過去2 ⑦あの夜からはじまって、生き延びたから
師匠のところで修復が終わった剣を受け取った。
鞘から引き抜けば、鋭く磨かれた刃が姿を見せる。
「随分早かったですね」
「英雄の形見なんて、そりゃ職人冥利に尽きるんだろうなあ」
俺の手にした剣をまじまじと観察しながら師匠はそんなことをいう。
この国では俺の父の名前は特別である。死してなお憧れる者は後を絶たず、その背を追い続ける。
父が実際に使っていた剣なんて、マニアには垂涎ものに違いないだろう。
「そうだ、師匠。俺、城勤めに戻ることになりました」
「そうなると思った。ま、引退したらまた考えろ。ここを継ぐかどうか」
「だから、娘婿が――」
「カッシュの娘は?」
言葉を遮るように、師匠がセフィの様子を尋ねてくる。
昨日あんな風に倒れたから心配なのかもしれない。
「朝、目が覚めたようですが、少しぼんやりしていたので、会話までは」
「そうか。まあ生きてるならいいか」
災害の話を、ケインにも聞けてなかった。
何となくそこまで突っ込んだ話をしていいのか躊躇う気持ちが強いのもあるし、セフィが怯えていたように見えたから、聞くのが怖いような気がする。
「いつでもここに連れてくればいい。お前の家にずっと置いとくより気がまぎれるだろう」
「そうですね」
ずっと置いておく、わけではない。そのことをすっかり忘れていた。
今は、帰れば当たり前のようにケインがいて、セフィがいて。
だが、彼らは近々ここを去っていなくなってしまう。
そうか、また一人になるのか。
いや、俺は一人じゃない。なんだかんだ言ってディノの面倒を見なければならない。多分家に帰る時間すらもらえないような予感があった。
「お前もな。打ち込み稽古ぐらいなら付き合ってやる」
「そう言って、頻繁に来たら怒るでしょうが」
「当たり前だろう、引退したジジイをどこまでこき使うつもりだ」
声に出して笑う師匠は衰えているとは全然思えないぐらいに強い。
以前だったら、師匠と互角以上に戦うことができたが、今は正直無理だった。俺ももっと鍛えなければならない。これからの為に。
さっそく稽古をお願いすれば、師匠は嫌々そうなふりをしながらも応じてくれた。
夕方前に自宅に戻る。
玄関を開けたが、セフィの出迎えはなかった。
小さく息を漏らして、気が進まないまま一階にある食堂ではないもう一つの部屋へと向かって足を踏み出した。
ケインとセフィには絶対に入らないようにと言い聞かせている部屋だ。
ドアノブに手をかけて、一瞬だけ躊躇う。
忘れていた震えが全身を襲う。この部屋に入る時に覚えるのは恐怖だった。
付きまとう恐怖心を自覚しつつ、「受け入れろ」と自分に言い聞かせ扉を開いた。
最後に見た時と同じように、整えられた部屋。床にも置かれた作業用の小さなテーブルにも、本棚にも埃が積もっているが想定内だ。
この埃が、ここに誰も立ち入っていないという証のように感じられた。
あの日から変わることのない。俺と一緒に立ち止まっている場所。
あの夜、何連勤だったのか、とにかく久しぶりに自宅に帰ってきた俺を迎えたのは小さな違和感だった。
木の軋むような音がかすかに聞こえていたんだったか。
違和感に気づかなかったことにして寝てしまえばよかったのか。
それとも違和感の在り処を探ったことで、母を発見することができたことを不幸中の幸いと言っていいのか。
長時間母が吊るされたままだったらと想像するだけで寒気がくる。
違和感を追って、天井に渡っている梁に引っ掛けられたロープで首を括って吊られていた母を見つけたときの衝撃は、忘れていない。
足元に転がっていた丸椅子は、今部屋の隅に寄せているだけでまだ存在している。
木の軋むような音は、引っかけたロープが食い込んでたてていたかすかな音であった。
あまり長い時間が経過していなかったのが幸いしたのか、目を背けたくなるほど遺体の損傷は激しくなかったと思う。半ば錯乱していたからこの辺りの記憶が曖昧だ。
ただ、下に降ろした時、母はもうこと切れていた。それはしっかりと認識できた。
認識した瞬間、絶叫していたのだと思う。自分の喉が震えていたのは憶えている。
覚えていることと、記憶から消されていること。あの夜の出来事は混濁した記憶の中に沈んでいる。
わかっているのは、母親が亡くなったこと。
自死に見せかけて、殺されたこと。
息を止めてしまっていた。
意識して息を吐き出す。目を閉じながら大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
大丈夫だ。今度は叫び出さなかった。
故郷を出る前に、最後に訪れたこの母親の私室で俺は叫び声をあげて、それで逃げ出したのだった。全部を捨てて。
戻るとも戻らないとも、その時には何も思っていなかった。
戻らないと思ったのは、深酒をしばらく繰り返してからだ。死んでもいいと思って。でも死んでいなかった。
「……絶対に逃がさない」
生きて戻ってきたからこそ、そう思う。
母を死に追いやった奴を、絶対に許さない。
恐怖を決意に変え、俺は母の私室を後にした。
とりあえず何かを食べようと食堂に向かえば、ケインがいつの間にか帰ってきて食卓に座っていた。
残っていたパンをかじりながら、テーブルに置いた用紙に熱心に書き込んでいる。
気配で俺がいることに気づいたのか、顔を上げずに手を挙げて応じた。
「これさ、王子サマの依頼なんだけど。なあ、ヒュー、いいのか? シーゲル家ってさ――」
「俺の元恋人、ミルドレットの夫の家だな」
「恋人を略奪されたって?」
冗談でも言う様にケインは軽い口調で問いかけて来るが、下を向いたままの顔の頬が少しだけ引きつっているのがわかる。
表情に出せる分素直と言っていいのか何なのか。
「それを探るのはお前の仕事だろ」
「捜索手段の一つが聞き込みだし」
ケインの言うことは一理ある。
納得して、俺は続きを口にした。
「フローレス家の当主、ミルドレットの父親が、俺を見限ってシーゲル家と娘の縁談を結んだんだ」
「それで、引き裂かれるように別れた、と?」
ケインは少しだけ遠慮がちな雰囲気をにじませながらもその問いを口にした。
「もともと、破綻しかけていたんだ。だから、シーゲル家が絡まなくても破局していたと思う」
「あのさ、答えなくてもいいけど、一応聞いとく。破綻って、きっかけはあったんだろう? 何があったんだ?」
気を使ってそう言ってくるケインを一瞥し、その回答をするかしないか少しだけ迷った。
隠すことでもない。調べればすぐにわかることでもある。
「母が、亡くなって、手続きやら片づけやら葬儀やら、やらなければならないことが積もり積もって、彼女に会う時間が取れなかった」
「そう、だったのか」
普通に考えれば遠ざけられていると受け取っても仕方ない。
ただ母が亡くなって、自死と断定されて、躍起になってそれをひっくり返そうとして叶わなくて。それで疲弊しきっていた。何も考えられないほどに。
ミルドレットのことを、思っていても、「今は会えない」と頑なになっていた。
無念を晴らせない俺が彼女に会う資格はない、なんて、後からどれだけ自分が愚かだったのか思い知った。
彼女の抱いていた寂しさに気づくことなく、関係は歪みきってしまっていた。
そして、シーゲル家の長男を引き連れて俺の前に現れて、彼女は俺に別れを告げた。
「シーゲルと結婚して間もなく、ミルドレットは死んだ。病で倒れてあっという間だった」
「それって、ヒューの元カノは――」
「娘の死後意気消沈した豪商フローレス当主も、療養という形で街を出ている。――生死は不明」
今現在フローレス家の実権を握っているのは、シーゲル家の現当主、ミルドレットの夫だった男の父親である。
怪しすぎるほど怪しい流れだった。
「だが、探っても何も出てこない」
俺だって何もしなかったわけではない。伝手を使ってあの家に探りを入れたことはある。
何もつかめなくて残ったのは歯がゆい思いだけだった。
「豪商フローレス家って、俺の先生の後援者だったんだ。代替わりして援助が打ち切られたって聞いてたけど、そういうことだったのか」
ミルドレットの父親は『死の商人』と呼ばれるほど清廉潔白とは程遠い人間だったが、学術に造詣がある人間だったように思う。
他にも画家や、学者の卵なんかも同じように援助が打ち切られたようだった。
「そっか、成程。参考になった。悪い、軽率に聞くべきじゃなかった」
ようやく顔を上げて、申し訳なさそうに眉を下げるケインに、気にするなとも言えず、ただ首を横に振るだけにとどめた。
覚悟を決めると宣言したから、向き合わなければならないのはわかっている。
でも、ミルドレットや母のことを口にするのはモヤモヤとした感情に支配されそうな感じがして苦しい。
「ディノの依頼なんて受けなくてもいいぞ。あいつは暴君だし」
モヤモヤを振り切ろうと話題転換を図ろうと、ケインに一応言っておこうと思っていたことを告げた。
昨晩の傲慢さを思い出して、うんざりした心地になる。これもあまりよい感情ではない。
ただ、ケインがこのままあいつに取り込まれるのも気の毒に思えた。
懐に入れれば、
「暴君? 賢君だろ、どっちかっつったら」
ケインのセリフは、ディノの外面に対する評価だ。
長く病床に伏す国王に変わって善政を施す賢王子だと。長年虐げられていたと言っても過言ではない俺からすれば「どこがだよ!」なわけだが。
「あの王子サマの目指しているものって、王制の廃止なんだろ」
「あ、ああ」
少し驚いた。俺や母といったかなり近いものにしかその理想を明言してなかったはず。
「生涯独身を表明しているのは、跡継ぎを作らないことで、自分が最後の王になろうとしてる、違うか?」
「そうだ」
「周辺を王国に囲まれている中、どこから共和制なんて発想が出てきたのかはわかんねーんだけどさ」
独立したばかりのフィルツは脆弱で、何度もラグエドに取り込まれそうになりその度に戦が起こった。
俺たちが幼い頃はラグエドとの大きな戦の真っただ中だった。
ディノは王族として、その戦争をどう眺めていたのだろうか。
結局、戦争は俺の父という英雄の台頭をきっかけに終戦を迎えた。
確立したフィルツという国は、国土が小さく、称号ばかりの貴族が威勢を振るっている。国王の権力をも奪い取る勢いで。
それに反抗しているのがディノだ。
どうしたら貴族の力を押さえつけ、国民が飢えることなく、幸せを追求して生きられるのかを貪欲に学んでいた。
「それこそ、砂漠の民の知識だったりしてな~」
ケインは冗談めかして言って、鼻で笑い飛ばした。
自称砂漠の民なのに、こいつも知らないのだろうか。
「なんで『砂漠の民』であるお前が知らないんだよ」
「そういう『情報』は共有されてないからな~」
「そもそも、本当に砂漠の民なのか?」
「俺? そうだよ。俺は砂漠の民の末端。あちこちで『情報』を集めて、砂漠の民に共有する。言うならば斥候的なもん」
あまりにもあっさりと教えてくれたので拍子抜けしてしまった。
「まあ、突っ立ってないで座れよ。自由の国っつってるけど、面倒くせーよな。この国。王をなくした共和制なんて絶対に受け入れらんねーぞ。貴族に権力が集まってるこの国じゃ」
「共和制?」
「平たく言えば王制をやめて、みんなが平民になって、その平民の中から代表者を選ぶって政治制度」
ケインに促されるまま、椅子に腰かけると、ケインはパンの入った紙袋を投げつけてきた。
食えということだろうか。適当にパンを一つ取り出して噛みつく。
「でもそれは建前上の話。多分すぐに実現は無理だな。時間をかけて少しずつ変えていくしかない。時間の経過の中で独裁者みたいな奴が出てきたら礎を敷いてもひっくり返るからな。慎重に仕組みを作らなきゃならねーことだけはわかる」
「それがディノが目指すものなのか」
それは貴族第一主義派から嫌われるはずだ。
特級階級を奪われてしまうのだから。
そんな根本的に全てをひっくり返すような改革は、成功するのだろうか。
「でも、どんなに困難でもやるんだろうな、あの王子サマは。そういうとこすげえって思うし、素直に尊敬するけどな」
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