過去1 ②依頼
男のジュース代と、迷惑料を含めた支払いを済ませ俺は店を後にした。
夜風の冷たさに一時的に「現実」を覚える。ほんの少しの恐怖。
「俺の分! えーと、払う」
「俺に構うな」
最終通告のつもりで吐き捨て、男を見ずに寝床へと足を向ける。
他の店で飲みなおすような気分でもない。こんな時はもう寝てしまうに限る。
「いや、だから、ちょっと待って」
まだ宵の口だ。いつもの明け方近い帰り道とは違い人通りも多い。人と人の間を抜けていくようにうまく歩けず、何度か通行人にぶつかったが相手の顔を見ることなく足を進めた。
「話聞けって!」
あと少しで寝床にしている物置小屋、というところで男に肩を掴まれる。
まだ諦めていないのか、とため息を吐いて振り返りもせずに上半身を軽く捻って男の手を振り解いた。
「一つ、予言をしてやる」
と、男は俺の背中に向かってなおも語りかけてくる。
「あんた、二度と剣を握らないって思っているかもしんないけど、また必要になる時がくる。これは絶対だ」
「何で」
絶対に、などという断定的な物言いに、興味を引かれ思わず振り返ってしまった。
しめた、と男の表情が変わるが好奇心の方が勝ったため、男の思惑通りになってしまったことに対しての後悔の念はない。
「そーいう時代がくるかも、ってこと」
「時代? 戦争でも始まるのか」
「いや、もっと――恐ろしいものだ」
恐ろしいもの?
往来の真ん中で足を止め、首をかしげていると、邪魔だったのか、中年の男が俺の背中にわざとぶつかって舌打ちを漏らしつつ通り過ぎた。
「なんだよ、あのおっさん。邪魔なら邪魔って口で言や道開けるっつの」
肩をすくめてそうぼやく男の手にはまだジュースの入ったグラスがあることに今更気づく。
「ちょっと、場所変えない? ああ、これ? 土産なんだ」
俺の視線に気づいたのか、男は説明する。土産って何の? そんな疑問が浮かぶ、が、それよりも気になるのは――
「恐ろしい、っていうのは、何がだ?」
「――――自分を守るために、あんたはまた剣を抜くんだよ」
能天気であったりおどけていたり、そんな今までの様子とは打って変わったかのように無表情になり、男は低く唸るように告げた。
自分を守るため? 俺が?
馬鹿馬鹿しいと感じたのは一瞬だ。
可笑しい、言葉だと苦笑してしまいそうな。
だが、寒気のような吐き気のような気持ちの悪さが心の底から浮かんできただけだった。
「以上、俺の予言。信じるも信じないも兄さんの自由」
何がひっかかるのだろう。
自分自身を守るため? そんな馬鹿げている。
そんな感情などありえない。
俺なんてどうなってもいい。
なくなってしまえば、消えてしまえば、そう思っていて。
「あー、俺、まずいこと言った? そんなつもりないんだけど」
一転して、元通りおどけたように笑い男は俺との間合いを詰めてくる。
「ってわけで、予言の代金代わりに頼み事を聞いてもらおうじゃないか」
「詐欺師は死ね」
にわかに気持ちが醒めた。
軽く男を突き飛ばし、踵を返す。
不安を煽って人を騙す手口を使う人間なんぞ信用できるか。
「詐欺じゃないって。さっき言ったろ、俺、そういうの見えんの!」
すがるように、男は更に俺の後ろを着いて来るが、無視だ。
「頼むって、あんたぐらいにしか頼めないんだって」
知るか。
物置小屋にたどり着き、男がまだ後ろにいることを確認しつつも、中へ入り、今にも壊れそうな木製の戸を閉じる。
すぐに、ドンドンと男が戸を叩く音がと振動が響く。
壊す気か。
牧草の上に裾がほつれかかったぼろぼろの布を敷いただけの簡易ベッドに転がったが、すぐに起き上がる。
小屋の持ち主はしぶしぶここを貸してくれているのだ。戸を破壊されたら間違いなく追い出されるだろう。
少し躊躇ったが、激しいノック音が続く戸を勢いよく開け放った。
「お」
「ここで、大人しく去るのと、殴られるのと、斬り捨てられるのと、好きな選択肢を選ばせてやる」
「あんたに、頼みを聞いてもらう」
俺の精一杯の譲歩に男は答える。そんな選択肢はない。
が、しかし、酒の効力もかなり失せているせいか疲れしか覚えない。
「そんなに必死に頼みたいことっていうのは何だ」
「簡単な護衛」
「護衛?」
思わず顔をしかめてしまう。
「平たく言うとボディガード。つか、そんな気張る必要も無い感じ。どう? 小遣い稼ぎ感覚でちょいちょいと」
「……あんたの?」
妙なセールストークを展開する男に構わず質問すると、男は少し悩んでいるのか、首をかしげて、うーんと声をもらした。
「依頼、受けてくれんの?」
「詳細は?」
ここまで強引に押しかけてきて、かつ戸の破壊工作まで行って、どうしてここで意外そうな顔をするのか、意味がわからない。
「この街から街道沿いに半日ぐらい行ったとこに、古代遺跡の発掘現場があんだけど、そこに行きたい。俺一人だったら、何かあっても逃げ出しゃ何とかできそうなんだけど、連れがいるんだよ。なるべく安全に行きたくて」
男の様子から、厄介な仕事だと決め付けていたが、あまりにも普通の内容で拍子抜けした。
何でこんなことでこいつは必死になっていたのだろう。
「そんなの、他にも引き受けてくれる人間ぐらいいくらでもいるだろう」
「先立つもんがないの。かといって安い依頼料でひきうけてくれんのも危なげだろ」
「俺なら危なくないとでも」
「言ったろ? 俺、そういうのわかるんだよね。で、やってくれんの?」
冗談なのか、本気なのか、あまりに男の口調は軽くて判別がつかない。
「飲んだくれが役に立つのか?」
「酒代ぐらいは出しますぜ」
酒代が依頼料だということだろうか。
正直どうでもいい。金に困っているわけでもないし。
「そろそろ移動しようと思ってた。移動の途中だ。行ってやる」
「やった! マジ助かる!」
飛び上がって喜ぶ男に眩暈がした。
この俺がこんなに感謝されるなんて奇妙な感じだ。
「ええと、そんじゃ、俺は――ほら、大きい食堂の近くの宿に泊まってんだ。わかる?」
頷くと、男も一度頷いて続ける。
「明日、正午にその食堂で待ってる。連れもその時紹介するわ。てか、明日出発で構わないよな?」
「ああ」
「あとは……、そうだ! 俺はケイン。あんたは?」
「……ヒュー」
人懐っこい笑顔になって手を差し伸べてきた男――ケインの手を握り返し、握手を交わす。
「そんじゃヒュー、また明日!」
余程嬉しいのか、満面の笑みでケインは俺に手を振って戸を閉めた。
ジュースのグラスはまだ彼の手の中にあったのが印象的で。
戸が閉まってからも、しばらく俺はその場に立ち尽くしていた。
簡易ベッドがようやく作れるだけの窓もない粗末な作りの木で出来た物置小屋は随分長く滞在したような気がしていたが、どこか白々しい。
半分腐っている木で組まれた床。朽ちかけた梁。
取り壊すつもりだと持ち主は言っていた。
忌々しい。何もかもが。
酔いが醒めてしまったからだ。何もかも。
――似ているんだ。と、ようやく思い当たる。
人懐っこそうな笑顔のあの男、ケインが、俺のよく知っている人物に似ている。
それが、そう思い当たってしまったことが、全てが忌々しい。
頭をかきむしって、牧草ベッドに倒れ込む。――眠れるわけがないとは思っていた。
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