第5話 爪をたてる
教室の中には無数の目に見ないルールが存在する。それが毎日変化していく。せわしなくて、こころが疲弊する。いつも何かと比べて、パワーバランスと空気をよんで、みんなここにいる。そして、くだらないことに大げさに笑ったりする。楽しそうにしてない奴は可哀そうに見えるらしい。
灰色の毎日だ。
うわべは何の問題もないようにみえるだろう、と思う。嘘をつくのが巧くなりすぎて、自分の本心でさえ、よくわからなくなっていた。ただ、ここでの時間はニセモノだと感じた。もっとこころが躍るような時間が、きっとある。そこでなら、欲しいものが見つかるかもしれない、と外部進学を決めた。
そんなこころの変化が、見えている景色を一変させる出来事をもたらしたのかもしれない。
はじめて欲しいと思うものが、見つかった。
「とーまに手首掴まれちゃった。すごいおっきなグローブみたいな手だった~」
はぁ~、と甘いため息がでた。
昼休み、沙織と怜(れん)と学食のテーブルでランチをしていた。ふたりはしっかりAランチとかBランチとか栄養満点でボリュームのあるものをすいすい口に運んでいく。キレイな食べ方だがムダなく速かった。
「そんなんで、足りるの?」
沙織に言われて、まだパッケージを開けていないレタスサンドとカフェオレを見つめる。
朝、いるかな?と思って、バイト先のコンビニに寄って買ってきて、保冷バッグに入れといた。
レジ奥にその姿を見つけて、一気に身体中が収縮するように感じた。
広い肩幅になだらかに盛り上がった胸、天井が低く感じるような巨体に、明るい笑顔。声も落ち着いていてよく通る。
「あ、南央さん、これから学校なんだ。いってらっしゃい」
きらきらの目で見つめられて、わたしは、しばらく固まった。ようやく、はい、と返事をして、店をでた。
適当に目に入ったものをさっ、と買って。
今日も、かわいい。
いってらっしゃいって、言われた。
恥ずかしくなって、いってきます、って言えなかった。ちょっと触っただけで、ビクビクして、すぐ、引いて、離れていく藤間に、一線を引かれていると感じていた。
どんな誉め言葉もスキンシップも功を奏さず、胸がくるしくなった。
ただの店長とバイトという関係が淋しい。
きっと誰にでも親切で、優しい人種なのだ。マトモに受け取ってはいけない、と自戒しつつ、喜びが沸き上がる。
尚も、回想に、こころここにあらずな友人をみて、沙織と怜は顔を見合わせた。
「これ、いらないの?」
怜に言われて、わたしはサンドウィッチを引き寄せた。大食いのこの二人にとって、いくらでも燃料は必要なのだ。
「食べるって、それより、とーまにセクハラしたら、叱られちゃった」
「アンタがされたんじゃなくて?へぇ~、自分が散々されてイヤなことしちゃってんだ。終わってんな」
「そうよ。薄汚い性欲のかたまりよ、どうせ。でも、とーまのタイプじゃないのかも、わたし。あんまり意識されてないみたいでさ。触っても引くだけ。小心者だからいちいち慌てるけど、誰がやっても女子なら同じ反応かも」
どうしたら、もっと見てもらえて、意識して貰えるのか、、わからない。
「アンタからそんなことされたら、フツーはゲスに豹変しそうだけどね」
「うん。ま、大人と高校生っていうハードルを気にする常識人なんじゃない?」
沙織がフォローしてくれる。
「アンタのズルさはさ、もし、すぐゲスな反応してきたら、あの人から離れる気まんまんってとこだよね。のってこなかったから、内心喜んでいる」
怜はタンドリーチキンをムシャムシャ咀嚼して、言う。
「……、人を試すなら、とことんよ」
沙織はニヤリとする。
「オイタついでに、どこまで南央のこと考えてるのか、大事にしているか、試してみたら?」
箸をとんかつにぶっ刺して、このサイコパス気質な、目的のために手段を択ばない友人は笑った。
「南央の負い目につけ込んで、本性がみえるかもよ。かわいいだけの男なんている?一人の時何してるか想像してみてよ。下心も性欲もふつーにあって、南央でヤッてるかもしんないじゃん」
ケタケタと笑う。
あ、沙織、血が騒いでいる。
「いいこと思いついたんだよね」
沙織の妖しい目の光に、テディーベアの正体を見てみたい、とわたしは思った。
夕方のバイトの時間に、店長と品出しをしながら、わたしは、商品のイチゴのグミを制服のポケットに入れた。赤いものは目につきやすいと思って。すぐ、近くに店長がいるときに。こっちをたまたま見ていたら、声を掛けられるだろう、と思ったが、何も言われなかった。
次のシフトの時も同じことを繰り返した。出来心、ではなく、明らかに手癖の悪い人間だと思われるように。店長が菓子棚の近くを通ったのを見て、さっとポケットにいれてみたが、また見ていなかったのか、帰り際にも何も言われなかった。
わたしはシフトに入るたびに小さな犯罪を繰り返した。
さらに、一旦、レジ締めをするのだが、その時にレジから五千円を拝借した。バイトを首になる可能性もあるし、どやしつけられることも覚悟した。
でも、それ以上に、店長の反応が知りたくてたまらなかった。警察に突き出されても文句も言えない。けれど、そんなこと、どうでも良かった。
わたしに説教をする時にどんな言葉を使うのか。幻滅して放り出すのか。
それとも、沙織が言ったように、わたしの罪悪感を利用して、脅してきたり、いかがわしいことを強要してきたりするんだろうか。
どんな藤間でもいいから、わたしは、知りたかった。
そして、同時に、このよくわからない気持ちにさっさとケリをつけてしまいたかった。わたしのことは好みじゃないのかもしれない。恋愛対象外のままそばにいるのはもどかしいし、多分時間のムダなのだから。
藤間の腕にベタベタ触ったあの日から、確実に距離を置かれているのを感じていた。普通の反応だし、自分だったら、そうすると思う。そして相手に嫌悪感を抱くだろう。
好かれないくらいなら、いっそのこと嫌われてしまいたい、と思った
店長が最終的に深夜帯でもう一度レジの入金確認をする。その時にはっきり気づくはずだ、と思って、その日の夜は胸が高鳴って眠れなくなった。
辞める時にすぐ返せるように、拝借した五千円はキレイな封筒に入れて、お守りみたいにカバンの中に入れた。
「こんにちわ、よろしくお願いします」
店に入って、品出しをしている店長の背中に声を掛けて、裏の休憩室に入った。奥のロッカーで着替えようと、ふと、テーブルの上に見慣れた赤が飛び込んできて、わたしは息を飲んだ。
「イチゴ」
籠の中の焼き菓子に混ざって、イチゴのグミが、キレイに整列していた。5袋、数えたらあった。
「見てたんなら、止めたらよかったのに」
とわたしは言って、イチゴのグミのパッケージを開けた。それをガラスの小皿にうつして、一個、一個、味わって食べた。
仕事中、店長は何も言わなかった。
なので、わたしから、お客さんがいないときに、レジに入った店長に声を掛けた。
「イチゴグミ、ご馳走様でした」
「あ、うん」
店長はなぜか緊張しているようだった。
「好きなの?イチゴ味、良かったら、休憩室のお茶受けに、いつも入れとくよ」
弱々しく笑う。
「あと、何か、いま欲しいものとか、あるの?」
と、ほっぺを一指し指で掻きながら、わたしを見た。
「もし、言ってくれれば、時給上げられるし、お給料からの前借りも出来るよ」
わたしが黙っていると、傷ついたみたいな顔をして、
「相談してほしい。南央さんは大事なアルバイトで、ここでせっかく働いてくれているから。もし、どうしようもない事情があるのなら、出世払いでいいよ」
と言って笑った。
わたしはしばらく呆然としていたが、裏から、封筒とくすねたイチゴグミを持ってきて、店長に渡した。
「ああ、とって置いてたんだ。いいよ、これ。必要なものに使って」
「こういうことする人間、雇っていていいんですか?」
わたしがようやく口を開いた。店長はちょっと考えて、
「俺さ、そんな、人にアレコレ説教できるような大人じゃないから。この間まで、家にいて、外との接触もなかったし」
「え?」
「一応仕事的なことはしていたんだけどさ。でもこうして、ここで働けて、前より数倍生きてるって実感があって、今結構充実してるんだよね。そこで、南央さんに会えたから、いい出会いだと勝手に思っていて」
藤間の顔が次第に赤くなる。
やっぱりな、と、わたしは思う。
この人の方がキレイなんだと。わたしの直感は当たっていた。
「警察に突き出したりしないんですか?」
「しないよ。辞められたら困る」
「でも、わたしレジからお金取りました。ここフランチャイズだから、店長のお金ってことになるんですよね?」
「う~ん、一応オーナーが親戚だからな。でも、そうなるかな」
「誰にもこのことバレたくないんです」
「言うつもりないよ。相談してほしいってだけだし」
そんな風に何でもないように、明るく言われると、まあまあ勇気と覚悟をもって決行したことがみんななかったことにされてしまう。
「二人だけの秘密にしてくれますか。何でも言うこと、聞きますから」
「え?そんな、いいよ、いいよ、高校生っていろいろ欲しいトシゴロなんでしょう」
店長は顔の前で手を振っている。
罰もたたりもお咎めもなし、そういう神様がこの世にはいるんだな。
バカな女子高生を脅して、イヤがっているのに、無理やり身体を開かせるような、そんな展開ないんだな。ちょっと期待したのに。
このプーさんには、少なくともそういう思考回路がないってことか。わたしは論外ってことか。
沙織、
とーまの正体、これ、このまんまかも。かわいいだけのお人好しっているのかも。
「店長、わたし思いついたんですけど、店長のお金拝借しても犯罪にならない案件があります」
「へ~、何それ」
呑気にレジ周りを掃除しながら言う店長にわたしは今までにないくらいに震えて、言った。
それは誘拐されかけた子供のころよりも、怖かったが、今しかなかったから、はっきり聞こえるように言った。
聞き間違いですまされないように。
「結婚したらいいんだと思います。わたしが店長の奥さんになれば問題ないです」
動きを止めた店長が、ちゃんと聞こえているはずなのに、え?、と振り返ってわたしを見た。
大きく見開いた目が、店中の照明を反射して、きれい、とわたしは思った。
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