過去2 ⑤友情とタイミング

「仕事はいいのか?」

「今日は店休日。仕込みも終わったし、ヒューと飲みに行ったって言や、かみさん――エセルも怒れないだろうし」


 悪企みをしているような笑みを浮かべて横に並んだドニに俺も苦笑いで応える。

 小さい子供がいるのに飲み歩いていいのか、と、誘いに乗るのには少し気が引けてはいる。


「そんなに遅くならないように帰るから、ちょっとだけだよ。子どもたちが寝る前にゃ解散して帰るからさ」

「それなら、まあ」

「久しぶりなんだから、楽しもうぜ」


 ドニに肩を掴まれ引きずられるように店に入った。

 カウンター席に並んで座る。


「どのぐらいぶりだっけ? 二人で飲むの」

「はじめてだ」

「そっか。そうだったよな」


 ケインとはまた毛色の違う強引さだと感じる。

 エールを注文するドニに対し、俺はソーダを注文しておつまみとして出された豆を塩で炒ったものを摘まむ。


「本当に店で飲むなんて何年ぶりだ? いいよな、こういう感じ」

「あと十数年すれば自分の子どもと飲めるだろ」

「そうか、そうだよな。うわ、考えたこともなかった。楽しみだな。頑張って働かないと」


 無邪気にそんなことを言ってくるドニはいっそ微笑ましくもある。

 頬杖をついて、やってきた炭酸水で喉を潤しながら幼馴染を見やる。

 ドニはエールを何口か喉に流し込んで、はあと大きく息を漏らした。旨そうに飲むもんだ。


「俺は、お前が帰ってきてくれてすっげえ嬉しいんだぞ、本当に」


 塩炒り豆を一つ口に入れて、屈託のない笑顔を見せるドニに軽く頷いて、俺も豆を一つ口に放り込んだ。

 そこへ注文していた肉のペーストとハムの盛り合わせが運ばれてくる。一緒に皿に乗せられたクラッカーに乗せて食べる。

 さくっという歯ごたえと、がつんとくるしょっぱさを味わい、炭酸水を飲む。多分酒が進む味だ、これは。

 何となく、どうでもいい世間話を交わしながらも、ドニは二杯目を注文した。


「かみさん、エセルは絶対に言うなって言ってるんだけどな。あいつ、お前がミルドレットと別れた時に、ミルドレットと絶交したんだよ」

「は?」


 突然そんな話題が出てきたことに驚いて、間抜けな声を出してしまう。


「お前との絆を取ったんだよ。親友じゃなくて」


 ミル――ミルドレットと、エセルは学生時代、大親友としても過言でないほど親交が深かった。それは卒業したあともずっと続いていたように思っていたが、そうじゃなかったってことなのか。

 だとしてもなんで今更そんな話をしてくるのか、思惑がわからずただドニを見た。


「ミルドレットの葬式ん時、お前の憔悴しきってる様子に、何にもしてやれなかったって、ずっと後悔してた。今でも十日に一度ぐらいはその話題口にだしてて」

「それは、エセルが気にすべきことじゃない。俺は」

「わかってても、気になるだろ。俺もさ、自分のことで精一杯でお前のことなんて気にしたことなかったんだよな。別れたって聞いても、まあヒューなら平気だろうって」


 それはドニの反応の方が正しい。

 誰と誰が付き合おうが別れようが、目の前にやるべきことがあるのならば気にしている余裕なんてなくて当たり前だ。

 ドニもエセルも恨む気なんてなかったし、むしろ、見限られて当然だと思っていた。


「ミルドレットが裏切ったのを、エセルは絶対に許さなかった」

「裏切ってない!」


 思わず、強い口調で否定してしまう。

 彼女が裏切ったわけじゃない。むしろ――


「俺がしっかりしていなかったから、諦めたから、結果そうなっただけで、ミルドレットは何も――」

「はあ」


 ドニは呆れたようにため息をついた。そして同じように呆れたような視線を俺に向ける。


「お前を切り捨てて、別の貴族の家にさっさと嫁いでったミルドレットを悪く言う奴はこの国には多いぞ。だから、葬式だってあんなに――」

「やめてくれ」


 聞きたくない、と首を振ればドニも口を閉ざす。


「出奔したお前を馬鹿にするような奴はこの街にはいない。同情されてんの、わかってんだろ」

「わかっては、いる」

 

 ここが、故郷の居心地が思った以上に悪くないのは、皆が同情していて放っておいてくれているから、というのは肌で感じていた。

 会えば大抵「よかった」と言ってくれる昔馴染みや、旧知の間柄にある人々。ありがたいが、彼女が悪女呼ばわりされているのを耐え続けるのはつらい。


「ヒュー、あん時さ、おふくろさん亡くして間もなかったんだろ。だから、お前も悪くない。悪かったのはそう、タイミングだ」

「タイミング、か」

「一応、経験者からのお言葉として、聞き流してもいいけど、聞け。結婚って結局は勢いとタイミングだぞ」


 いきなり何を言い出す? 反射的にドニを睨みつけてしまい、たじろいだ様子にすぐに目を逸らす。

 飲んでいないのに、少しだけ酔っているような感覚になってしまっているのは店の雰囲気なのか。


「つーか、タイミングさえ合って、勢いがあれば。誰でも結婚できると思う」

「誰とでもか」

「おう、逆にそれがなきゃどんなに縁が深くても結婚できねーよ。ヒューに足りないのは、勢いだな」


 勢い、か。痛いところを突かれた気分だ。

 どこか及び腰になっていたのは、自覚がある。原因もわかっている。


「出世したかったんだ」

「あーだよな」


 思わず本音を口に出せば、「わかるわかる」と何度もうなずいてくれるドニは本当にいい奴だと思う。

 そうだ、権力が欲しかったんじゃない、欲したのは安定した給料だった。

 金もない状況で、結婚とかどうこうできると思っていなかった。

 安定するその未来までが訪れるまではと、先延ばしにしてしまっていた。

 そしてその未来は訪れなかった。そういうことだ。


「多分、ヒューの場合はあれだ、ディノが……ディノ王子が邪魔してたんだろ」


 この国の王子は、小さい頃に身分を隠して下町の腕白坊主たちと遊び回っていた過去がある。

 その王子と遊んでいた腕白坊主のうちの一人がドニであり、俺である。

 だから、かつての腕白坊主たちの間では今では王子のことを気安く呼び捨てで呼ぶし、敬語も使わない。


「あいつ、ヒューを結婚させたくなかったんだと思うぜ」

「それが正解だろうな」


 わかっていて、でも認めるのが嫌で、ずっと目を瞑っていたが、それを認めなければ先には進めない気がした。

 全部はディノの思惑の上、か。

 認めてしまってもそこまで嫌な気分でもなかった。やはり自分の不甲斐なさが情けないだけだ。


「ま、それはさておいて、うちのかみさんの厚い友情を知っておいて欲しかったんだ」

「わかった。感謝してる」

「俺たち四人でつるむこと多かったからさ、学生時代を思い出すと楽しかったーって気持ちより切なねえなあって気持ちが強くってさあ」


 楽しい思い出、懐かしい思い出、そういうものであってほしいのに、とドニは嘆いた。


 まだ小さい頃から付き合いがあるドニとエセル、エセルの親友のミルドレット、そしてそのミルドレットと付き合っていた俺、学生時代は一緒に過ごすことが多かった。

 今思い返してもそれは穏やかである意味幸せな時間だったのだろう。

 戻りたいのか、と聞かれたら、どうなんだろう。

 ハムをフォークで刺して食べる。


「よし、もう一杯飲む。で、終わりにするから、付き合えよ」

「ああ」


 後は核心をつくような話は止めて、最近街での出来事や噂話を教えてもらいながら最後の一杯を飲み干した。


「っかー! いいよな、こういう大人時間ってのも!」


 店から出るとドニは大きく伸びをした。


「俺って、これから先ずっとパンを焼いて生きていくことが決まってて、その道は大きく外れることはなくってさ」

「わからないだろ。パン屋をやめるかも」

「冗談でもやめろ。俺、命賭けてんだ、この生き方に」


 真顔で言われて閉口する。冗談でも言うべきことではなかった。

 

「学生時代だったらそんな固定された人生なんて冗談じゃねえって思ったんだろうな、俺の性格上。だけど、全然絶望とかじゃなくって、同じのようで、同じ日々はないわけよ。子どもも日々大きくなっていって、変わらないようで、変わってく」

「そうだな、帰ってきて、それを一番感じた」

「けどさ、こうやってヒューと飲みかわして、やっぱ俺変わってないんだなって確認できたっていうか、楽しかった。だから、また飲もうぜ! 今度は他の奴も誘ってさ」


 変わっていく中で変わらないもの、か。ドニのその言葉は俺にもそれを再認識させるには十分で。

 こっそりと息を吐く。嬉しいのかもしれない。何だかうまく表現できない。


「あ、そうだ、もう一つ言っとく。俺はかみさんと同じで、お前の味方だ」

「ドニ」

「こんなの素面じゃ言えないからな。忘れんなよ。ずっとずっと味方だ。自分を責めるなよ。タイミングが悪いだけ、だし!」


 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに吐き捨てると、じゃあな、と手を振ってドニは去って行ってしまった。

 なんなんだ、あれは。俺も呆れるしかない。

 まだ宵の口だった。が、もう帰ろう。

 正直どういうリアクションを取ったらいいのかわからない。



 * * *


 

 自宅に戻った俺を迎えたのはケインだった。

 セフィは起きてはいないらしい。

 昼間のセフィの言葉についてケインには色々聞きたいと思っていたことがある。

 だが、それを口にするよりも早くケインが言った。


「客が来てるぞ」

「客?」


 自宅にまで尋ねてくる人物というと、様々な顔が思い浮かぶ。

 俺がここにいることは広く知られているわけだし。

 食堂で待ってもらっている、と言うケインに頷いて一直線にそちらに向かう。

 

 

「よお」


 当然のようにテーブルを囲み右手を挙げるその顔に、思わず利き手で顔を覆って深く深く嘆息をもらしてしまった。


「何をやってんだ――おられるんですかねえ」

 

 怒気が声にこもるのも仕方ないと思う。

 なぜ一人で?とか、なぜこんなとこに?とか、さすがに言葉遣いは途中で改めるぐらいの冷静さは持ち合わせていたが。

 

「はい、お茶お待ち~」

 

 場の雰囲気など全くよまずにケインがマグカップを俺たちの前に置くと、自分の分を持って空いている椅子に腰をおろす。


「どうぞ、続けて」


 そんなマイペースなケインに愉快そうな笑みを浮かべ一瞥すると、その人物は俺に視線を戻す。


「何をやってって? 表敬訪問?」

「こんな夜更けに?」

「色々な意味でこの時間の方が動きやすい」


 知ってるだろう?と言われて頭がくらくらした。


「一人で?」

「勿論」

「本当に何考えてん――何をお考えなんですか、王子殿下!」


 いつもの調子で怒鳴りつけそうになって、再び言葉を改めて言い直す。

 そんな俺の様子が可笑しかったのか小さく吹き出して、王子殿下は誤魔化すように咳ばらいをした。

 その態度は変わっていない。だが、こいつは王子殿下で、俺はただの平民。以前とは大きく関係が変わった。

 

「前みたいにディノでいい。 少しはマシな顔になったな、ヒュー」


 昔から変わらない、嘘っぽい笑顔でその人物、ディノは口元だけで笑った。

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