過去1 ⑧相互理解不能

 見えていない、という己の未熟さに苛立つ感情を完全に抑えることをできなかった。

 顔を顰めていることを自覚しながらも、現れた気配の主を睨みつけた。


「頭」


 盗賊の一人なのだろうか、突然現れたそいつは、リーダーに呼びかけて、その長剣を持った手首を後ろから押さえ込んでいる。


「……興に乗ると周りが見えなくなるのは相変わらずか」


 リーダーから俺へと目を向けて、そいつは俺に向かって言い放つ。

 相変わらず? 聞こえた言葉に首を傾げる。まるで俺のことを知っているような言い方だ。


「邪魔すんな、アルヴァー」


 頭と呼ばれたリーダー格が口にしたその名前に、一人の人物が思い浮かんだ。

 アルヴァー、だと?


「お前、どこに行ってやがった!」

「客室内の確認ですよ。別に金目のもんは見つからなかったんで無駄足でしたけど」

「何やってんだか」

「頭こそ何をやってるんです? 部下壊滅してるじゃないですか」


 揶揄するように、アルヴァーと呼ばれた男が言えば、頭はイラついた様子を隠すことなく怒鳴った。


「うるせえ! こいつを倒して巻き返せばいいんだろうが」

「馬鹿が」

 

 アルヴァーと呼ばれた男は吐息とともにそう言葉を漏らして笑う。


「チンケな悪党の頭目如きが敵う相手だと思ってんのか」

「誰に向かって口を聞いてやがる」

「フィルツの剣聖サマに喧嘩を売っている阿呆なボスにだ」


 その台詞に内心うろたえた。何でこいつがそんなことを知っている? まさか、本当に、こいつは――


「剣聖!? 何の話だ!?」

「正確にゃ、剣聖の息子、だよな?」


 問いかけるような言葉に反応することもできず、何とかこの盗賊の表情を探れないかと観察する。


「つまりあんたじゃ役者不足っつーこった」

「てめ、何を!」

「知れたこと、裏切りだよ頭」


 慌てて頭は背後に立つそいつへと振り返る。が、遅かった。既に振り上げられたナイフは頭へと振り下ろされていて――


「ぐっあ!」

「今まで世話になったな。俺が新しい頭目になってやるから後のことは心配すんな」

「てめ…アル……」


 前のめりに倒れ伏す頭の背中に持っていたナイフを突き立て、そいつは「ふう」と息を漏らした。


「頭はフィルツの剣士様に倒された。んで俺がその剣士様を倒して次期頭へとのしあがる。どーだ、仇討ちとは完璧なシナリオだろ」

「……本当に、アルヴァーなのか?」


 信じられない心地でおそるおそるそいつに尋ねる。

 知っている名前ではあった。

 だが、知っている名前の人物と目の前の盗賊とは結びつきそうにもない。


「覚えていてくれたとはね。光栄だぜ、剣聖さんよ」


 フィルツ人の一般的な様相である黒髪と黒目。顔に刻まれた幾つかの深い傷跡。結びつかないとは言ったものの、見れば見るほど、あの頃の面影があると思い知らされる。


「知り合いなのかよ?」

「……幼馴染だ」


 ケインの問いかけに、アルヴァーから目を逸らさぬまま答えてやる。

 こいつは逃げろと言ったのに、逃げなかったのか。当たり前のようにセフィも残っていた。

 俺は本当に、周りが全然見えていない。


「こんな所で何をしている、アルヴァー」

「そりゃこっちのセリフだ。お前こそ王都にいるはずだろ」


 それは、と俺が答えより早く、「どうでもいいか」とアルヴァーは興味がなさそうにかぶりを振った。


「なあ、幼馴染の願いを聞いてくれないか」

「……願い?」

「俺の野望を叶えるため、大人しくやられてくれよ」


 ふざけているようなその素振りは幼い頃のアルヴァーそのままだった。

 中身もそのままだったらどんなによかったかわからない。


「そんなの――きけるか」

「だよな」

「親戚の家はどうしたんだ?」


 かれこれ十五年は前の話。

 アルヴァーの両親は流行り病に罹り、呆気なくこの世を去った。

 そのため、アルヴァーは親戚の家に行くこととなり故郷を離れたのだった。


「捨てた」

「はぁ?」

「親戚なんて、所詮は他人だ。他人のガキなんて奴隷も同然なんだよ。生涯誰かの言いなりなんてそんな人生クソくらえだろ。だから捨ててやった」


 アルヴァーが今ここに至るまでどんな人生を歩んできたのか、俺には知らない。

 あの時別れてから一度も会うことはなかった。だから、何も言えることはない。

 沈黙を返していると、アルヴァーは皮肉げに口元をゆがめた。


「久々に会った旧友が盗賊に成り下がっているなんて思いもよらなかったってか?」


 肩を竦めてアルヴァーは続ける。


「生きるために色々やった結果だ。けど、今までの人生で一番人間らしい生活をしているぜ? 飯も食えて、寝床もあって、金も女も酒も不自由はない。腕さえあればなんだってできる! いくらでものし上がれる! なあ、夢のようじゃねーか」


 そんな言葉、肯定できるはずもない。

 反応できないでいれば、彼は不快そうに鼻に皺を寄せた。幼い頃によく見せた表情だった。

 変わらないのに、変わってしまった。


「そーだよな、お前みたいな恵まれた人間にゃ、理解何かできねーよな。理解できるはずもないのに、俺の成り行きなんて教える必要もない」

「俺は――」


 恵まれた人間なんかじゃない、と口を挟む暇も与えずアルヴァーは続けた。


「出奔したっつーウワサはマジだったのか。タチの悪い冗談かデマだと思ってたぜ」

「――っ」

「地位も名誉も簡単に捨てるんだな。全く羨ましいもんだ」


 彼の表情にあるものは怒りだ。その怒りを無理やり抑えつけようとしているのか表情が引きつっている。

 何も理解できないくせに、と言っているが、その台詞はそっくりそのまま返してやりたい。

 だが、不思議と俺はアルヴァーに対して怒りを抱いてはいなかった。あるのは、哀れみとか悲しみとかそんな感情だけだ。


「俺の方が『何で?』って聞きてえよ。ま、聞いたって、どうせわかんねーで終わるんだろうけどな」

「わかんねーって当然だろ、何言ってんだ」


 ケインが口を挟んできたがアルヴァーには聞こえていないようだ。

 当然、という意見には同意だが、俺も無視を決め込んでアルヴァーの言葉の続きを待った。

 

 アルヴァーの言葉の端々にあるのは俺に対する怒りだ。そして敵意。

 先ほど口にしていた「恵まれているのに簡単に捨てる」ことへの怒りなのだろうと推察できる。が、少し違うようにも思えていた。

 同じ師に師事していた幼い頃は言葉にしなくてもお互いが考えていることを何となく察することができた。そう思っていた。

 今だって成長した分、考えていることを推察することはあの頃よりはうまくやれると思った。

 だが、アルヴァーの考えを理解はできないし、わからないとアルヴァーも怒鳴る。


「まあいい。構えろよ。さっさと終わらせよう」

「本気なのか?」

「ああ」


 手にしていたナイフを捨て帯刀していた剣を抜き、斬りかかってきたアルヴァーを、剣を軽く受け流して、構え直した。


「相変わらず、悪くない反応だな」


 口笛を鳴らしてアルヴァーは言う。

 恐らくアルヴァーにもわかったのだろう。俺には、余裕などない。


 アルヴァーと俺は同じ剣の師範に師事していた。言わば同門の出である。

 癖も技もお互いによく知っている。

 今の鈍りきった状態で、ほぼ互角であったアルヴァー相手にどこまでやれるというのか。


「なあ、懐かしいなあ。こうやって剣を交えるなんて何年ぶりだ?」


 確かめるように、彼は手にした剣を何度か振ってそう言う。

 記憶の中にある幼いころのアルヴァーと重なり、嫌でも動揺してしまう。

 こいつ相手に冷静に対処できる気がしない。


「――っ!」


 気づくより先に体が反応していた。

 無造作に振り下ろしたアルヴァーの剣を手にしていた己の剣で受け止め弾き返す。


「やっぱひっかからねぇか」


 彼は楽しそうに笑うが、その顔にあるのは嘲笑だ。

 酷い不意打ちである。

 咄嗟に反応できたのは、この感覚を体のどこかが覚えていたからだ。

 思うように動かせない。


 思考も体も両方とも鈍っていて、両方の間に隔たりがあった。

 足下が覚束ない。今の俺は全てバラバラで不快感しかない。


「反撃しねえと嬲り殺すぞ」


 次々と繰り出されてくる刃を後退しながら何とか躱す。

 追い詰められているのはわかる。だが、こちらから仕掛ける隙は見せてくれない。


 アルヴァーの剣は一見じゃれているようでその一太刀一太刀が重い。防戦一方では消耗するだけで終わる。


「どうした、本気出せよ」


 できるか。と反論する余裕はない。

 剣の軌跡を目で追って対処するだけが精々だ。


 受け流すのは頭より先に、体が勝手にやっているような感覚だ。

 うまく捌ききれず剣同士がぶつかり合う音が鈍い。

 思考と動作の噛み合わなさも、何もかも気持ちが悪い。

 憎悪にも似た嫌悪感に吐き気をおぼえる。


 だが、思考にも動作にもどちらかに合わせようとすれば間違いなくアルヴァーの剣の餌食になるだろう。


 餌食、か。

 何だか冷ややかな心情に沈みかけたその時、アルヴァーが大きく間合いをつめて懐に入り込んできた。

 間髪入れずに剣を真っ直ぐに突き出してくるが、奴の剣を持つ手を無手で押しやってそれを阻止する。


「酒くせえな」

 

 ぽつり、とアルヴァーは言葉を漏らし、崩しかけた体勢を立て直しつつ、後方に跳躍し間合いを広げた。


「酒浸りとは。とんだお笑い種だな」


 醒めるのを恐れ、飲み続けた酒だ。臭いが抜けないのはわかっていた。

 そうか、この気持ち悪さは酔いのせいでもあるのか。

 アルヴァーはそれを鼻で笑うが――


「お前に何がわかる」


 お前に俺を笑う資格はないという思いを込めて冷たく言い放ってやる。

 

「ああ、わかんねえよ、わかるわけねえだろうが。お前が俺のことを理解できないように、お前のことなんか理解できるか」

「――わかるとかわかんねえとか何の話なんだよ!」


 少し離れて様子を窺っていたケインが、俺とアルヴァーに向かって突然怒鳴ってきた。

 

「わかるわけないだろ! 感情は人それぞれで自分だけのもんだろ!? そもそもわかって欲しいのかよ! 何もしないでわかんねえって拗ねたガキみたいなこと言ってるようにしか聞こえねーよ!」


 感情的になって声を荒げるケインに俺は完全に毒気を抜かれてしまった。

 

「理解して欲しいんだったら、剣じゃなくて言葉を尽くして説明しろよ! アホかお前らは!」


 アホは余計だ、とは思ったが敢えて口にはしない。


「理解なんざ求めちゃいない!」

 

 アルヴァーは吠え、剣を構えた。


「理解もしない!」

「はあ?」


 眉をひそめるケインをアルヴァーの視界から隠すように、移動し俺も構えた。

 ありがたいことにこのやりとりであがっていた息を整えることができた。

 まだ戦える。


 大振りするアルヴァーの剣を、片足を引くだけの動作で躱す。そのまま宙を切ったアルヴァーの剣めがけて、剣を振り下ろす。


 ガキンと衝撃が伝わった。アルヴァーがそれを捌こうとするが、それを力任せに押さえつける。地面に剣が付くまで押さえつけ、俺はアルヴァーに左肩をぶつけるように体当たりをくわせた。

 完全に不意を突かれたように、アルヴァーは後方に倒れ込んだ。

 

 機を逃すまいと間合いを一気に詰めるが、アルヴァーの方が早い。

 立ち上がらず、振り下ろした剣を剣で受け止めながら放ってきた蹴りをまともに食らってその場にたたらを踏む。

 しりもちをついた状態から放たれた蹴りだ。威力はほとんどないが足を止めるには十分だった。

 アルヴァーは勢いをつけて立ち上がると、その反動を使って大きく剣を振るう。難なくそれを躱し、そのまま大きく踏み込んで、アルヴァーの足元を狙って剣を横に薙ぎ――


 完全に見えなかった。

 手から伝わる衝撃に虚を突かれたことを知る。――体の方が先に反応していた。やはり思考は後から反応する。――同時に手にした剣が鈍い音をたてた。


 剣が――折れた。

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