くようにマッサージされながら、自然にいかがわしい気持ちになってしまい、さすがに手を引いた。
「あ、くすぐったくて。休み?結構寝て終わるよ。買い出しとか掃除するくらいかな」
自分から手をひいたくせに、南央の手を名残惜しく見てしまう。理性、理性、パパ活とかする気ないし。大事なバイトの子に変な気起こしたら、最低だ。なんとか言い聞かせて自重する。
そうでもしないと、この目の前の女子高生を一人の女性として見てしまいそうになる。
「そうなんだ。めちゃくちゃ、シフト入ってますもんね。深夜帯もでしょ、わたしが学校行く時間まで」
「もうね、今日はここで上がるけど、明日は昼間から翌朝までだからね。人手不足で~」
ふいに狩野の話がしたくなって、仲がいい大学生がいて、面白い子で、って言った。博学ですらっとしていて、いい感じでさ。こんど、一緒に働いてみる?と眠気が混じった、おかしなテンションで一気に話したら、
「別に、いいです」
とあっさり断られた。
もともとこういう子だったな、って思い出す。隙がなくて、警戒心も強い。バイトの帰りはいつも友達か親に迎えにきてもらっていた。まだ空が明るい七時ごろでもそうしていた。家まで15分くらいと聞いていたが。夜に一人で歩くということはない、と前に言っていた。確かに、見れば見るほど、魅力的だった。クラスにこんな子がいたら夢中になっていたかもしれない。高嶺の花というか、目の保養的な存在。永遠に妄想の域を出ないまま、ずっと見ていたかもしれない。声もかけられずに。
なんせ、普段は、物凄い、近づきがたいオーラを纏っている。
「狩野くん、いい子だけど……」
「藤間さんがシフトの都合上そうして、っていうなら。その代わり、休みの日、ちょっとだけ会えませんか。ここでもいいんだけど、出来れば二人で。お茶するだけでいいんです」
ね?
身を乗り出して聞いてくる南央に、反射的に身を引いてしまう。すると眉を寄せながら、ダメですか?と気弱に聞かれて、断りづらい雰囲気になる。断る理由もよくわからない。ただ高校生と休みに出かけるって、いい大人として、やましい感じがする。
「人に見られるとなんか悪いことしているように思われそうで、ちょっと、考えさせて」
と言った。
「……、そう、ですか。他のバイトの人たちに見られて誤解されても、ですしね」
淋しそうに言われると、なんとかしてあげたくもなる。
「店のすぐそばの知り合いがやっているレトロな喫茶店なら、行こうか。ここのバイトの子ともパートの早苗さんとも行ってるし」
「あ、あの角の。え、行きます。パフェとか食べたい」
「あるよ、デザート豊富で、いつも生クリームとかアイスはマシマシで頼んでる」
「ふふっ、楽しみ」
笑うと、棘がなくなって、見惚れるくらい、引き込まれてしまう。
「あのさ、この前言ってたこと、アレって、本気なの?」
思わず言葉がこぼれてしまって、今そんな空気になりたい訳じゃないのに、とあがくが、遅かった。
「あーいった言葉を冗談で言えるほど、テキトーじゃないですよ、わたし」
真っすぐ見つめられて、喉がゴクリと上下する。
「……、付き合っても、いないのに、5千円とったのバレたくなくて、俺と結婚するの?」
「グミも5千円も、ある目的のためにとりました」
また、手を引き寄せられて、南央が指を絡めてくる。
「こういうこと、恋人じゃないのにさせている藤間さんの気持ちが知りたくて」
「へっ、お父さんとか、親戚の、」
「そんなことする歳は過ぎてます。そんな触り方じゃないの、わかってるでしょう、イヤだったら、今のうちですよ。絶対ナシですか?あんま、ですか?わたし」
こんな、何年も、異性の手にさえ触れたことのない自分が、イヤがるとか、出来ない。身体が勝手に心地いいって、答えを出してしまっている。腕や肩を触られたあとも、しばらく熱くて、思い出してしまわないように、切り替えるのが大変だった。
「好みじゃない?」
「そんな、ただ、仕事の付き合いだし、立場がアレだし」
どんどん自分が卑屈で情けなく思えてくる。こんな男のどこがいいんだろうか。信じていいのかもわからない。土砂降りの日に、水浸しの女の子が駆け込んできて、とんでもなくキレイだったけど、それ以上に、可愛そうに見えて、ちょっと世話をしただけなのに。
「好きには、この先なりそうもない?」
「……、それは、わからないよ」
俯いて言うと、南央が笑った。
「可能性あるなら、もっと押してみようかな、藤間さん、スキンシップ好きそうだし」
「えっ?」
いやらしさが顔に出てた?内心の喜びが顔に出てた?もう、どっかに隠れたい。南央を目の前にすると自分が醜い生き物のように感じる。
「冗談です。セクハラってわかってますから。でも、コレはいいみたい」
指を絡めて握った手を左右に振って笑う。
「付き合うとか、結婚とか、真剣に考えてもらえますか?」
南央の言葉に心臓がヤバいくらいうるさくて、ただ、頷くことしか出来なかった。
今夜は早く寝ようと思っていたのに、混乱して擦り切れるくらいにヒートアップした脳ミソが答えを導きだすまで回り続けてしまいそうだ。
「藤間さん、こっち見て」
南央に言われて顔を上げると、確信犯みたいな目をしてから笑いかけられた。そのまま、絡めた指先をその唇に近づけて、ごつい男の節くれだった指に、キスを落とした。
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