過去2 ⑧情報
いつものように墓地に赴いて再び花を手向けてきた。
いつ来ても両親の墓は花で溢れていて、居心地は悪い。
いつ来ても、苔むすことなく磨かれた墓石と、雑草一つ生えていない墓石の周辺の地面との感じもまたさらに居心地の悪さを増している。
一日何をするわけでもなく、ただぶらぶらと過ごす日もまもなく終わる。
墓地から少し歩けば街が見下ろせる開けた場所に出る。
生まれてからずっと過ごしてきた街だ。思い入れがないなんて言えば嘘になる。
両親、友人、恩師、そしてミルドレット。
『もう、無理みたい』
無理して笑った顔がいつでも瞼の裏に浮かぶ。
何よりも大事な人だったのに、どうしてあの時手放してしまったんだろう。
『私じゃあなたを支えられない』
支えてもらう必要なんてなかったんだ。
俺は一人で立つから、横にいてもらえるだけでよかった。
それが大きな間違いだと、今ならわかる。
ただそれを言えばよかっただけなのに。
言葉にしなかったことが、後になってこんなに重くのしかかってくるのならどんな泣き言でも口にしなければならなかった。
もし、ミルドレットがそこにいるだけでいいと言えていたら、彼女はまだ生きていたのだろうか。
生きて隣にいてくれたのだろうか。
アルヴァーの喉を突いた感触を不意に思い出して、奥歯をかみしめた。
あれも、俺の罪なんだろう。
だから全部忘れて生きていくことなんてできない。許されない。
俺がアルヴァーを圧倒するほど強かったら、あんなことにはならなかった。
俺が家を守れるぐらい強かったら母をあんな目に合わせずに済んだ。
弱さは俺の罪だ。
息苦しさを覚えて、ゆっくりと息を吐く。こういう時は吸うんじゃなくて吐くのだと経験則わかっていた。
こんな経験積みたくなんてなかった。苦笑いするしかない。
師匠の所にもいかず、街にも立ち寄らず、ぼんやり考え事だけをして一日が終わった。
まだ日が沈みきっていない夕暮れの中帰路を急ぐ。
あの日から二日後。ディノが来る予定だった。――本当に来るのか、あいつ。
「おかえり」
自宅に帰れば、なぜかディノとケインが向かい合って食事をしていた。
俺の帰宅に気づくと二人そろって顔をあげてその挨拶を口にして再び食事に視線を戻す。
スープなのだろうか、湯気をあげるそれを二人そろって息を吹きかけている姿はシュールだ。
行儀が悪いからやめろと咎めるものはいない。
髪の色も目の色も違うが、何だかよく似た二人だと思う。
そういえば初めてケインに会った時にそれを感じたんだった。
「おかえりなさい」
食堂からキッチンへとつながる出入口からセフィが顔をのぞかせた。
ディノの分まで用意させてしまったのか。
「夕食、食べますか?」
「あ、ああ」
「セフィ、俺にもおかわり」
「は、はい、かしこまりました」
ディノにそう言われてセフィは顔を引っ込めた。
会話もなく食事を続ける二人に視線を送りながらも、俺はキッチンへと向かった。
「すまない。ディノが迷惑を」
「いいえ」
淡々とした声音でセフィは答えながらも、てきぱきと深皿にスープをよそって、皿に野菜を盛り付け、それらをまとめてトレーに乗せている。
「粗末な食事なので、王子様の口にあうのでしょうか」
「全然粗末じゃない。むしろパンだけだってかまわないぐらいだ」
俺が奪い取るようにトレーを手に取ればセフィは少しだけ驚いたようにも見えた。
「どうせ城に戻れば食べるものいくらでもあるだろうし」
食堂に戻ればそのディノはパンをちぎって食べていた。
こいつ、決して暇じゃないはずなのになんでこんな時間からここに、という気持ちで睨みつけてやれば、俺の感情を読んだのかなんなのかうすら笑いを浮かべて俺を見返してきた。
「城じゃこんなに熱い料理なんて出されないしな」
「まあ、そうだな」
一応王族だ。毒見もあるし、そもそもこいつが座って食事を摂るなんてほとんどない。だいたいが執務の合間に摘まんでいるような状況だ。
それでもたまにしっかり食べるときには自分よりも別の人物に食べさせている時だけで。
「羨ましいことだな、ヒュー。毎日こんな食事を食べられるなんて」
いいご身分だな、と言わんばかりのディノにおかわりのスープを目の前に置いて、俺も開いている椅子に腰を下ろして祈りを捧げて、食事をはじめる。
ミルクのスープは煮込まれて形の崩れた根菜と小さく切った鶏肉が入っていた。確かに熱い。慎重に少しずつ匙によそって口に運んだ。
何口か食べているうちに、野菜と肉以外の何か甘いものが入っていることに気づく。栗だ。常備してあった焼き栗を使ったのだろうか。
これが意外と合う。美味い。しみじみと噛みしめていたらディノから紙の束を投げつけられてしまった。
「美味いものに夢中になる気持ちはわからんでもないが、見ろ」
「投げるな」
スープに入るようなことはなかったのは幸いだった。投げつけられたそれをめくりながら読めばそれが報告書であることがわかる。
沈黙を保っているケインに視線を送れば、食事に集中しているようでひそかに俺とディノを見ているのがわかる。
ケインが作った報告書、か。
シーゲルの基本的な情報と、歴史、現在の財産目録が並べられている。
フローレス家の財産も手に入れているからか富豪といっても差支えがないほどの財産だ。
そして――。
「シャイアライト家って王子派だろ?」
商売で提携をはじめたと記載されているその家名に思わず声をあげればディノも重々しく頷いた。
貴族第一主義の貴族派と、市民第一主義である王子派はあまり交流を持たないはずだった。
貴族派のシーゲルと王子派のシャイアライト家が提携することは何を意味するんだろう。
しかもシャイアライトと言えば、王家の遠縁にあたる勢力の強い貴族だ。ディノにとっては何よりも大きな後ろ盾になっているはず。
勿論、提携している商家はシャイアライト家との繋がりを表には出していない。良く調べてきたなこんなの。
「最後のこれ、なんだ?」
「おまけ」
報告書の最後の記載に意味が分からず顔を顰めていれば、ケインがそんなことを言って不敵に笑った。
「何の意味がある?」
ディノもその真意をつかみかねていたのだろう。スープを皿に口を付けて流し込んでケインに問いかけている。
どうでもいいが、マナーとかどうなんだ。俺が注意すべきか、これは。
少し悩んで、黙っておくことに決めてもう一度報告書に目を落とす。
シャイアライト家はシーゲル家を通してラグエドの奴隷を一人買っている。
奴隷の売買は違法だ。だが、この情報は犯罪の告発が目的ではないだろう。
「今市井で密かに流れている噂があるんですよ」
ケインはそう言ってディノを真っ直ぐに見た。
「国王の落胤児」
「ちょっと待て!」
さすがのディノも声を荒げて立ち上がった。
国王の隠し子って、まさか。
「そんなことあるのか!」
「あったみたいですね。お忍びで出かけた先で、みたいな。ご成婚前のまあ火遊びみたいなものでしょうが」
「あの野郎!」
ディノが実の父親に思うところがあるのを知っているから、まあ口が悪くなることぐらいは想定できたが。
「ってことは、この購入した奴隷が俺の異母兄だと?」
「本物かどうかはおいておいて、そういう主張をしてくるのではないのでしょうか、という憶測ですけどね」
「……くそ! 面倒なことしやがって、帰ったら文句言ってやる! 一回ぐらい息の根を止めてやってもいい!」
王子らしい王子の豹変ぶりにケインも若干引いている。久しぶりに見たとはいえたまに起こす癇癪に。それでも抑えてはいる感じだが。
「落ち着け、ディノ」
「落ち着けるか!」
「セフィ」
もう一度ディノが机を叩きつけたところで、こちらを覗き込んでいるセフィの名前を敢えて呼んでやった。
はっとして表情をしてディノもセフィを見やる。
「夕食まだだろ、こっち来て食えよ」
ケインも俺の意図を理解したのか、セフィを手招きした。一度頷いてセフィはキッチンへと戻って行った。
セフィはすぐにスープを入れた皿を持ってきて空いていたケインの横の椅子へと座った。
座って居心地が悪そうに一同を見回してから、祈りを捧げてスープに口をつける。
「焼き栗使ったのか」
「あ、はい。食べていいって言ってくださっていたので」
スープの中に入っていた栗について触れればセフィは少しだけ申し訳なさそうにも見えた。見た目は淡々としたままだがやはり何となくわかるようになってきた。
焼き栗は何となく色んな所で貰うことが多く、名物といえば名物なのだが、学生の頃こればかり食べていた時期があってその印象からなのだろう。
好きには好きなのだが、もうこの家で消費は難しい量になってしまった。あとでディノにもお土産に持たせよう。
「驚かせて悪かったな」
「いえ、大丈夫です」
まだ幼さの残る少女の前で取り乱してしまったのは気恥ずかしかったのだろう。セフィにぶっきらぼうな口調で詫びてディノも椅子に座った。
「なあ、セフィ、城で働く気はないか」
落ち着いたかと思えば途端にまた変なことを言ってくる。
セフィは無表情でディノを見て、すぐにケインにその視線を向けた。
「だ、駄目っすよ! こいつ礼儀とか全然なんで!」
「料理好きだろ。もっと大勢に食べて欲しいとは思わないか?」
「王子様!」
ケインの制止を聞くつもりもなく、いつもの強引さで切りこんでいくがセフィは首を横に振るばかりだ。
「ディノ、何のつもりだ?」
「いや、何、アイリにも食べさせてやりたいなと思った。あとは、まあセフィを囲いこんどけばケインも俺に従わざるを得ないだろうなと思って」
色々駄目だろ! 被害を俺以外に広げるな! という思いで睨みつければ、肩を竦めて口をすぼめた。
「あと、ヒューもこの食生活を失いたくはないだろうと思って」
「お前、本当に、もう、……腐れ王子め」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言っているからな」
そんなやりとりをしているうちにディノもかなり落ち着いたらしい、あーあとため息交じりに声を漏らしてケインを見た。
「冗談はともかく、この『情報』の報酬は? 言い値で買おう」
「は、あ……」
ディノの切り替えについて行けない様子でケインは気の抜けたような返事をして、すぐに我に返ったように俺とセフィを交互に見てからディノを見やった。
「フィルツの市民権を二人分。俺とセフィの分を発行していただけますか」
「そんなことか」
ディノはあからさまに拍子抜けをして、大きく頷いた。
「俺の配下になるならもっといい思いもさせてやるんだがな」
「それをやめろと言っているんだ」
この二人までボロボロになるまで働かされる未来なんて俺は見たくない。
「市民権だけでいいのか、邸宅もつけるか?」
「いえ、市民権だけで。まだいつ住めるようになるかも決まってないので」
「わかった。また依頼しても構わないか?」
「勿論です。俺としても王子様との繋がりが持てるのはありがたいので」
頭を下げるケインにつられるようにセフィも頭を下げている。
二呼吸おいて顔を上げたケインが浮かべている笑みに、こいつも一筋縄にはいかなそうだなと少しだけ感じた。まあディノ相手にどこまでやれるかはわからないが。
「ディノ、不正はするなよ」
「バレたか」
また書類を偽造しようとしていやがったな。先に釘を刺しておいてよかった。
「ヒュー、復帰後の初仕事だ。市民権の発行、お前がやれ」
「ぐ!」
それを振るか!
面倒くさい手続きのあれこれを思い返して、憂鬱になるのを止められずにテーブルを睨みつけておく。
「わ、かった」
「よし、明日から登城しろ。話はつけておく」
叫び出したい気持ちをこらえ、俺はディノに降参の意も込めて頭を下げた。
忠誠の気持ちはだいぶ目減りしていたように思う。
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