過去2 ④真実なのかそれとも

「きれい……」


 翌日、さっそくセフィを散歩という名目で外に連れ出してみた。

 水路と並行する街路を辿り、街の中心に位置する王都の象徴的な噴水広場まで歩く。

 噴水を目の前に、セフィはぽつりとそう漏らした。


 ここフィルツ王国の首都が水の街と呼ばれるのは、街全体を巡る水路が整備されているからだ。

 各家庭にも水道管が通され、わざわざ共同水道までいかなくても家で水を使用することができる。

 排水は地下水路を通って、浄化されて川へと排水されているらしい、が詳細はよくわからない。


「郊外に雨水を貯めてある貯水池があって、そこから街全体に水を流しているらしい」

「雨……。……川から水を引いているんじゃないんですか?」

 

 何となく解説をすれば、ぼんやりとした口調で問い返されてしまった。

 

「雨も降るし、河川から引くには大工事になるからってどこかで聞いたな。貯水池をいくつか作った方が効率的だとか」

「貯水池……」

「見たいのか?」


 何となく興味がありそうな感じがしたので聞いてみれば、セフィは大きく頷いた。



 郊外の貯水池までやってきた。

 中に入れないが、セフィは細かく移動して角度を変え熱心に池を眺めている。

 観光ってこれでいいんだろうか。


「オーバーフロー管……みたいなのついてる……、雨水枡の応用……このまま、街の中に流して……」


 何か小声でぶつぶつ言っているが聞き取り切れない。

 ただものすごく好奇心が刺激されているのだということは伝わった。

 多分、連れてきてよかったんだと思う。何か、同じような年頃の娘が喜びそうなところは外していることはさすがの俺にもわかったが。


「……雨水の水量だけじゃ……水圧が足りないはず……?」


 しばらく何かを呟いていたセフィだったが、我に返ったようで大きく首を横に振って俺の方へと振り返った。


「連れてきてくださって、ありがとうございました」

「ああ。もういいのか」

「はい」


 頭を下げて礼をするセフィに聞いてみると、セフィは頷いて応じた。

 想定以上に遠くまでやってきてしまって、これからどうすべきか少し悩む。


「近くに俺の剣の師匠がやっている道場がある。顔を出そうと思うがセフィも行くか」

「……はい、行ってみたいです……」


 年頃の娘にその提案はどうなんだろうと自分でも疑問には思ったが、躊躇いなく提案に乗ってくるセフィもちょっとだけどうなんだ、と思う。

 だが誘っている俺が言えた言葉でもないからそれは口にしない。

 

「ケインに聞いたんだが、セフィの家も道場なのか」

「……いえ、父が道場を持っていて、家はごく普通の民家です……」


 住むところと別に道場があるのか。

 師匠のところは住居も兼ねているので、稽古が終わったあと師匠父娘と共に夕食を食べたりすることもあった。その娘には弟子全員がこき使われて泣かされることが多かったから、いいんだか悪いんだか。

 住むところが別ならばプライベートが守られるのか。そういう形だったら、泣かされることもなかったのかもしれない。

 貯水池から師匠のところへと足を進めながら、そんな会話を交わす。

 何だか今日のセフィはいつもよりもしっかりと意識を保っているように思えた。


 


「ヒュー、お前なあ」


 セフィを連れて、師匠の寛ぎの空間に顔を出せば、開口一番苦情めいた声が出てきた。


「逢引すんならもっと適した場所があるだろうが」

「家で預かっている客人です」

「若い娘が喜ぶようなところじゃないって言われなけりゃわからんのか」


 さすがに色々鈍いと言われていた俺にだってそんなことは承知だったし、本当にいいのか? と疑問にも思っている。

 ただそのセフィといえば、俺と師匠のやりとりを意に介さない様子で物珍しそうに辺りを見回している。


「……あ、あの、お邪魔、します……」


 俺の視線に気づいたのか、セフィは慌てて師匠に頭を下げる。

 師匠は師匠で若い娘に敬意を示されれば悪い気はしないのだろう。少し剣呑だった空気が和らいだのがわかった。


「あんまりおもしろいもんはないだろうけどな……?」

「……いえ、広くて、羨ましい限りです」

「!」


 師匠は何かに気づいたようにもう一度セフィを凝視して、すぐに俺に視線を向けた。


「あれは、どうしたんだ?」

「何かがあったようなんですが、詳細は聞いていません」


 セフィの表情の乏しさに気づいたのだろう。

 正直に答えると、師匠は少しだけ眉根を寄せて顔を更に顰めた。


「……なあ、お嬢さん、カッシュという名の親戚がいたりしないか? 刀を使う男だ」


 刀? 短刀を振り回していたセフィの顔を窺えば、表情のない顔から更に表情を消したような、少しだけ青ざめているようにも見えた。

 知っている人物なのだろうか。


「カッシュは父の名前です……」

「ああ! そうか、同じこと言ってたから、もしかしたらと」

「同じこと?」


 と、俺が問いかければ師匠は口元を緩めて笑った。


「『広くて羨ましい。俺が勝ったらここを貰う』とな」

「道場破り?」

「父が申し訳ございません」


 慌てて深く頭を下げるセフィを止めてし師匠は大声で笑った。


「いや、あの時は若かったから思い切り半殺しにしちまって、俺も大怪我を負った。だが、いい勝負だったし、いい経験だった。今となってはいい思い出だ」


 ……いい思い出か、それは?


「そうか、娘か。よく似ているな」

「似てる……」


 セフィが少しだけ嫌そうなのが気配で伝わってきた。

 やはり娘に「父親に似ている」と言うのは禁句なのかもしれない。

 先日のエセルの様子を思い出して一つ学んだ気分になった。


「あいつは元気でやってるか? もうかれこれ15年ぐらい会ってないが」

「……先日、亡くなりました……」

「そうか……」


 目線を下に落として告げるセフィに師匠も力なくこぼした。


「……病気か、事故か、殺しても死ななそうなあいつがなあ」

「……災害」


 セフィは自分の両手で着用している衣服をかたく握りしめて、絞り出すようにその単語を口にした。

 災害? 何の話だ?


「町、全体が、災害、に見舞われて、それで……」


 セフィの声が震えていた。顔は下に向けたままで表情は窺い知ることはできない。尤も顔を上げていてもあの虚無感しかない表情から心情を探ることは不可能だっだであろうが。


「皆、助からなかった……んです……。父も、同じように…… 」


 そこまで言うと、セフィは突然糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。

 慌てて駈け寄れば、倒れ伏したまま規則正しい寝息をあげている。

 いつもの、か。


「おい、大丈夫か?」

「寝ているだけのようです」

「病気なのか?」

「違うと聞いていますが」


 見る限りは普通に眠っているような感じだが、どこか打ち付けていたりするのだろうか。

 若い娘をあまりじろじろと観察するのは躊躇われて簡単な目視にとどめておいた。

 それにしたって、災害とは何の話だ。町が一つなくなるほどの災害なんて。

 浮かんだのは、流行病だ。

 老いも若いも関係なくたくさんの命を奪っていった恐ろしい病。


「ヒュー、カッシュという奴は大ボラ吹きだった。その娘は?」


 セフィが嘘をつくかどうか、正直それほど関わりは少ない。判断材料は足りない。

 ただ嘘をつくような余裕がないのはわかる。

 連れのケインは事実を煙に巻くような癖があるとは感じているが、この娘はそういう感じはない。

 本当のことすら口にできていない。


「少なくとも冗談を言える状態にはないかと」

「町一つ消えるほどの大災害なんて聞いたことがない」


 確かにそんな災害が起こればどこからか噂の一つぐらい耳に入りそうなものだ。


「もし、その父娘が嘘を吐いていないのであれば、災害で滅んだのは砂漠の民ということになる」

「砂漠の民?」


 なんでここでその商人集団の名前が出てくるのだろう。


「カッシュは砂漠の民を自称していた。死の砂漠からやってきた、と」

「死の砂漠」


 フィルツ南方に広がる、言葉どおり生き物を拒むような灼熱の砂漠だ。

 砂漠の民の故郷が死の砂漠だなんて、どう考えてもあり得ないだろう。


「夢のある冗談ですね」


 砂漠の民が扱うのはまるで魔法のような商品と、この街の水路のしくみのような高い技術力や知識だと聞いていた。

 俺も幼い頃一度だけ砂漠の民に遭遇したことがあったが、本物の魔法使いだと感じたことは鮮明に覚えている。


「だろうな。……だが、俺にはその娘が嘘を吐いているようには見えない。災害というのは一体どんなものなんだ?」


『恐ろしいものだ』


 師匠の自問にも聞こえる問いかけに、あの時のケインの台詞を思い出していた。

 もっと恐ろしいもの。


 セフィの言う災害がそれだとでも言うのか。

 


 

 一旦、セフィを背負って自宅に戻り、彼女を寝かせて再び外へ赴く。

 何か用事があるわけじゃない。だがずっと自宅にいたくないだけだった。

 そんな思春期のガキのようなことを思いながら、先刻訪れていた噴水広場のベンチに座って噴水を眺める。

 小さな人口池の中心に置かれた台の上からふきだした水がボウル状になった台に溜まり、少しずつ池へと落ちている。

 池の水は街を巡る水路へと流れ込む。

 当たり前の光景だ。

 セフィは随分と興味深そうに眺めていたが、何がそんなに面白かったのだろうか。


「おおい、ヒュー! 何してんだ!」


 背後から声をかけられ振り返れば、幼馴染のパン職人のドニが立っていた。


「さっき、ヒューが何か女の子誘拐してたって噂を聞いて」

「どんな噂だ」


 多分セフィを背負っていたのを見られていたのだろうな、と見当がついた。

 どこをどう歪曲したらそう伝わるのか、これだから地元は……!


「身代金の要求?」

「家で預かってる女の子だ」

「ああ、最近お前んちに誰かいるって噂になってたな」


 人というのは噂が好きなだ。特に知っている人間の噂は。そんなことはわかっていたし、別に噂されても困るようなことをしたつもりはない。

 だが、これだから地元の人間っていうのは……!


「それより、もしかしてヒュー、今暇だったりする?」

「ん? ああ、とりたてやらなければならないこともない」

「ほう、じゃあさ、飲みに行かね?」


 親指を酒場の方へ向けてそんな誘い文句を口にするドニに、呆気にとられたまま、とにかく頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る