過去1 ③合流
それでもいつの間にか眠っていたらしい。
目が覚めて最初に寝床にしていた牧草を小屋の裏にある畑へと返しに行った。
そして、敷布代わりにしていたぼろ布を丁寧に畳み隅へと寄せて小屋の中を簡単に片付ける。
荷物といえば、布袋に入った剣が一振りと、お守り代わりの手の中に納まるサイズの酒ビンが一つだけ。
中は酒で満たされているその瓶は適当にポケットに突っ込み、剣は袋から出さず手に持つ。
支度も終わった。
小屋の持ち主に小屋を出て行くことを告げると、あからさまにほっとした顔をしていた。
当然の反応だろう。気にはしない。
お礼の気持ちをほんの少し家賃の上のせして渡すと、その人の好い老農夫は受け取るのをためらったが、修繕なり、解体なりに使って欲しいと告げると、渋々受け取ってくれたので正直ほっとした。
明るいうちに外を歩くのは随分久しぶりだ。
昨日はほとんど飲んでいなかったとはいえ、脳のどこかが麻痺しているようなこの感覚はまだ自分が酔っているのだと告げている。
そして俺はその感覚にどこか安心している。
素面になることを恐れているのだ。
麻痺しているからこそこんな明るいところを歩くことだってできる。
そう、日の光は記憶の中の物よりもずっと明るく思えた。
建物の壁や街路も植林されている街路樹も全て新鮮に見える。
久々に見た色。
美しい。
美しいと感じる心がまだ俺の中にあるのにも驚いた。
だが、この美しい世界に俺はそぐわない。
居心地が悪い。
ケインが指定してきた食堂はこの街にいるものなら誰でも知っているような大きな店だ。
すぐにたどり着いてしまった。
昼前には少しばかり早かったが、外で待つのも遠慮したくてそのまま中に入った。
建物の中ならば日の光を直接浴びることがなく少しはマシなはずだ。
「よー! ヒュー! 早いな、おはようさん」
店に入った途端、大きな声で出迎えられた。
遅れて「いらっしゃいませ」という店員の声がこだまのように虚しく響き渡る。
朝食には遅く、昼食には少しだけ早い。
中途半端な時間帯だ。
ピーク時には客でごった返すこともある店内は閑散としていて、探さずとも声の主を見つけることはたやすかった。
「早すぎたかと思った」
店内の中央にあるテーブルへと歩み寄り、腰を下ろしているケインへと声をかける。
正午とは大雑把な時間指定だとは思ったが、こんな早い時間からこいつはずっとここで待っているつもりだったのか。
呆れると同時にケインの横の椅子に座っている人物が居ることに気づいた。
少女だ。
肩につかないぐらいの長さである髪の色はケインと同じ明るい茶色で鮮やかに映えている。
整った顔立ち。
華奢な体を纏う服装は動きやすそうな地味な装いだが、どこか目を惹かれてしまう。
成熟した女性の艶やかさはない。
まだ幼さの残る娘だ。
成長したらさぞかし綺麗な娘になりそうだなと思った。
少女を見て、後悔めいたものを覚える。
今更身だしなみとかじゃないが、酒臭いだろうな、俺。
敬遠されても軽蔑されても構わないとは思うものの、前途ある若い娘にこういう駄目人間の姿を晒すのは気が引けた。
本当に今更すぎる。
「おはようございます」
少女はようやく俺に気づいたのか、俺を見上げ抑揚のない声で挨拶を口にした。
「あ…ああ」
何となく、気まずい。
自覚しているより酒が抜けているのかもしれない。
慌てて彼女に頭を下げ、すぐに上げると一瞬少女と目が合った。
何だ?
不快、ではないが、彼女の目に生気や感情といった色がないのがやけに気になった。
まるで人形のような目。
綺麗な娘だというのに勿体無いというか。
「彼女が昨日言ってた、連れのセフィ。で、ヒュー」
少女をじっと見据えていたら、ケインに肩口を引っ張られテーブルへと顔を押し付けられる。
受身もとれず顎を思い切り打ち付けてしまった。
「ってぇ!」
「あんま可愛いからってセフィに手ぇ出すなよ!」
俺の首根っこに回されたケインの腕には力が入っていて苦しい。
とはいえ、その気になれば簡単に振りほどけるだろうが打ち付けた顎の痛覚からくる思考の痺れに辟易した。
と、いうか、この子が可愛いって?――それはない。
確かに、綺麗になりそうな娘だとは思うが、感情のない目をした彼女は決して可愛い類いの娘ではないと感じていた。
それに、まだ子どもだろうし。
だいたいケインの彼女かなんかだろう。
横恋慕なんて冗談じゃない。
「誰が……出すか」
低い声で吐き捨てると気が済んだのか、ケインはようやく開放してくれた。
「とりあえず出発すっか。よろしく頼みますよ、センセイ」
はいはい。
冗談めかして言ってくるケインに何を言っても勝てないだろう。
昨日根負けしてしまったことから簡単に予想がつく。正直悔しいが。
立ち上がるケインに続くように、少女――セフィも椅子から立ち上がり、再び俺にその虚ろな目を向けてきた。
「顎」
ぽつり、と呟く。俺をじっと見ているということは俺に話しかけているのだろうか。
「え」
「顎、大丈夫ですか」
「あ、ああ、折れるようなことはないだろうし」
慌てて頭を左右に振ってみせる。
顎の調子が本調子であるのを示すリアクションは他に思い浮かばなかった。
しかし、突然現れた酒臭い不審者に、物怖じする素振りも見せずに話しかけてきた彼女には正直驚いた。
「おーい、早く行こう!」
急かすケインの声に、見れば彼は既に店の入り口で待っていた。
全く、と疲労感を覚えたが、それは表に出さず、セフィに「行こう」と声をかける。
「ケインがご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」
目や表情と同じ、全く抑揚のない声音で言ってセフィは頭を下げるが、何と言っていいかわからず、俺は一度頷くだけで応じた。
接し方に困る少女だ。
胸中で再度ため息を吐いて、ケインの後を追った。
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