第16話 大事故発生と決断のとき

救命センターに突然、緊急アラームが鳴り響いた。ドクターヘリが到着し、次々と重傷者が搬送されてくる。深夜の高速道路で大型トラックと複数台の乗用車が絡む大規模な衝突事故が発生したという報告だ。センター内は瞬く間に緊迫した空気に包まれ、スタッフたちは対応に追われ始めた。


工藤美咲は慌ただしく手袋をはめ、処置室へと駆け込む。篠原遼と杉本颯太もすでに待機しており、彼らの目に緊張の色が浮かんでいる。救急車のサイレンが遠くから近づき、次々と重傷者を運び込む音が響き渡る。


「患者を振り分けろ!重症度を優先して処置する!」


篠原の冷静な指示が飛ぶ。彼の声には迷いがない。工藤は一瞬だけ彼を見つめ、すぐに患者のもとへ向かった。現場は阿鼻叫喚。泣き叫ぶ声、機械音、指示を出す医師たちの声が混ざり合い、混沌とした状況に工藤の心は激しく揺れた。


目の前に運ばれてきたのは、意識不明の若い女性。工藤は彼女の脈拍を確認し、すぐに看護師に指示を出す。


「輸血の準備を!心拍数が落ちている、すぐに気道を確保して!」


彼女は手際よく処置を進めていく。しかし、次の瞬間、別の看護師が彼女の袖を引いた。振り返ると、重体の子供が運ばれてきている。その子供の顔には、意識が朦朧としており、呼吸も荒い。彼を見た瞬間、工藤の胸に不安が広がる。


「工藤先生、こちらの患者も重体です!」


二つの命を前に、工藤は瞬時に判断を迫られる。若い女性か、幼い子供か――どちらを優先すべきか。彼女の心に葛藤が生じる。感情が彼女を動かそうとする。子供を救いたい。しかし、それは彼女の感情に過ぎないのか。救命医としての冷静な判断はどちらを選ぶべきか。


その時、篠原が彼女の側に現れた。彼の目は鋭く、冷徹な判断を求めるように彼女を見据えている。


「工藤、迷っている暇はない。どちらかを選べ。」


篠原の言葉が工藤の心に重くのしかかる。冷静に判断しろ――それが彼女に突きつけられた現実だ。だが、彼女の中で感情が強く渦巻く。目の前の子供の瞳は、彼女の心を締め付けるように訴えかけている。


工藤は一瞬、篠原の目を見つめた。彼の目には冷徹さが宿っている。しかし、彼女はその目の奥に、何かを感じた。それは、かつて彼も同じ選択を迫られた瞬間があったということかもしれない。


「私は……」


工藤は深く息を吸い、決断を下した。彼女は看護師たちに向けて指示を出す。


「この子を優先します!」


工藤の声は、迷いを振り払ったかのように響いた。彼女は子供の処置に取りかかり、篠原はその決断を無言で見つめていた。彼は一瞬だけ目を閉じ、そして若い女性のもとへ向かう。


「女性の方を引き受ける。迅速に処置を!」


篠原は冷静に指示を飛ばし、手際よく患者の処置を進めていく。工藤と篠原、二人の医師がそれぞれの信念を胸に患者の命と向き合う。時間との戦いが始まった。工藤の手は震えていない。彼女の中にある感情は抑えられ、今はただ冷静に、確実に命を救うことだけに集中している。


子供の容態が悪化する中、工藤は全てのスキルを駆使して命をつなぎ止めようとする。心臓マッサージ、気道確保、輸血、どの処置も一瞬のミスが命取りになる。モニターに映る心拍の波形が不安定なまま上下を繰り返す。彼女の額には冷や汗が滲むが、決して視線を逸らさない。


「もう少し…もう少し…!」


工藤の心は祈るように叫んでいた。そして、ついにモニターの波形が安定し始める。彼女の処置が功を奏し、子供の心拍が戻りつつあった。看護師たちが安堵の声を漏らす中、工藤は深く息を吐いた。命をつないだ。彼女の選択は、今のところ間違っていなかった。


一方、篠原の側でも、若い女性の処置が続けられていた。彼の手際は見事で、彼女の容態も安定し始めている。工藤は篠原の背中を見つめた。彼の冷静な判断が、また一つの命を救った瞬間を目の当たりにする。感情に流されない篠原の姿が、今の工藤には眩しく映る。


工藤は、まだ揺れる心を抱えながらも、自分の選んだ道に一つの確信を持つ。感情と冷静さ、その両方を持ち続けることの難しさと重要性を、この一瞬で痛感していた。篠原の背中に再び目を向けると、彼は彼女の視線を感じたのか、振り返り静かに言った。


「お前の選択は間違っていない。ただ…これからもそうであるとは限らない。それを忘れるな。」


篠原の言葉は厳しくも、どこか温かさを感じさせるものだった。工藤はその言葉を胸に刻み、再び前を向いた。彼女の戦いはこれからも続く。しかし、この大事故の中で、彼女は自分の選んだ道を進む覚悟をさらに強くした。


彼女の心はまだ揺れている。それでも、彼女はその揺れを抱えながら、次の命に向き合うために歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る