過去2 ⑥表敬訪問

 仮にも王子がふらふらするなよ、と睨み付けても全く堪える風もなく「ここは久しぶりだが落ち着くな」とこぼした。

 お忍びで何度も来たことはあった。だがそれは護衛が付いていての話。今は護衛がいる気配すらない。

 本当に一人でぶらりとやって来たと思われる。

 そしてこの感じからいって、これが初めてではないのだろう。多分何度も同じことを繰り返している感じだ。


「王子、殿下!?」


 自分で見ているものを信じられないという様子でケインは大声を上げて立ち上がった。

 俺とディノの顔を指さしながら見比べて、ディノを凝視した。


「えーと、ヒューとはどういうご関係で?」

「ヒューの母親が俺の乳母なんだ。つまり乳兄弟。弟が世話になったみたいだな、フィルツ第一王子のディノだ」


 ディノが差し出す手をケインが握って握手を交わす。


「あ、ええっと、俺――自分はケインと申します」

「気にするな。普段通りで頼む」

「はあ、ヒューに世話になってるのは俺の方なんで、なんつーか、お世話になってます?」

「ケインはこの辺りの人間じゃないな?」

「……隠す必要もないんで言いますけど、通称『砂漠の民』ってやつです」


 ……やっぱりこいつ、砂漠の民なのか。

 驚きは内心にとどめて、ケインと握手を交わしているディノを見やれば、愉快そうな表情を崩さず真っ直ぐにケインに視線をやっている。


「あ、でも俺、専門が商人でも技術でもなくって、単なる出稼ぎなんですよ」

「へえ」


 同時に二人は手を引っ込めて、お互いに探りあうような視線を送り合っている。

 ……何となくこの二人、雰囲気が似ているような気がする。


「この地に何をもたらすんだ、砂漠の民?」

「俺が扱っているのは、まあ『情報』ですかね」


 ケインの目の色が少しだけ変わる。

 警戒を緩めず、ディノを見る目は真っ直ぐでそして真剣だ。


「情報、か」

「でも、安売りはしないので」

「なるほど。じゃあ、言い値で買おう。一つ情報を売ってくれ」


 真剣なケインに対するディノは笑みを浮かべるほどの余裕がある。

 これは、結構お気に召したのかもしれない。ケインの言動も、態度も。


「シーゲルという家名の貴族の情報を売ってくれ」


 その名前にケインは一瞬俺に視線をよこした。――この反応、こいつは知っているんだな、と俺が悟るには有り余るほど十分な反応だった。


「なるほど、期待できるな?」

「三日、いや二日いただけますか」

「わかった。また来る」

「来るな」


 思わず口を挟まずにはいられなかった。

 来るならせめて護衛を連れてこいと言いたい。


「乳兄弟がうるさいからそろそろ城に戻るか」

「城までは送る」

「過保護だな、弟」


 俺の方がディノよりも五日早く生まれているんだが。

 それは何度も言っているし、抗議したところで変わらないから、言うだけ無駄だった。

 立ち上がれば、ディノはマグカップのお茶を飲み干してから席を立った。




 辺りに神経を張り巡らせながらも城までの道を行く。

 もう十年以上も通い詰めている道だ。迷うことはないし、違和感があればすぐに気づくだろう。


「もう戻らないと思っていたから、帰ってきて驚いた」

「悪かったな」


 戻ってくるなと言わんばかりのディノの言葉に、厭味を込めて詫びる。


「戻ってきたらこき使ってやろうと思っていたから、逃げるチャンスを失ったな、ヒュー」

「退職願いは提出済みだ」

「握りつぶしているに決まってるだろ。休職願いも偽造した」


 やっぱりこいつやってたな。

 何となく、そんな気がしていたからそこまで驚くことはない。


「偽造はやめろ」

「……戻ってきたんだったら、俺に一生の忠誠を誓え」

「ああ」


 元々、そのつもりだったんだ。ディノの力になろうと思っていた。それは兵士になったその時からずっと決めていたことだ。

 だからそれに頷くのも躊躇いはなかった。

 ディノも当たり前のように受け入れた。


「さすがに下級兵士のままじゃないよな」

「当たり前だ。昇進試験は受けさせてやる」

「あっさり許可するんだな」


 その理由は、聞かなくてもわかっていた。


「そんなに俺に結婚させたくなかったのかよ」

「フローレス家の者と縁付くのは賛成できなかった」


 あっさりと本音を暴露するディノに文句をいう気すらわいてこないのはなぜだろうか。

 もう全てが終わっているからか、それとも俺が諦めてしまったからか。


「これから先、貴族連中がお前と縁付かせようと親戚の年頃の娘を押し付けようとしてくるぞ。取り急ぎ、適当に従順な平民の娘を嫁に貰っとけ」

「はあ?」

「何も知らない、家を守ってくれるタイプの女がいい。さっさと結婚しろ」


 何を言われても怒らないだろうと予想していたが、今の言葉にはさすがにかちんときた。


「俺は、結婚なんかしない。あんな思い二度としたくない。一生一人でいい」


 言い切れば、ディノの冷めた目が俺を見上げているのがわかった。

 ここでディノが何かを言い返してくれば口論になることは必須だ。


「好きにしろ。一人で寂しく死ね」

「ああ、好きにする」

「どちらにしろ、お前はフローレス家の娘とは徹底的に合わなかったんだ。お前が一番参っている時に、誰かにすがりたい時に、寄り添えない人間と、お前は合わない」

「俺が」


 さっきから、ドニといいディノといい、どうしてこうも人の傷を抉ってくるのだろう。

 もう彼女はいない。彼女からの抗議はない。だが彼女を悪く言うつもりは全くなくて。当たり前だったから、とかそういうぐだぐだとした言い訳にもならない思いが溢れると気持ち悪くなる。


「俺がしっかりしていなかったから」

「できない。あれで正気を保てる人間なんていやしない!」


 当時の俺の心境を、多分一番理解できるのはディノだ。認めたくはないがそれは間違いない。

 だから、こんなに感情的にまくしたてられても、違和感を覚えることもない。


「だから、さっさと心の預けられるところを見つけろ。英雄の血を引き継ぐ者はいた方が都合がいい」


 父と母のことを思えば、ディノの言いたいことぐらい理解はできる。


「そんなに器用に生きられないんだよ、俺は」

「知ってる。でもせめて努力をしろ。俺の片腕になるんだったら」


 とてつもなく、困難な課題を投げつけてきやがった。正直うんざりだ。


「もし考えが変わって結婚したくなったら、まず相手に会わせろ。 見極めてやるから」

「余計なお世話だ!」


 それは過干渉だ。抗議をせずにはいられない。

 例え本当の兄弟のような存在であっても、それは踏み入って欲しくなどない。


「あまりあれこれ言われるのも窮屈だろうなと思って割と好きにさせていたら、いつの間にか出奔しやがったからな、二度と逃げられないように雁字搦めにしてやると決めた」

「やめろ。考え直せ」

「あんな思い二度としたくないと言ったな。俺もあんな思い二度としたくない。頼りにしていた奴にあっさり逃げられるなんて」


 ディノの言葉には怒気が込められているのがわかる。

 寂しいとか言うような奴ではないとは知っていたが、俺が逃げたことを裏切りだと思っているのかもしれない。

 

「……ディノ、世間じゃそれを我儘と言うんだ」

「子どもを諭すような口調で言うな。これは我儘じゃない。権利だ」

「横暴が過ぎる」


 いつもの会話、というよりはやや棘がある言い合いにいい加減疲れてきた。

 怒っているわけじゃないし、ディノのやっていることは冷静に考えれば酷いとは思うが恨むつもりもない。


「覚悟は決める。なるべく努力もする。だから過干渉はやめてくれ」


 きっぱりとはっきりした口調で、ディノにそう告げると、ディノは俺を鋭い目で射抜いたが、ややあって息を吐いて、視線を下へと向けた。

 もう城が見えてきた。

 正門手前でディノは足を止めた。


「母さんは、自殺じゃない」


 ディノが「母」と呼ぶのは、産後の肥立ちが悪く、ディノが生まれてすぐに亡くなった王妃殿下ではない。

 彼が呼ぶ「母さん」は育ての親である乳母、つまり俺の母親だった。


 母は、あの日、自宅の自室で首を吊って亡くなっていた。

 帰宅した俺が見つけた時には既にこと切れていて――


「知っている。自分で死を選ぶような人じゃない。だからそう証言した」

「だが、俺のところに上がってきた報告書には、ヒューの証言はなかったことになっていた」


 それは俺も知っていることだった。

 母親の死、その時から俺は俺でなくなっていった。途中までは墜ちてたまるかと矜持を保っていた記憶はある。

 母が自死したことになって、ミルドレットが去り、そうしているうちに、正気ではいられなくなって、そうして気づいたら俺はああなった。


「母さんは殺されたんだ」

「……」


 そんなことを口にするな、とディノを咎めることはできなかった。

 俺も最初からずっとそう確信があった。

 母親は殺された。一体誰にか、は、証拠はないがなんとなくわかっている。わかっている気になっているだけかもしれない。それぐらい曖昧で確信はない。


「ヒュー、ケインに頼んだシーゲル家の報告、結果が出たらお前が先に聞いてもいい」

「あの家を疑っているのか」

「お前の心から愛する女を奪ったあいつの家、少なくとも一枚嚙んでいると思う」


 調べることで、芋づる式に何かが出てくればめっけもんだとディノは言う。だがそんなにうまくいくのだろうか。


「ディノ、俺は貴族じゃない。貴族称号を国に返還した」

「……お前は、俺を誰だと思っている?」


 ラグエドと異なり、国土自体大きくないこの国の貴族は領地を持たない。国務関係の仕事に就きやすかったり、税金の免除など市民よりは優遇されている部分は多いが要するに称号でしかない。確かに、庶民よりは資産も多い。

 商売に失敗して、我が家のように没落する貴族も珍しくはない。

 そう言った場合に、書面のみで称号を返還することも可能。

 

 というか、こいつまたやってるのか。


「それは犯罪じゃないのか」

「お前は現在リヴァロス家の当主だ。あの英雄を生み出した名家のな」


 しかも、当主になっているとは。

 いかにもディノのやりそうなことだとは思う。


「公文書偽造は犯罪だ。無効だろ」

「家名は持っておけ。まだ使える。俺が使う」


 本当に、こいつは、どうしてこうまでも傲慢なのだろうか。しかも俺に対してだけ。

 答えは、わかっていた。家族のようなものだからだ。

 こいつがどんなに偉い奴でも、俺がこいつを家族のような身近な人間だと認識しているように、こいつもそうなんだろう。


「父はもう長くはない。もう少しあれを隠れ蓑にして自由に動きたかったが、俺もそろそろ覚悟の決め時がきた。だから」


 病いに倒れた国王が長くないのは、かなり前から言われていたことだ。

 代行としてディノが勢力を伸ばしていたのは周知の事実。

 そのディノからはっきりと「長くない」という単語が出たということは、本当にその時が近いのだろう。


「力を貸せ。俺の盾になり、剣となれ」

「……承知した」


 新しい時代の息吹を感じた。

 変わらないようで、変わっていく世界、か。

 もう、俺も逃げてはいられない。立ち止まることも許されない。


 ディノを真っ直ぐに見て頷けば、やはり満足気な笑みを浮かべていた。


「二日後に」


 正門の兵士たちに声をかけ、正面から城に戻っていくディノを見送って、ようやく呼吸ができたような心持で一度深呼吸をする。

 背中に覚える寒気は武者震いなのだろうか。それとも、嫌な予感めいた何かなのだろうか。

 正確に判断がつかない感覚を抱きながら、帰路を駆け抜けた。

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