第20話 新たな試練と対立
救命センターに再び慌ただしい時間が訪れていた。工藤美咲がリーダーとして立ち上がってから数週間が経ち、チーム全体は徐々に新しい体制に慣れてきた。しかし、その分だけ新たな問題や試練も増えていた。
ある日、救命センターに一件の難しい案件が持ち込まれる。交通事故で運ばれてきた中年の男性。彼の容態は非常に危険な状態であり、脳出血も疑われていた。緊急手術が必要だが、同時にもう一人の重傷患者――妊婦も運ばれてきていた。彼女もまた、内出血で命の危険にさらされている。
「先生、どちらを優先しますか?」
看護師が工藤に急かすように尋ねる。工藤の心は瞬時に混乱した。彼女はすぐに患者の容態を確認し、頭の中でシミュレーションを行う。時間との戦いだ。どちらも放っておけないが、どちらか一方を優先しなければならない。
すると、その時、若手医師の杉本颯太が口を挟んできた。
「工藤先生、妊婦を優先すべきです!彼女の命を救わないと、胎児も失われます!」
杉本の言葉には強い感情が込められていた。彼は母親と胎児の命を天秤にかけることができず、感情的に訴えてきた。工藤もその思いを理解できたが、冷静に考えると、どちらも同等に重い命だ。
「杉本、落ち着いて。今は両方の容態を正確に見極めなければいけない。」
工藤は冷静に彼に言葉を投げかけた。しかし、杉本の表情は苛立ちを隠せなかった。
「でも、先生!母親を救えば、二つの命が助かるんですよ。迷う理由はないはずです!」
杉本は熱く工藤に詰め寄った。彼の熱意と情熱に工藤も揺さぶられるが、リーダーとしての立場を崩してはいけないことを彼女は強く意識していた。
「分かっている。でも、感情で判断するだけじゃ足りない。妊婦の出血が止まっていない以上、手術ができるタイミングを見極めないと、逆に手術中に亡くなる可能性が高い。」
工藤は杉本の視線をしっかりと受け止め、さらに続けた。
「今、優先すべきは中年の男性患者の脳出血。緊急手術をしなければ数分以内に脳へのダメージが取り返しのつかないものになる。」
彼女の冷静な判断に、杉本は一瞬言葉を失った。彼は感情に突き動かされ、妊婦の命を最優先に考えていたが、工藤の言う通り冷静さを欠いていた。
「…分かりました。」
杉本はようやく折れ、工藤の指示に従うことにした。工藤はすぐに手術チームを招集し、中年男性の手術を開始する準備に入った。彼女の心の中では、妊婦の状態が気がかりだったが、今はリーダーとして冷静に最も緊急性の高い患者を優先する必要がある。
手術室に入ると、工藤はすぐに状況を確認し、的確な指示を飛ばし始めた。篠原がいない今、彼女がチームを率いて命を救う責任がある。だが、頭の片隅では妊婦のことが気になって仕方なかった。工藤は手術に集中しながらも、自分の判断が本当に正しかったのかという疑念が心をかすめた。
「先生、出血箇所が見つかりました。」
手術中の報告が入り、工藤は瞬時に対応策を決める。彼女の手は震えていない。時間との戦いの中で、工藤は冷静さを保ち、手術は順調に進んでいった。
「血圧安定しています。脳出血も止まりました。」
手術が無事に終わり、工藤は深く息をついた。だが、すぐに心が再びざわめく。今度は妊婦のことだ。
「杉本先生、妊婦の容態はどうですか?」
手術を終えた工藤が処置室に戻ると、杉本が彼女を迎えた。彼の表情はやや沈んでいたが、希望の光も見えた。
「出血が止まり、安定しています。胎児も無事です。」
杉本の言葉を聞いて、工藤はようやく胸をなでおろした。自分の判断が正しかったことを確認できた瞬間だった。しかし、その一方で、彼女は杉本の熱意に心を打たれてもいた。
「杉本、君の考えも理解している。感情を持つことは大切だ。でも、それだけじゃ医者としての役割は全うできないこともある。冷静さと感情、そのバランスが必要なんだ。」
工藤の言葉に、杉本は頷いた。彼もまた、自分の感情に流されすぎていたことに気づき、学びを得たようだった。
「ありがとうございます、工藤先生。これからも、しっかり冷静に判断できるように努めます。」
二人はお互いを見つめ合い、ほんの少しの笑みを浮かべた。緊張と葛藤の連続だったが、少しずつチームとしての信頼が生まれ始めていた。
工藤はまだ自分のリーダーとしての力不足を感じつつも、次の試練に向けて冷静な心を保つ覚悟を新たにしていた。篠原のいないこのセンターで、自分がリーダーとして成長していかなければならない。その重みを改めて感じながら、工藤は次の患者に向かうために歩き出した。
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