過去1 ⑥サシ飲み

 一人残されて、ちょうど夕食のピーク時で辺りには雑然とした喧騒が溢れているが、俺だけがそのざわめきからぽつんと取り残されたような感覚に襲われる。

 静かになったことへと少しの安堵感と、強い疎外感。


 これが、この感じが、駄目だ。

 酒でもケインのおしゃべりでも何でも紛らわすものがないとまだこの状態なのか。

 何も変わっていない。


 実感してしまうと無駄だとは知りながらも焦る。

 何とかしなくては、ではなく、早く逃げなければという感情であるのが何とも虚しい。


 紛らわせようとパンを一つ手にとって乱暴に齧る。

 この感情から逃れたい。


「おまたせ、何飲む?」


 陽気にケインが帰ってきて少しほっとした、というのも何だか妙な話だが。


「一番、強い、酒」

「ダメダメ! 俺のオススメでどうよ?」


 酔っ払って全てから逃れるという誘惑に抗えず、出てしまった言葉をケインはさっくりと拒否した。

 だったら最初から選択肢を預けるなとは思ったが動揺の方が激しい。

 何も言わずケインに全てを委ねることにする。


「それでいい」

「はいよ! 注文お願いしまあああっす」


 店員を呼んで、ケインは注文を口にした。


「えっと、このフルフルフルーツスイーツパンチっての二つ」


 そんなメニューがあったのかと、全身が脱力するのを覚える。

 ろくすっぽメニューなど見ていなかった。だいたいそれは酒なのか?


「はい、フルフルフルーツスイーツパンチをお二つですね。かしこまりました」


 店員は元気良く復唱をして去っていく。

 丁寧な様子がより気恥ずかしさを増大させる。


「デザートによさそうな感じじゃん」

「まだ、メイン残ってるんだが」

 

 卓上を見下ろしてケインに文句めいた言葉を吐くと、彼はまあまあと言いつつ、セフィが食べ残したサラダを手に取った。


「ささっと食べちゃえばちょうどいいタイミングにくるって」

「そうですか」


 どうでもいい心地で生野菜の山盛りに再び挑む。

 ケインも渋面でサラダを食べている。

 苦手だとか言っていたが手伝ってやるのも癪であるし、俺の方にもそんな余裕はない。


「――よく、わかるな」


 しゃくしゃくと新鮮な生野菜の歯ごたえを堪能しながらも、ふと思ったことをケインに問いかけてやる。


「ん? 何が?」


 ケインは俺以上に余裕がないのだろう。苦虫を噛み潰したような形相で俺を見た。


「セフィ。怒っているとか、不安そうだとか」


 ぱくっと最後の葉っぱを口へ突っ込み、皿を卓の上へと戻した。

 よし、これで山盛りに片がついた。

 と思ったら、ケインは引きつった表情のままそっとサラダボウルを俺へと押し付けてきやがった。


 最初に俺とセフィの分を取り分けて残ったケインの分であったものだが、食べろということか。

 だが文句を言うのもみみっちいと感じ仕方なく引き受けることに決め残っている野菜を再び口に運ぶ。

 草食動物になったような気持ちになってきた。


「んー、何となくなー。動物好きだから、俺」


 動物扱いか。


「ま、見えているものがだけが全てじゃないってこと。ヒューがこの域に達するまでは、まだまだかもしれないけどな。いい線いってるとは思うんだけど、修行する?」

「しない」

 

 きっぱりと答え、一口だけ齧ったまま左手に持っていたパンを食べる。


「あの、頻繁な眠気とか、薬か何かか? 病気、とか?」


 聞いてしまってから後悔する。あまりにも不躾な質問だと気づく。


「気になるのか?」


 意味深げに口元に笑みを湛えるケインに慌てて首を横に振る。


「いや、悪かった」

「そっか。でも気になってんだろう?」


 いつも、どうしてこう選択肢を与えてくれているようで、強制的に話をするのだろうか。

 半ば呆れるが、気にならないといえば嘘になる。

 ケインの話を黙って聞くことにした。


「あれはな、病気でも、薬でもない。かといって生まれつきああってわけじゃない。セフィがああなっちまったのは――」


 と、そこまででケインは一度言葉を切った。

 少し迷ったようにも悩んだようにも目を泳がせ、溜息を漏らす。


「昨日予言したろ、恐ろしいもの、それのせいだよ」

「……は?」

「おまたせしましたー。フルフルフルーツスイーツパンチお二つお持ちしましたー」


 ひたすら陽気な店員が、背の高いグラスを二つ運んでくる。


「あ、どーも」


 ケインがそれを受け取り、一つを俺に寄越す。


「ごゆっくりどうぞ~」


 店員が立ち去って、目の前に置かれたグラスをまじまじと眺める。

 背の高いグラスは薄紅色の液体で満たされ、中には球状にカットされた何種類かのフルーツが入っている。

 グラスのふちには輪切りにされたオレンジが飾られていて、それに長いスプーンとストローとが突っ込んであって。

 カラフルな配色は可愛らしいものだし、若い娘が好みそうだなとは思った。

 少なくとも男が二人で頼むような代物ではないことだけはわかる。


「おお、すっごいなー。やっぱ食べ終わる前に来たかー」


 試しにストローを咥え、恐る恐る一口味見をしてみる。


「…甘い」


 先に食事を済ませてしまった方がよさそうだった。

 酒なのかどうなのかすらも怪しい。

 とりあえずうっかり倒してしまわないように隅へと寄せておく。

 見るとケインは一口飲み込んでうまい! と歓声を上げていた。甘党なのもしれない。


「…その、恐ろしいものに会うと、感情がなくなるのか?」


 まだ話は途中だ。強引に話を戻すと、ケインはストローから口を離して仕方なさそうに口を開いた。


「違う。存在自体が消えるんだ。セフィは運がよかった」

「消える? 妖怪とかそういう類いか?」

「わからない。よくわからんの。だからどーしようもない」


 やれやれという風にケインは肩をすくめるが、やれやれなのは俺の方だ。


「信じ難いだろ? 俺だってさ、セフィがああなってなきゃ信じないって。でもそういうもんが存在してんの、この世界にゃ」


 ケインの言うとおり、にわかには信じ難い話だった。

 というかそういうのは子ども時代にあった怪談とか、学生時代に仲間内での馬鹿話だけに存在しうるもので、現実にはありえない、そう思っている。


 しかし、そう語るケインの目は真面目で冗談を言っている目ではない。どういうことだ?

 人が消える、というのは殺される、という意味だろうか。

 あまりの残虐さに目撃したセフィは心を閉ざしたとかそういう意味か?

 それならばそう話した方がわかりやすいし自然だ。


 こういうわかりにくい遠まわしな言い回しをする必要はない。

 それにセフィは心を閉ざしたというよりは本当に欠落しているようにも見えた。

 薬の副作用と言われたほうがしっくりくる。

 ならばそういう都市伝説みたいな存在がいるということで、だがそれは受け入れ難い。

 いずれにせよ、


「かわいそうだな、まだ幼い娘だってのに」

「お前が言うか」


 正直な感想を言うと、ケインが驚いたように俺を凝視した。

 そんなに驚くようなことか。


「俺だってセフィぐらいの時分には、仲間内で変なゲーム作って遊んだりとか、それで大騒ぎして自警団が出動してきたりとか、楽しくやっていた。そういうもんだろう?」


 それも女の子だ。何もが面白くて楽しくて、笑い転げているような年頃の。

 それが奪われているのだからやはり同情を覚えてしまう。


「あのさ、念のために聞くんだけどセフィ、幾つぐらいに見えてんの?」

「14、5だろ」


 なんでそんなことを聞くのだろうと首を傾げつつ想像していた歳を答えると、


「もうちょい上だって!」


 ケインから物言いがついた。


「似たようなもんだろ」


 思ったよりも年齢が上であったしても同情を抱くには変わりない。いや、どうだろうな。


「そんなにガキっぽいかね。一応お年頃の女の子だっつーの」

「女の歳なんかわからん」

 

 負け惜しみではない。数年で劇的に変わるようには思えないし。


「無骨だなー。てか14ぐらいの歳で自警団に通報とかなかなか無いような…。まあいいんだけど。不憫だと思うよ、俺も」


 何とかしてやりたいさ、とやりきれないようにそれでも笑いながら言うケインに何も言えず、沈黙が訪れた。


「でも、ま、何とかなるって。考えても仕方ないし。それよかさ、ヒュー、俺、あんたにすっげえ感謝してんだよ。本当にありがとう」

「は?」


 唐突な話の転換についていけず聞き返すが、ケインは再度言うつもりはないかのように目を伏せてどんどん話を進めてしまう。


「セフィがすぐ寝ちまうし、あんま移動とかできなくてさ、一人で待たせておくのも危ないなって思ってたし。まーフィルツ国内ならどこでもそこそこ治安はいいほうだってわかってんだけど、俺一人じゃどうしようもないって思ってて、手持ちも限られてたし、ごろつきみたいのはセフィを奇異の目で見そうだったし、女の子だから万が一ってこともあるだろうしな」


 元々口数が多いのだろう。次から次へと流れるように言葉を並べていくケインの話に相槌をうつ暇すら見つけられず、ただただ聞くしかない。


「俺としては思わぬ拾い物、みたいなところはあってさ、ちょっと強引すぎるぐらいの勢いで引っ張ってきてしまって悪いなぁって思ってたりして。その辺は勘弁していただけたら幸いだなぁって」

「ああ、もうそれはどうでも」


 ようやく口を挟める機会を得て、言葉を紡ぐがそれにかぶせるようにケインは更に話を続ける。あまりの凄さに、やはり聞くことしかできず口を噤む。


「けど、俺軽いから、そう思っているようには見えないんだろうなって自覚は、ある。でも本当に感謝してる。それはわかって欲しくて」


 必死で言ってくるケインの真情は理解できたし、実際の所俺は何もしていなかった訳だし、ここまで言われると恐縮してしまう。


「そこまで感謝されるようなことは何もしてない」

「引き受けてくれただけで大感謝ってこと! 俺の心情的に負担が減ったつーのかさ。そだ! 報酬」


 懐に手を突っ込んだケインを俺は手で制した。


「だから俺は何もしていない。感謝しているって言うんならここの支払いだけで十分だ。別段金に困っているわけでもないし」

「わかった。悪いな。そんじゃボトルでもあける?」


 気持ちよく快諾するケインに、俺は首を横に振ってみせた。


「今日はいい。これを飲むだけで心折れそうだし」


 フルフルフルーツスイーツパンチの大きなグラスを指差すとケインは明るく笑った。

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