過去1 ⑤食卓は皆で囲むもの

「そんじゃ、食うか」


 ケインの号令に渋々ながらも手を合わせて、食事前のお祈りを捧げる。

 昼寝から醒めたセフィも、俺やケイン同様に手を合わせていた。

 三人で囲む円卓には、生野菜のサラダと地鶏のソテーとパン。

 割と豪勢な食卓だと言えよう。


 「食事は皆で一緒に」と早々に休もうとしたところを無理やりケインに引きずられてきて、セフィと三人食卓を囲む羽目になってしまった。

 当のケインはというと山盛りにされたパンの山から、パンを一つ手に取りかじりながらもセフィの取り皿にサラダを盛って彼女に食べるように促している。


「ん、ヒューも食う?」

「いや」

「野菜嫌いなのか」

「嫌いじゃない」

「あ、そ」


 答えを聞くと同時に素早い動きで、彼は俺の取り皿を奪い取るとサラダの葉っぱを乗せてくれる。

 山盛りに。

 はい、と返されたそれを受け取り、礼を言おうかどうか躊躇った。

 躊躇うぐらいならいっそやめようと黙って食べることにする。

 フォークで盛られた野菜を取ろうとするが刺そうとすると山が崩れかけてものすごく食べづらい。

 嫌がらせか。


 セフィの分と(彼女の分は常識的な配分量)と俺の分とを取り分けてしまうと、サラダボウルの中にはサラダがほとんど残らない。


「返すか?」

「いや、俺、生野菜苦手なんだよな」


 申し出ると、あっさりケインは首を横に振る。

 もういいや、どうでも。


 渋面になって野菜をつつくケインと、無表情で普通にサラダを食べるセフィ、そして生野菜の山と格闘する俺。

 しばらく黙ってしゃくしゃくと咀嚼していたが、何となく黙っていることに気が引けてケインに視線をやった。


「……先生って言ってたな」

「ん? ああ、発掘現場の? あの人考古学者の先生で、俺あの人の弟子なんだよ」


 ケインが学者の弟子? あまりピンとこない。


「先生にさ、資料探しを頼まれてんだ。レポートにして持ってってさ、で、手間賃を頂戴したって訳」


 そう語るケインはどこか誇らしげだ。

 古代遺跡の発掘所という話であったから、そこで発掘しているのが考古学者であったとしても何も不思議はない。ひっかかっていたのは、他の点だ。


「一人で発掘作業を?」

「あー、いやいや、本来だったら人を雇うわけ。人夫って言っていいのか、この国鉱山があるからさ、割りと人は集まり易くて資料探し頼まれた時にはまだ沢山っても30人ぐらい? で作業してたんだよ。けど、今日行ったらああでびっくりしたから聞いてみたら、パトロンがいなくなってまったんだって」


 ケインはパンをひとかじりして、続けた。


「フィルツの豪商が今まで出資してたんだけど、代変わりしたらしくて新しい当主が出資をやめちまったらしい。他にフィルツで後援してくれるような好事家も見つからないみたいだし」

「作業は?」

「中止。先生も工業都市ネルイに行って発掘に役立ちそうな機械探しとか、パトロン探ししてくるってさ。ってか、今夜には出発するって言ってたから今日会えてラッキーだったんだよな、ネルイとか遠いしさ。いやあ、ホント助かった」

「ネルイ自治領区、か」


 あそこはあそこで色々と大変な地域だと思う。声に出すとケインが興味を持ったらしい。


「行ったことあんの!?」

「ない」


 うんざりしてきっぱりと跳ね除ける。


 ネルイ自治領区は、この国フィルツからすれば隣国ラグエドの一都市だ。

 圧倒的な技術力の躍進で今ではラグエド統治力の及ばぬ自治領区である。

 フィルツがラグエドから独立したときとよく似ている。

 フィルツ独立時には相次ぐ戦争で何かと物騒だったと聞く。ネルイもそんな感じだという噂を聞いたことがあった。あまり治安はよくないだろう。


「何だ。ま、また資料探し頼まれたし、集めてネルイに行かなきゃなんないんだけどさ」


 もしゃもしゃ野菜を食べながらケインの話を聞き流す。

 食べても食べても山盛り野菜が減っているようには見えない。

 こうやってまともに夕食を食べるのは久しぶりで、そう思えば野菜の山もいいものだと思えてきたらいいなと。

 そんなのはあくまで希望に過ぎない。


「あ、そだ、ヒュー、何飲む?」


 突然思いついたかのように、ケインは話題を転換しながらかじりかけのパンを片手に一枚の紙を俺に差し出してくる。

 パンの山の上でそれを受け取りようやくケインの意図を理解した。酒のメニューだ。


「いい」


 首を横に振って、メニューをそのままケインに戻す。


「なんだよー、おごっちゃるってのに」


 おどけたように言ってから、ケインはすぐに真顔になる。


「どっか調子悪いのか」

「そうじゃない」


 彼が本気で心配しているのがわかったので、慌てて再度首を横に振る。

 

「ただ、気持ちが悪い」

「えー………二日酔い?」


 からかうように笑みを浮かべたかったのだろうが、ケインの笑みは引きつったものにしかならなかった。

 ふと、俺に向けられている視線を覚え、そちらに視線をやるとセフィと目が合った。

 その目から感情を窺うことはできなかったが、彼女も心配しているのかもしれない。

 あー、何か居心地が悪いな、この感じ。


「違う。何ていうか、半分酔っているって中途半端な今の感覚が気持ち悪い。どうせ、この町には長居ができないだろうし、また移動するんだったら酔わないでおこうと思って」


 本当は、素面になることが怖いけれど。

 本心では怯えている自分を自覚している。

 酔っていないと日々を過ごすことができないと思っていた。

 まだどこかでそう感じているし、酔いが完全に抜けていないから怯えに負けていないだけで、不安はある。


 だが、案外普通に一日を過ごしてしまったから、中途半端なこの気持ち悪さから抜け出すなら完全に醒めてしまってもいいんじゃないかと思ったのだ。


「感覚?」


 ケインは怪訝そうに尋ねてくる。幸いなことに別のところにくいついてくれた。


「……周りの人や物なんかの間合いとか、踏みしめている感覚とか」


 曖昧な感覚はうまく説明ができなかったが、ケインは理解できたようで、呆れたように溜息を漏らした。


「根っからの戦争屋っての? それとも武人だって褒めるべき?」

「単なる癖だ」


 そう、単なる癖に他ならない。

 幼いころから染み付いて消えない癖だ。

 ケインはやれやれと首を捻ってセフィへと向き返った。


「セフィ、そんなに心配しなくてもいーって。癖っつーかもう病気、職業病っていう病気。この兄さん常に臨戦態勢なわけ」

「そこまで好戦的じゃない」


 あまりの言い草に異議を申し立てるがケインは全く取り合わずに、手を伸ばしてセフィの頭をぐしゃぐしゃかき回している。

 撫でているつもりなのだろうか。セフィは反応らしい反応を見せずにされるがままだ。


「よし!」


 何が良いのか、ひとしきりセフィの頭をぼさぼさにするとケインは満足げにセフィを解放した。


「大丈夫、そんなにヤワじゃないって。な、ヒュー?」


 どうしてこいつはこんなにも断定的な言い方をするのだろう。


「ああ」


 だが、こんなにケインがおどけているように気を遣うということは、とてもそうは見えないがセフィが本気で心配しているということなんだろうと判断を下し、とりあえずうなずいてやる。


「そう、ですか」


 力なき声で呟きながら、セフィは手櫛でケインにぐちゃぐちゃにされた髪の毛を整えている。

 どう声をかけたらいいのか、やはり接し方に困る少女だと思う。


「ま、あれだ、この辺は治安もいいし、適当に気ィ抜けって」


 とす、と良い具合にケインの眉間に俺の手刀がめりこんだ。


「ってえええええ!」

「悪い、寸止めさせるつもりだった」


 やはり感覚がおかしい。

 挙動なしに放った一撃はケインの眉間ぎりぎりで止めるつもりであった。

 慌てて手を引っ込めると涙に目を溜めたケインに睨まれる。

 力もうまく調整できなかったせいか、思った以上に力がこもってしまっていたようだった。

 やりすぎた、と反省したがもう遅い。


「うおー! マジで痛ぇ! つーか、見えない敵と戦うのは勝手だけど、見えてる俺を敵扱いすんなって」

「だから、悪かった」


 酒浸りの日々で鈍った感情でもさすがに罪悪感を覚えて素直に頭を下げたが、ケインの怒りはおさまらないらしい。我を忘れる程の怒りっぷりなら宥めることは容易いだろう。しかし、ケインが声を荒げたのは一言二言だけで、俺が頭をあげると、両手を額に当て不機嫌そうな表情をしている彼がこちらを見ていた。

 だが、怒鳴りつけてくるような様子はない。むしろ冷静で、


「あーあ、痛いなぁ、痛いなぁ、後遺症が残るかもなー」


 性質が悪い。


「どーしよー、どーしよう~、引くどころかどんどん痛みが増してきたー」


 そんなわざとらしく言われても、信憑性が薄いとは思う。

 だが、悪いのは全面的に俺の方だ。文句は言えない。

 からかっているにしては性質が悪いが本気で怒ってはいないのはわかる。これは、どうしろと?


「ケイン」


 どう切り出そうか考えあぐいていると、冷たくケインを嗜めるような声がした。

 セフィだ。一瞬の間を置いて、ケインが驚いたように椅子から跳ね上がる。


「うお! そんなに怒ること? つーか、俺、悪いかも? ああ、悪かったよ。俺が悪かった!!」


 怒っているってセフィが?

 横目で少女の様子を窺うがやはり感情の失せたような表情からはよくわからない。

 真っ直ぐにケインを見ているだけのように見える。


「ヒュー、俺も悪かったよ、お詫びに一杯付き合えよ」


 意味がわからん、と抗議の意を口にする前に、ケインは酒のメニューを俺に押し付けてセフィへと歩み寄っていってしまう。


「その前に、そろそろ眠いだろ、セフィ?」

「大丈夫、さっき少し寝たから」

「無理すんなって」


 ケインがぽんとセフィの頭の上に手を乗せると、セフィは少しだけ俺に視線をやってすぐに立ち上がった。

 二人の間にある親密な空気に一人疎外感めいたものを覚えた。


「お先に失礼します」


 セフィは丁寧に俺に一礼すると食堂から宿の部屋へと繋がる通路へと足を向ける。


「セフィ送ってくる。適当にやってて」


 と、ケインも行ってしまった。

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