現在1 ②出立

 翌朝、まだ薄暗い時間だというのに起床すると、既に母が起きていて朝食の準備をしていた。


王子ディノ様からきいたわ」

 

 父が亡くなったのは俺がまだ子どもの頃だったため、母との二人暮らしは長い。

 貴族の一人娘として大事に育てられてきた母はどことなく気品がある。

 が、世間知らずでどことなく危なっかしい。

 勿論料理なんてできないので準備と言っても既製品のパンを並べただけだが。

 それでもありがたい。

 

 親子揃って勤め先の城に詰めていることが多く、食事もそちらで済ませることがほとんどだ。

 作らなくても一切困らない。

 

 生まれてすぐに母親を亡くしたディノの乳母となり、この国の王子と俺の両方を育てあげた母はとても逞しいと思う。

 素直に尊敬している。

 

「言わずに行くつもりだったの?」

 

 テーブルにつき、パンをもそもそ食べていると、お茶の入ったマグカップを差し出しながら母は責めるように言ってくる。

 さすがにお嬢様でも没落生活が長いと水を沸かすことぐらいはできるようになるらしい。


「書き置きをしていくつもりだった」

 

 別に俺から言わずともディノから話を聞けば別に困ることはないだろう。

 もう一人の息子なんだし。

 現に仕事のこともディノから聞いたと言ってたぐらいだし。

 

「夕べも遅かったじゃない」

「昨日は用事があるって」

「結局、母親より恋人なのよねえ、息子なんて」

 

 からかうような口調に苦笑を返すことしかできなかった。


「ちゃんと帰って来たら結婚しようって言えた?」

「はあ?」

 

 吹き出しそうになり寸でのところでこらえる。

 何か言い返そうと言葉を探している間に、母は呆れたように嘆息した。

 これはわかっていて言ってきているパターンだと察する。

 何もかもお見通しかと恐ろしい。

 

「なってないわねぇ。二十二にもなって信じられないわ」

「……」

 

 そんなことは自分が一番わかっている。

 

「ミルドレットさんと所帯を持ちたいとは思ってるんでしょ」

「……たぶん」

 

 少し迷って肯定の意を示す。

 なんだか母に話すのが気恥ずかしいのもあったが、原因のわからない、昨夜感じた不安がちらついていた。

 ミルドレットに対する不安なのか。それとも俺自身か。

 

「たぶん、ねえ」

 

 呆れた顔で母は再度ため息を洩らしたが、構っている時間はあまり残されていなかった。

 

「待ってくれるのかしら、同い年なんでしょう? そろそろきちんと話をしないと」

「帰って来たらしっかり考える」

 

 まだ語りたそうな母にそう告げて食事を終えると、一度自室に戻る。

 机の引き出しに大事にしまい込んであった、安物のチェーンに父の形見の指輪を通してある『お守り』を手に取った。


 父が戦地に赴く際に母が「お守りに」と託したものだそうだ。毎度無事に帰ってきていたのだから、効力は確かだろう。

 白金を地にしたリングに貴石をひとつ埋め込んであるシンプルなデザインである。

 指輪本体は、かなり高価らしいので無くさないようにと、首にひっかけながら玄関へと向かう。


 玄関前で母が待ち構えていた。

 先ほどは軽口をたたいていたが、やはりほんの少し心配そうな様子である。

 

 不安そうな顔を見て、急に動悸が激しくなった。母を一人残していく不安か。

 いや、ディノがいるから、母は一人ではない。

 それに、これは昨日ミルドレットといた時に感じた不安に似ている。――ような気がする?


「母さん」

 

 収まらぬ動悸に慎重に言葉を探す。

 不安。恐れ。怯え。そういうもの。

 でも一体何に対するものなんだろう。怖いのは、俺がこのまま帰って来ないことじゃない気がする。

 

「帰ってくるから。……帰ってくるけど、あまり言葉を信用しすぎない方がいいんじゃないかと」

 

 何を口走っているのだろう。

 自分でもわからない。

 母も少し怪訝そうに眉を顰めている。

 

「何言っているの」

「いや、何となく」

「しっかりして。それと気を付けて」

「わかってる」

 

 仕事で遠出することははじめてではない。

 だが母はいつも憂いを帯びた顔をしている気がする。

 いつも無事に帰ってきているのに。


 父だってそうやって無事に帰ってきた。戦争では死ななかった。

 思ったそのままを告げると、

 

「確かにあなたはあの人の子だけれど、あの人ではないでしょ」

 

 そう返されてしまった。

 

「俺も親父みたいにきちんと帰ってくるから」

「当たり前でしょう」

 

 心配してくれているのはわかる。

 が、出発前の問答はいつものことだが、疲れるのはいつもだ。

 いつのまにか動悸も治まっていた。

 

「じゃあ行ってくる」


 ぶっきらぼうに母に告げ、俺はいつものように家を出た。



 

 ***



 仕事自体はそう大した仕事ではない。

 国内で禁じられている奴隷商人を摘発および捕縛すること、それだけだ。


 輸送ルートも彼らの根城も既に調査済みであとは乗り込むだけの状態。

 摘発部隊も結成されていてその中に俺は無理やり組み込まれた。

 勿論王子様によって無理やりだ。


 この国フィルツに置いては、十数年前に奴隷制度を廃止している。

 国民を他国に奴隷として売りつけたり、他国より奴隷を買ったりすることも無論違法。

 元々は労働力の向上のための制度であり、国として独立したときに法律化したものであった。


 しかし、どこにも闇ルートというものは存在するもので、国内の子どもを攫って国外へと売り払う犯罪を行う輩は少数ながらも存在している。

 その奴隷商人から賄賂を受け取ることで、犯罪を見逃すような役人も。


 『腐った官吏を黙らせ、商人どもを法で裁きたいから力を貸してくれ』というのがディノの依頼の全てだ。


 召集された摘発部隊も官吏たちの選出によるもの。部隊が既に商人たちに買収されている可能性は高い。

 だからディノは俺を無理やりこの摘発部隊にねじ込んだ。内部から不正を叩くようにと。

 

 隊長である最年長のガスバは、昼行燈という評価をされている男だった。しかし、実際に接して見ればやる気はあるようには見える。

 隊長を除く残りの二人は何をするにも面倒くさそうな様子だった。それが演技なのか、事実なのか俺にはわかりかねた。分析はそんなに得意ではない。


 俺も『王子様』から怠惰な態度を装うよう指示されていたので、わざと気の乗らないような態度をとる。

 隊長とこいつら全員を欺かねばならない。

 俺より先輩にはなるが、礼節はあえて無視することにした。


「えーと、情報によると彼らのアジトは南の砂漠、通称『死の砂漠』にあるとのことでしたね」


 とぼけたような声音でガスバが一同に言う。


 俺の父が生きていれば、ガスバと同じ歳ぐらいだろうか。

 勝利の英雄と讃えられた父は、戦後「戦争がなければただの人だ」と誹られる中でも着実に仕事をこなしぐんぐん出世した。

 そしてあっさりと流行り病に倒れそのまま亡くなった。


 しかし、ガスバには輝かしい経歴はないものの今もこうやって仕事に励んでいる。

 父とこの男のどちらが幸せなんだろう。

 そんなことを意味もなく考えてしまう。


 世間的には、英雄であった父の方が尊いというか、幸せであるようにみえるだろう。

 しかし、父を亡くし塞ぎ込んだ母の姿を見て育ってきた俺から見ればこの男の方が幸せだと思う。

 恐らく、母と俺よりもこの男の家族の方が。


 そんな場にそぐわないことを、とりとめもなく考えこんでしまっていたら、隊員のうちの片方に舌打ちされてしまった。


「おいおい、エリート様はこんなチンケな作戦、気乗りがしねーってか? 隊長の話ぐらいきちんと聞けよ」


 そういう風に思わせるよう指示をされているわけで。俺はあくびをかみころす振りで聞き流す。

 父が英雄と呼ばれるほど有名で、王子が乳兄弟みたいなものだとどうもエリートだとかそういう目で見られがちだが、別段俺自身そんな優れた兵士というわけではない。

 父に負けないようにと剣の腕だけは磨いた。それこそ誰にも負けないようにと。

 だが、それだけだ。

 平和な現在、その腕を生かす場もない。かといって、政治知識が優れているわけでもなく、家も没落して久しい。凡庸この上ない。


「とにかく、そのアジトの近くまで行きましょう」


 とりなすようにガスバが言い、俺たちは結束することもなく死の砂漠に向けて馬を走らせる。

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