第三章 過去2
過去2 ①故郷
都市の郊外にあるうらぶれた墓地は、子どもの頃から幽霊が出ると忌避されていた場所だ。
金持ちや貴族などはこの墓地に葬られることを嫌い、同じように郊外にある丘陵地にある墓地を選ぶことが多い。埋葬にかかる費用がこちらとはけた違いとは噂で聞いたことがあった。
一つの墓石の前に立つ。
供えられた花すらない。誰も訪れていないことは一目瞭然だった。
唯一立派に建てられた墓石に刻まれた文字にはすでに苔が生えていて黒く変色している。
我が愛する妻、ミルドレット=シーゲル ここに眠る。
この扱いのどこが”愛する妻”に対するものなのだろう。
シーゲルという家名を持つあの男の嫌味ったらしい顔を思い出して怒りがこみあげてきた。しかし、すぐに俺には怒る資格がないと気づいてしまい、ため息をもらすだけにとどめた。
「ようやく、ここに来ることができた」
正直手足は震えているし、ここに来るまで何度引き返そうと思ったかわからないほど、怖かった。
最後に見た物言わぬミルドレットの姿は目に焼き付いたままだ。
あの時より、落ち着いてはいるが、自制をしていないと叫びだしそうなぐらいは脳内は恐慌状態だった。
彼女は死んだ。
俺とはすでに他人になっていて、それから呆気なく病に倒れた。
だから、今も他人のままだ。
思い出だけは、ある。
いい思い出だからほんの少しだけ悼む気持ちを向けるだけ。
懐かしい同級生への想いとして。
目を背けたまま、足を別の方へと向ける。
それから少しだけ歩いて、だいぶ離れた区画にある墓の前に立った。
遠くから見てもわかった。枯れていない生花がたくさん供えられている。
墓の前にしゃがみこんで、手に持っていた花束を既に置かれている花の横に無造作に置いた。
墓石を見やれば丁度目の高さのところに人の名だけ刻まれている。
アルノルト=リヴァロス
ルーヴィア=リヴァロス
俺の父と母の名前だ。
剣聖やら英雄やら、やたらと持ち上げられている父でさえ、このうらぶれた墓地が最期の地である。
父を慕う母も同じ場所に埋葬してあげたかったから、母もここに眠っている。
沢山供えられている花のおかげで寂しくはないだろう。それだけが救いのようにも思えた。
「母さん」
親不孝だなとはわかっていた。
合わせる顔すらないのに、自分でも厚顔無恥な振る舞いであるとは思う。
だけど来たい気持ちが強かった。家族の眠る場所だから。
何も言葉を発することなく、項垂れたまましばらくそうやって過ごし、それから立ち上がった。
まだ行かなければならない場所はある。
目的地は墓地からはそう遠くない。
大きな広場のある敷地に足を踏み入れる。
広場を突っ切って、建物の中に遠慮なく入る。
建物の中も大きく開いた空間がある。床は磨かれ埃一つ落ちてはいない。
剣術道場である。尤も師範は引退していてここ数年弟子を取っていない。
人の出入りがない道場なのに、こんなにも整然としているのは、相変わらずの几帳面さ故かと胸中で独り言ちて昔の応接間の引き戸を開けた。
「師匠」
「……誰が来たかと思えばお前か」
予想通り師匠が座り心地のよさそうな椅子に腰かけ酒をたしなんでいた。
「お元気そうで何よりです」
できるだけ平坦に挨拶をして、頭を下げる。
義理を欠いているとはわかっているが、ここ一年ぐらいの己を顧みればこのぐらいたいした無礼にはなるまい。
「お前も、思ったよりは元気だな」
「そういえば、ライゼは――あ、いや、怖いんで聞かないでおきます」
「婿を捕えたら帰ってくるだろう。あれも本当に……、お前今フリーだったな」
「怖いから本当に勘弁願います」
早口で師匠の言葉の先を封じた。
師匠の一人娘が出て行ってから久しい。
あれは、俺を含めここに通う連中には大魔王のような存在であったから、出て行った日にここに通う全ての弟子たちが歓声を上げたのは記憶に新しい。
できれば二度と会いたくない。
「で、出奔したと聞いたが、帰郷が早すぎやしないか。ホームシックか」
「早すぎる、というのは、まあそうなんですが」
「遅すぎた反抗期か? そういうのは両親が生きているうちにやれ」
矢継ぎ早に、まるでからかうように言ってくる師匠はいつも通りで安心する。もっと怒鳴りつけられることも予想していたからだ。
「……アルヴァーに会いました」
「あの捻くれ坊主か、懐かしいな」
師匠はそう言って、グラスに注がれた透明な酒を一口あおる。
「どうだ?」と勧められたが丁重にお断りをしておいた。ここに戻る行程でようやく酒が抜けたのだ。あのぼんやりとした感覚に今は戻りたくない。
「元気だったか」
「盗賊になっていました」
「しょうがない奴だな。捕まったか」
「俺が殺しました」
師匠のグラスを傾きかけた手が一瞬止まる。が、一瞬だけだ。すぐに何事もなかったかのようにグラスに残った酒を一気に飲み干した。
「そうか」
グラスを床に置いて、師匠はそれだけぽつりとこぼした。それだけだった。
「おい、ヒュー」
用事は済んだ。早々に立ち去ろうとする俺を師匠が後ろから声をかけてくる。
「城勤め、辞めたんだろ」
「書類が受理されていれば」
退職願は提出している。あれは受理されていると思いたい。
「希望すんならここを丸ごとくれてやるぞ」
「……
「希望すんならあいつもくれてやるぞ」
「それは遠慮します」
冗談じゃない。これ以上馬鹿なことを言い出されてはたまらない。脱兎のごとく逃げ出した。
もう行くべき場所はない。
街へ戻るつもりもなく、近隣にある雨水を貯めている貯水池のある広場へと向かう。
人工的に作られた丘の上に作られた池だ。
あまり人が近づかない場所だ。
ここに貯まった雨水は、この王都全体を葉脈のように張り巡らされている水路を通って王都の外へと排出されるそうだ。
どこか落ち着かない気持ちを抱えながら、近くになぜか置かれているベンチに座って池を眺める。
雨が降っても降らなくても一定量の水は常に貯まっている。どういう仕組みなのかはわからないが。
ぼんやりと眺めていたらやがて日が暮れた。
有意義に過ごしても、ただ茫然と終わっても、時間は平等に過ぎ去っていく。
結局夜が訪れればに居場所はなく、帰る場所は自分の家しかなかった。
ずっと過ごしてきた生家は思い出が掃いて捨てるほどあったが、極力何も考えず玄関の扉を開ける。家の中は暗闇しかない。
灯りの灯らぬ暗いままの自宅からは生というものがすべて取っ払われ、まるで死んでしまったかのようで、見ているだけでも心が騒ぐ。
一度は逃げた。でも戻ってきたのだからと意を決して自宅の廊下へと足を踏み出した。
そういえば家の中はひどいことになっていたのだった。
師匠の道場や自宅とは正反対ともいえるほどいたるところに埃が積もっていたように思う。もしかしたら、雨漏りなんかもしていたかもしれない。
貴族の中では本当に小さい家だが、庶民の家に比べたら大きい。
要するに中途半端な広さだ。一人で生きるには広すぎる。
母が生きていてた頃だって、ほとんどこちらにはいなかったのだからさっさと手放しておけばよかったのに。
今となってはもう手放すことができなくなってしまった。
ある意味負の遺産ではあるが仕方ないのだろう。
暗闇の中で、食堂からおぼろげな光が漏れているがわかった。
歩み寄って、扉を開ける。
「お、帰ったか」
「ケイン」
カンテラを食卓の上に乗せ、食事中のケインがそこにいた。
「もっと明るいのもあっただろう?」
「使い慣れてるのがよくてさ」
カンテラじゃなくて、燭台でもなんでもあるものは好きに使ってよいと言ってあったが、ケインが使っているのは自分で持ち込んできたカンテラだった。
一緒にこの王都まで来てしまったケインとセフィに、自宅を宿代わりに使えばいいと言ったのは確かに俺だ。使用人もいない古い家だし、好きにしてくれていいとも伝えてあった。
まさかここまで気配を消されるのは戸惑いしかない。
「ヒューも食う? 夕食」
食べていた皿を示しながらもケインに問われて、そういえば一日何も食べていないことに気づいた。
「いいのか」
「そのつもりで用意してある」
そう言ってケインは暗いキッチンへと向かった。
その間に、備え付けの戸棚からオイルランプを取り出して火を灯した。しばらく使っていなかったが、問題はなさそうだ。
ランプをカンテラの横に並べて置けば、ケインが皿を二つ持ってキッチンから戻ってきた。
「ほらよ」
ランプで照らされた灯りの中それを見れば、スパイスをまぶして焼いてある何かの肉と、同じくソテーされた根菜っぽい何か、それと丸いパンという意外としっかりした食事で驚く。
「あ、ありがとう、ございます?」
お礼を言って、立ち上がる。まずは手を洗ってからだ。
キッチンに入り素早く手を洗って席へと戻る。
「マメだなー」
パンをちぎりながらケインがからかうように言ってくるが、
「熱病予防だからな」
「へぇ」
もう二十年近く前に流行った熱病で、多数の死者を出したことから、熱病が人から人へとどううつるのか研究がされたらしい。
結果、手洗いが効果的だということで、子供の頃から習慣づけられてきた。
「砂漠の民の知識らしい」
「あ、そっか。聞いたことあるな、そういえば」
独自の技術や知識を誇る商人、『砂漠の民』の名前を出すと、ケインは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐにうなずいて、俺に食べるよう促した。
祈りを捧げてフォークを手に取る。
――普通に美味くて、何かに負けた気分になった。
「これは、ケインが作ったのか?」
「まさか」
あっさりと首を横に振るケインに、だよな、と安堵する。
キッチンも火を使う設備は整っているものの湯を沸かす以外使ったことがなかったはず。調理器具もあったかどうかすら怪しい。
いや、大昔、母がまだ若いころには調理人を雇っていたと聞いたことがあったからどこかにその時代の物が残っていればあるのだろう。
「セフィだ。あいつ器用なんだよな」
まさかのこの家で作られたものだった。
器具は足りたのだろうか。買い足したのだろうか。というかあのセフィが普通に食えるものを作れるのは意外だ。
そのセフィはすでに眠りに落ちているということらしいが。
「美味い」
「伝えとく。喜ぶと思う」
喜ぶ?
まだ彼女の表情の変化がわからないから、想像すらできない。
「俺なんか火のつけ方もわかんなかったってのにさ。使ったこともないってのにさっと点火して」
火の点け方ぐらいは俺にもわかるから、そう難しいものではないだろう。
ケインもセフィのこの辺りの人間ではなさそうだから、コンロも形や仕様が違うのかもしれない。
「んで、ぱぱーっと流れるような手さばきで飯が出来てた。ありゃ見せてやりたかったな」
「へえ。あ、せめて材料費ぐらいは負担させてくれよ」
「宿泊費代わりで。この辺の宿借りるより全然安いし。っても俺何にもしてないけどさあ」
明るく笑うケインはいつもの様子だ。
この家の中にいることが違和感があるといえばそうだが、何となくここで一人ではないことが精神的には楽だ。
「資料をまとめたらネルイに行くからさ、それまで使わせてもらってもいいか。ここならセフィを置いて昼間出かけられるし」
「ああ、好きに使ってくれ」
冷めているものの、肉も野菜も十分に柔らかい。
食べ始めればいかに空腹を覚えていたのかに気づく。
飢えを満たすように無言で食べきった。
「食器も洗っておくから置いといてくれ、だそうだ」
そこまで甘えていいものかと思ったが、俺の表情からそれを読んだのだろう、ケインは大きくうなずいて見せた。
でも洗うのはケインじゃないんだよな……?
ちょっとした疑問は抱いたものの、口に出すまでもない。
食器は流しへ運んでおいて、片づけについてはお言葉に甘えることにした。
ケインにことわって、オイルランプを手に自室へと向かう。
帰りたくなかった場所なのに、帰ってくるとなぜかほっとしてしまう。
今の時期ならば湯を使わなくても平気そうだと水のまま浴びたら少しだけ体が冷えた。
手早く髪の水滴をぬぐってベッドに転がり込む。
疲れていたせいか、昨夜はあんなに気になったカビの臭いを感じることなくそのまま眠りに落ちていった。
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