過去1 ⑩恐ろしいもの

 錯覚か。

 叫び声をあげたアルヴァーの周囲に、突然陽炎のようにゆらゆらと立ち昇る何かが見えた。

 

 ついにアルコールが幻覚を見せたのか。

 目を細めて見てもそれは消えず、大きく広がっていく。

 ぞくっと背筋に寒気が走るのを覚えた。

 幻覚を恐れたのではない。何だ、この感覚。



 ――恐ろしいものだ。


 昨日ケインが口にしていた言葉が頭をよぎる。

 恐ろしいもの。現実にはありえない。幻覚。錯覚。そういう類いではない。

 もっと恐ろしいものだ!

 本能が訴えている。これは何だ!?


 自問を繰り返している間にも、アルヴァーは俺に向かって一歩足を踏み出した。

 反射的に一歩後退する。

 知らず知らずのうちに手が震えていた。剣を持つ手に力が入らない。


 陽炎のようにも見える彼が纏っているそれはどんどん大きさを増していく。

 抱いているのは正体のわからない未知なるものに対する恐れとはまた違う。


 俺は、怯えているのだろうか。


「うるせえ!」


 錯乱したかのようにアルヴァーは一喝した。


「俺は! 俺だ! つべこべうるせえんだよ!」


 ぶんぶんと腕を振り回して陽炎のようなものを振り払いながらも必死にアルヴァーは叫ぶ。


「俺は、俺のままで、俺で生きる! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!!」


 呆気に取られ、俺は暴れているアルヴァーを見ていることしかできなかった。

 乱暴に振り回した腕に、アルヴァー自身に纏わりついていた陽炎が消失していく。

 同時に俺の中の怯えも小さくなっていった。


 正気を失ったようなアルヴァーの目が俺を射抜く。

 同時に彼は襲い掛かってきた。振りかぶった剣は大きく空振り床を強くたたきつける。


「アルヴァー!」


 呼びかけるが、反応らしきものを見せずアルヴァーは再び剣を振り上げる。


「待て!」


 力が込められてはいるものの一挙動一挙動が大きく、避けるのは容易い。

 軽く左右に跳びながらそれをかわしアルヴァーへと呼びかける。

 声には応えずこちらを見据える彼の鋭い目つきの中には狂気が窺える。

 一体、何がどうなっているんだ。


 小さく舌打ちし手にしていた剣を下に置いて、ぶら下げたままにしていた鞘を手に取ると再度大きく振りかぶったアルヴァーの鳩尾めがけて素早く突いた。

 大きく咳き込みながらもアルヴァーは後方に転がった。


 鞘を落とし、先ほど下に置いた剣を拾い上げるアルヴァーが起き上がるのを想定して身構える。

 しかしアルヴァーは起き上がらなかった。力加減を誤ったかとまずさを覚える。


「……アルヴァー?」

「……俺は、俺だ……、俺、だ……なのに、どうして」


セフィを彷彿させる虚ろな目でアルヴァーはぼそぼそと呟いていた。


「なんで、……俺は、俺は……」


 はっとしたようにアルヴァーの目は俺を見た。

 どこか虚ろだった目は元通りに戻っている。


「……俺は、お前になりたかった……」


 しかしその言葉には力がなく、そう言ってアルヴァーは目を閉じた。


「お前になりたくてなりたくて仕方なかった。今だって、俺とお前の位置が逆転してほしいと願っている」


 俺に、なりたい? アルヴァーがか?

 その思考が理解できず思わず言葉を失ってしまう。


「家柄もよくて、剣の才が突出していて、英雄の子で……俺がどんなに欲しがっても絶対手に入らないものを持っているお前になりたかった…」

「……」

「そう願えば願うほど自分が惨めで惨めでたまらなかった……!」


 語りながらも、アルヴァーの声は涙まじりになっていく。


「それでも求め続けずにはいられない」


 わからない。

 俺の持っているものはそんなに強い憧れを抱く対象になりえるのだろうか。


 家柄も、没落してしまった家では重しにしかなりえなかった。

 剣の才というが、どれだけ腕を磨いても『父の子だから当たり前』で、むしろ父を越えられない俺に向けられる目は冷ややかなものが多かったように思う。

 そこまで欲するようなものではない。


 だからアルヴァーの気持ちは理解ができない。

 アルヴァーも俺の実情など知りえないのだからわかるはずもない。すれ違う。


「ここでお前を斬ったら、この気持ちから逃れられるかもしれないと思った」

 

 かすかに、だが自虐的にアルヴァーは目を閉じたまま笑った。


「小さい頃、んなこと考えたことなかったのに、な。どこでこうなっちまったんだろう。こんなに辛い思いを抱えるように何でなっちまったんだろう」


 幼いあの頃のように俺とアルヴァーの道が交わることはないのだろうか。


「だが」


 目を開けて立ち上がると、アルヴァーは開いた目で俺を見た。


「もう戻らない。あの時には戻れねえ。俺の立つ場所はここだ! 奪い取ることでようやく俺は俺を実感できんだよ! お前と違う、俺自身を! だからもう戻らねえんだ!」


 自分を確認するために略奪を繰り返すのか。あまりにも自分本位な考えだ。


「人間なんて生まれで全てが決まるんだって、お前を見てそう思い込んでた。違ったんだよ、持っていないんだったら、周囲から奪えばいいんだ! そうだろ! なあ、そうだろう?」

「違うだろ」


ケインが冷たい口調で口を挟んできた。


「本当に欲しいもんは手に届かない。だから誤魔化してんだ。違うか」

「何だと!」


 気に障ったのか、アルヴァーはケインを怒鳴りつけるが、ケインは全く悪びれる様子も見せずいつものような飄々とした雰囲気を纏いながらも首を横に振って見せた。


「あんたが本当に欲しいものは何なわけ? 盗賊なんかに成り下がって、何の罪もない人間から命まで奪って、んでもって旧友すらも手に掛けようとして、何が手に入るって?」

「欲しい、物?」


 ケインのその問いかけに、アルヴァーの気勢がごっそりと削がれたのがわかった。

 自問をしているような間を空けて、アルヴァーは何度も首を横に振る。


「俺が求めた、もの」


 迷いをたたえたアルヴァーの目が真っ直ぐに俺を射抜く。

 その目にはみるみるうちに憎しみの色に染まっていった。


「黙れ! 黙れ! 黙れ!」

「アルヴァー!」


 もう一度名前を呼べば、アルヴァーは素早く手を伸ばして俺の胸倉を締め上げてきた。

 息が詰まった苦しさを覚えながらも何とかその手を振り払い咳き込む。

 何度か咳をしながらも呼吸を整える。


 咳き込んでいる俺を突き飛ばし、放した剣を拾い上げアルヴァーは再度構える。

 疲労の色が隠しきれない様子なのは一目瞭然である。


「もう、終わりにしよう……」


 アルヴァーの言葉に応えるように俺も剣を構え直しながら迷っていた。例えアルヴァーに怒りを抱いていても、アルヴァーからは憎しみを向けられていても、友であった彼を倒すことなどできるのだろうか。

 考えている間にもアルヴァーは飛び掛ってくる。

 鋭さの衰えた剣を弾き飛ばしながらも俺は自問を続ける。

 さっき噛みあったと思った感覚は消え失せていて、意思と動作と合致させようと何とか調整を試みるが横滑りしていく。


「本気を出せよ! こんなもんじゃねぇだろ! お前はぁっ!」


 躊躇う気持ちは別として正直アルヴァーの剣を受け止めるので精一杯である。

 声を発する余裕もないほど。


 今更解りあいたいなどと奇麗事を言うつもりはない。

 ただ、この場を回避したいだけ。


 重い一振り一振りに体力がじりじり削られていく。

 時間を稼いでも解かるのはアルヴァーの苛立ちだけだ。それと、俺に対する強い敵意。

 どうしたらいい、という自問だけが大きく膨らんでいく。


 ぶつかりあう剣は鈍い音をたてる。

 ジリ貧なのは何よりも明らかで、余裕などない。

 ないはずなのにかつてのアルヴァーが今のアルヴァーと重なり、また迷いを生む。


 今だ、と感覚が告げ、すんなりと動作もそれに従った。

 アルヴァーの剣を打ちつけ力ずくで床へと叩き込んで片手を抜きアルヴァーの顔面をその手ではたく。   

 まただ。一瞬だけ噛みあった感覚。だがすぐに離れてしまう。


「ぐっ」


 たまらず身を捻る彼を追い詰め剣の柄で鳩尾付近を突く。

 急所は外したようだったが大きく咳き込みながらアルヴァーは膝をついた。

 そんな奴の首元へと剣の切っ先を向けた。


「……よ」


 刃に怯む様子もなく、アルヴァーは俺を睨んだ。小さく呟きそっぽを向く。


「……殺せ、よ、ヒュー」

「できるわけ――」

「やれよ」


 遮るように、強い口調でアルヴァーはそう言う。

 言って、向けられた刃を素手で掴んで引き寄せる。

 引っ張られたことに反射的に俺も剣を掴んで反抗する。

 しかしアルヴァーの力は強い。

 己の首元へと剣の先端を当てるとにやりと笑った。


「ヒュー、お前が俺を殺したんだぜ」

「なにを言って?」


 何をするつもりなのか判断がつかず彼の様子を窺っていると、アルヴァーは剣から手を離し、そのまま勢いよく剣の先端に自分の喉を押し付けるように、思いきり突いた。

 

「なっ……」


 驚愕の声をあげつつもケインはセフィの頭を無理やり抱え込み目を塞がせ、自分も目を逸らしているのが視界の端で確認できた。

 ケイン達の様子を見ている自分もその瞬間を直視できていなかったのだと数瞬の間を置いて理解した。

 

 最後の力を振り絞ってなのか、アルヴァーは再び剣を掴むと、己の喉を貫いている剣から体を引き抜く。同時にアルヴァーの喉笛から吹き出した血が俺へと降り注ぐ。

 生暖かいな、と、そんなことを思う。生きていたからそんなの当たり前なのに。


 彼は笑みを顔に張り付かせたまま、ゆっくりと地面へ倒れ伏した。


「……」


剣を落とし、俺は自分の手を見下ろす。


「…あ…」


 まだ温もりの残ったアルヴァーの血。血に染まった手。


「……っだ……」


 何だよ、これ、は。

 荒い呼吸を何度か繰り返し、再度アルヴァーを見る。二度と動くことのない、かつての友。

 動くことのない、あの時と、同じだ。

 脳裏に浮かび上がった光景に、閉塞感のようなものを覚える。

 宙に揺れる一つの影。


「……う……ぁ……」

 

 がちがちと音を立てているのが自分の歯だとようやく気づいた。

 気づいたことで我に返る。

 駄目だ。まだ、だ。まだ、まだ叫んではいけない。


「ヒュー!」


 ケインが呼びかけてきたから、応じ、なけれ、ば。


「……」


 返事をしようとしたが、言葉にならず何とか視線を向けることで応じた。


「行こう」


 ケインは俺に目を向けずに街の広場の方に目を向ける。

 そうだ。そうだった。ここで火事現場を見ていてもどうしようもない。


 どこか茫然としている頭で確認するようにそう思う。

 はっきりしないこの感覚は深く酒に酔っ払っているような感覚と似ていた。

 しかし決定的に違うのは妙な痛みだ。


「……ああ」

 頷いて、顔に付いた血を手の甲で無造作に拭っているとセフィと目があった。

 何の感情も灯らない目。どんな心情なのか計れない。

 今の俺も似たような表情をしているのかもしれなかった。

 彼女にかけられる言葉もなく、目線でここからの退路をセフィに示すことで、彼女からも目を逸らすことに成功した。

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