第3話 かわいい子は閉じ込めてしまいたい

 バイトの初日、高校の男友達と一緒に店に入った。

勤務時間までまだ余裕がある。店長のベアベアのキュートさを自慢したくなって連れてきた。

怜(れん)は、アセクシャル、無性愛者だ。何も気にせず付き合える唯一の異性で、幼馴染だ、とわたしが勝手に思っているだけで、向こうは飄々としていて、いつも何を考えているのか分からない。

イートインスペースで、カフェオレを飲みながら店長を盗み見る。

さっき挨拶したばかりだし、昨日の夕方も店にきて話したばかりだが、一緒に働けると思うとドキドキした。

「初、バイトじゃん。オメデトウ」

怜が淡々と言う。

「そう、ありがと。で、どう、店長?」

「あ~、なんだろ、ムキムキのお兄さんって感じ。笑った感じはいいと思う」

「でしょう」

ぷしゅう、と空気が抜けたみたいに脱力して、テーブルに乗せた腕の中にわたしは顔を埋めた。

不確定要素の多い感情なだけに、まだ何の答えも与えられない。名前もつけられない。

もどかしい。

「ま、気長に。しばらく一緒に働いてみて、そんで、つまんない男だったら、引けばいい」

カフェオレをなんの表情も見せずに、ずいずい飲んで男友達は至極冷静に言う。

「……、うん。でも、怖いよね。勝手にこっちの理想押し付けてるだけだったらって。」

「ま、そんないい男いない、に掛ける。アンタは普通にしてても変なことに巻き込まれるんだしさ。普通の男は、よっぽど奥手じゃなければ、アンタがイヤそうにしてない限りは、そういうことしてくるんじゃないの」

「……、テディーも、かな?」

「試してみれば。好みだと思ってるか、どうかぐらい。熟女好きとかゲイだったら、笑える」

「……、そっちの可能性も、ありか」

「まぁ、なくもない、でしょ。でもさ、アンタって、何をクリア出来たら合格、にしてんの?」

言われて、わたしは首を傾げた。

店長に何を期待して、何をクリアして欲しいのだろう。

わたしに対して、下心を持たないで接して欲しいのか。友情を育んでから付き合いたいのか。大学に入ってから、なのか。でも、多分、ただ、滅茶苦茶に信じたいだけなのかもしれない。

なんでもいいから、純粋さとかただの優しさとかに甘えてみたいだけなのかもしれない。

「かわいいって、相手のことずっと思ってたいな」

「へ~っ、アンタが言うと、切実や」

店長が品出しをしている。その広い背中を見るともなく見ていたら、くるり、とこっちを見てきた目とぶつかった。

にこっ、と笑顔を見せられて、会釈を返した。

今の自分の顔を見られるのは恥ずかしいような気がして、さっと顔を背けた。


いい歳した大人の男をかわいいと思うようなこころがあったのだ、と知った。この自分に。


 店長とシフトに入る。初めてのバイトということもあって、何もかも目新しかった。アルバイトは高校で禁止されてはいなかったが、皆部活やプライベートな時間を楽しんでいて、バイトしている学生は知っている限り、自分しかいないはずだ。

簡単に店のどこにどの商品を陳列しているか、とか品出しの手順やバックヤードでの作業などを教わった。店長から渡されたプリントに全部書いてあった。このコンビニ自体のマニュアルとフランチャイズ店としての固有のマニュアルがあった。

取り合えず、あとはレジをしながら随時、わからないところを聞いていく。

「いらっしゃいませ」

初めて言う。

お客はちょっと驚いた顔をする。常連さんには馴染みのない顔なのだから当然か。


「すごいかわいい子じゃん、店長。どうしたの?」

「今日からのバイトの子。そんなジロジロ見ないで、やりにくいでしょ」

そんな会話が飛び交う。

「南央さん、こっち見て、タバコ、番号振ってあるから。銘柄言われてわからなかったら、お客さんに番号聞いてね」

「あ、はい」

店長の後ろについて、アレコレ教えてもらう。女子にしては高身長な方だが、店長の後ろにいると、身体がすっぽり隠れる。覚えることも多いが、一週間くらいで慣れるはずだ、と思った。


わたしの仕事ぶりに店長は嬉しくてたまらない、という顔をする。

「ホント助かるよ。いままでこれ全部ひとりでやっていたからね。夕方の配送がきて、仕事帰りのお客さんがどっと来たら、終わんなくて。そんなに混む店じゃないんだけどね」

と、ニコニコしている。



それから、店長とレジをしながら、お客が途切れた時に、ちょこちょこ話をするのが楽しみになった。

「今日さ、休憩室に早苗さんから貰ったお土産のチョコレートがあるから、帰りに貰っていきなよ」

「え、いいんですか。早苗さん、どこ行ってきたんですか?」

「法事で実家帰って、北海道だよ。何てったっけ、ロイズと六花亭だったかな」

パートの主婦の早苗さんはいつも気前がいい。

そのおかげもあって、休憩室にはいつも美味しいお菓子が用意されていた。

店長の藤間も大の甘いもの好きという点で、わたしとウマが合う。美味しいが共有できる関係がスタートラインだ。



「あ、そう言えば、この間一緒に来ていた子、彼氏?」

「へっ」

眉間にしわが寄ってしまう。

「あ、ごめん、ごめん、立ち入ったこと、」

「ただの友達ですが」

「そう、なんだ。もし良かったら、その子の分も持ってったら、って思って」

「甘いもの、嫌いみたいで」

あながち嘘ではない。あげたら、食べるとは思うけれど。

「かっこいい子だなぁって、思ったんだよね、なんかお似合いって言うか、さ」

「はあ……、あーいう中性的なのがタイプとか?」

恐れている問題は先送りしてはならない。実際、怜は、同性、異性関係なくモテた。


「いやっ、違うって、俺は、の、ノーマルというか、偏見はないけど」

「ふうん。もしかして、早苗さんみたいな熟女が好きとか?」

さらに慌てて、店長は首を振って否定する。柔らかそうな上質の胸筋が制服の下でゆさゆさ揺れていた。こっちの可能性もなし、と。多分。

すぐ顔が赤くなる店長はいい大人なのに、かわいい。

からかい甲斐がある。ちょっといじめたくなるというか。

「そうなんですね。ふうん」

「え、信じてません、的なその反応、何?」

「別に」

「早苗さん既婚者だから、それに俺、そんな風に見える?」

きらきらの目がわたしを見つめる。取って食っちゃっていいですか、見つめ返しながら、誰かに許可を求めてしまう。

「……、店長、ゆうパックと公共料金教えて貰っていいですか?」

「あ、はいはい」

そばに行って、店長の説明を聞く。手元を覗き込むようにして、身を寄せる。ちょっとビクつかれたが、何事もないように説明してくれる。わたしはちょっと分からない、というフリをして、もう一回きく。今度は少しだけ、腕が触れる。さすがに、店長にそっとかわされてしまう。真剣に説明する大人にふざけたことをしているのは、重々承知しているが、下心は隠さない。このバイトの真の目的は何ぞや、って頼りにされるようなアルバイトになることではない。このすぐ驚いたり、喜んだりする店長のことをもっとよく知るためだ。

「あ、なんか、あの、俺、汗っかきだから、その……」

身体をそらして店長はオドオドしている。

小動物を追い込むキツネみたいだと自覚する。

困った顔が追い詰められて、ビクビクしている獲物に見える。いいな、そそる。きっと店長よりも、このテディーベアみたいな大人の男よりも、下心にまみれた好奇心とその優しさにつけ込もうとする性欲のかたまりのこのわたしのほうが何十倍も醜いだろうと思う。

散々、その性欲の対象になって、くるしんできたはずなのに。

今は、そんな奴らが感じていたようなものをきっとこのわたしは感じている。この目の前の男に。

「店長って、かわいいんですよね。なんか、大きなクマさんのぬいぐるみみたいで」

怒られてもいいや、と本音をいうと、店長は、かわいい?と口に出して、小首を傾げる。


わたしはこの視界のなかに、この人を閉じ込めてしまいたくなった。


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