第2話 夏のある日。僕は君と雨宿りをする

 学校帰りに、大きな公園を通り抜けようとしていたら、急に空が真っ暗になった。

 遠くの空では界雷が鳴っており、時折、稲妻が走る。

 降る。数秒後に土砂降りが始まる。


「そこ! 屋根がある! そこ入る! 急いで! 急に暗くなってきたし、雷ゴロゴロ言ってる! 降る! 降る!」


 僕達は公園にあった小屋に駆けこむ。

 その直後、ガシャンという交通事故さながらの落雷音が轟いたあと、滝のような雨が降り始めた。

 まるで地鳴りのように周囲の地面が鳴り響きだす。


「ギリギリセーフ……。ん~。ゴリラ~げうう~。という定番のボケをひとつまみ、っと。あはっ」


 君が何か言ったようだけど、雨音が凄すぎて後半、ほとんど聞きとれなかった。


「……え? 聞こえない? ゴッ、リッ、ラッ、げッ、うッ、う~~~ッ!」


 わ、分かったから、そんな耳元で叫ばんでも……。

 空が決壊した瞬間の轟音はすぐに収まったけど、それでも雨音は大きい。

 自然と僕達の距離はいつもより一歩短くなった。


「ほんと、最近の夏はいきなり降り出すよね。まあ、最近と言っても、ノリで言っているだけで、去年やおととしのことなんて覚えてないんだけどねー」


 たしかに。雨のことはあまり覚えていないかも。

 お母さんが『電気代が……』とぼやいていたし、エアコンを使いまくるくらい暑かったことはよく覚えているけどね。


「ところで、今私達がいるような、公園にある屋根だけの小屋って、なんて名前だっけ。なんか名前があったよね? うち、和菓子をこういうところで出すことあるから、聞いたような気がするんだけど……。ま、どうでもいっか。タオル、タオル……あったーっ」


 君が鞄から取りだしたタオルで顔を拭く間、僕は鞄を開き、スケッチブックやスマートフォンが濡れていないか確かめる。

 よし。大丈夫そう。


「お。スマホもスケッチブックも大丈夫だったんだ。良かったね」


 うん。

 うわっ。急に目の前が真っ白になった。

 何か、ふんわりした物が当てられている。


「ん。じっとしてて。拭いてあげる」


 あ。タオルか。で、でも、なんで。


「なんでって、君も濡れてるし」


 そうなんだ。じゃあ自分で拭くから貸して。


「いや、貸せないよ。だって、私が拭いたタオルなんだし……。その、汚れてたら恥ずかしいし……。汗の匂いとか残ってたら死ぬる……。だから、私が反対側で拭いてあげる。じっとしてて」


 そ、それはそれで恥ずかしいのでは……?


「右から……」


 右って言われたから備えていたら左を拭かれた。君から見て右か。


「左も……」


 なんか、照れるな……。


「仕上げにおでこを、ぽふぽふ。……あれ。強く拭きすぎた? 顔、赤いよ」


 だ、大丈夫。気のせい。


「本当に? 大丈夫? 熱中症とか夏風邪とかじゃない?」


 大丈夫だから、本当に。


「あ。そうだ。昔は熱中症ってゆっくり言わせてて『ねっ、チューしよ……』っぽくするのが流行ったけど、今は早く言って、『ねっ、チューしよっ』て気軽に頼む感じなのがトレンドらしいよ」


 そ、そうなんだ。

 今少し距離を詰めてきたし、僕のことをからかっていたんだろうか。本当にチューしようとせがまれたと誤解しかけた。


「とりあえず座ろっか」


 うん。

 僕達が腰を下ろすと、木製の長椅子がギシッと小さく鳴った。

 ざあああ……。

 不意に会話が途切れ、雨音が大きく聞こえる……。


「ねえ、知ってる? 夏って毎年。平均気温が高かったり台風が少なかったりして、みんなが納得する定番の、これぞ夏という夏がないから、例年とちょっとでも何かが違っていたら『今年の夏はいつもと違う』ことになるんだよ。だからきっと、今年の夏は去年と違うし、来年の夏も今年とは違うんだよ。フランスかドイツの政治家か科学者が『夏は毎年異常である』って言った名言があるらしいよ」


 何もかもが曖昧で、すんごいふんわりした情報だ。


「きゃっ」


 うわっ。ど、どうした、急に。


「……びっくりしたー。雨、結構斜め。……濡れてきちゃった。つめてつめて」


 あ。雨か。こっちもビックリしたぁ。


「あっ……」


 こ、今度は何?


「えっと……。座ってから言うの、ごめんなんだけど……。君、背、伸びた? あっ。胴体だけが伸びて脚は伸びていないって意味じゃなく。ほら、歩いているときは体が動いているから気づかなかっただけで」


 ……それ、前も言ってたよね?


「え? 前も同じこと言ってた? あははっ、ごめん。悪気はないから。うっかり忘れてただけだから」


 ……ならいいけど。


「そんなことより、ほら、こんなにくっついていると、スケッチできないね。……え? こんな近距離から見て描けるの? いいよ。じゃ。今日も可愛く描いてね」


 うん。でも、ちょっと近すぎて描きづらいかな。


「ほらー。近くて見にくいとかじゃなくて、近すぎて照れるから描きづらいでしょ?」


 そうだよ。


「そんな、即肯定せんでも」


 顔、赤いよ?


「いやいやいや、私は赤くなってない。照れてるのは君だけだって。ほら、描いて」


 うん。

 僕はスケッチをする。

 鉛筆が画用紙を擦る音が雨に飲みこまれていく。


「お。だいぶ雨が弱くなってきた。通り雨が剣道をしました。『とおりゃあ、めぇえん!』」


 は?


「ごめん。今の忘れて。思いついたら口にしちゃうタイプで、ごめん……」


 あ、うん。


「……これくらいの雨だと、落ちつくよね。雨が木の屋根に当たってパラパラ鳴るの、風情があるし。木の机と木の椅子も良き。それに雨の匂いも好き……。はあ、チルい……」


 うん。スケッチがはかどる。


「……でも、蒸し暑いのはやだぁ~。ねえ、脱ぐからあっち向いてて」


 えっ?!


「うーわっ……。本気にした……。君、エッチが過ぎるんだけど……。脱ぐわけないじゃん? 馬鹿なの?」


 ……。


「あははっ。ごめん。冗談だって。あ。見て、セミ! あの子も避難してきたのかな。最初からいたのかな」


 君はガタガタと音をならしながら立ちあがると、小屋の柱に向かった。


「あっ! 違う! 脱皮中だ! 雨の降らないところでよかったねー。短い命だもん。幸せに生きてほしいな」


 たしかに、短い命だし幸せになってほしい。

 僕もしんみりしていたのに――。


「脱皮中のセミ。これが真のセミヌードか」


 ――雰囲気をぶち壊すの、君らしい。

 君はセミ観察を終えて、僕の隣に戻ってきた。


「動いてごめん。スケッチ続けてけっち」


 ぷふっ。てけっちって……っ。


「ん? なんで笑ってるの? セミヌード、そんなにウケた?」


 あははっ!

 そっちじゃなくて……!


「あははっ。笑いすぎ。なんでそんなのがハマってるの? あはははっ! あはははっ!」


 あははははっ!


「あははははっ。……はー。笑い疲れた。あるよね。こういうどうでもいいことが無性に面白くてゲラること。なんて言うんだっけ。割りばしを割っただけで面白い? 検索、検索~。あ。箸が転げただけで面白い年頃だって。十代後半の女子は日常の些細なことでも面白く感じちゃう年頃、って意味。あははっ。まさに私のことだ。永遠の十七歳なら、永遠に毎日が面白くて幸せかも」


 そうだね……。

 ずっと君の笑顔を見ていたい……なんてことは恥ずかしくて言えない。


「……脱皮中のセミがタピオカミルクティーを飲むよ。……セミ脱皮! あははははっ!」


 や、やめてよ!


「あははははっ! ごめん! 思いついたから言うしかなかった! あはははっ。黙るから。黙ってたら美人っての、やるから。って、自分で美人言うんかーい。あはははははっ。駄目だー。今日、ずっと変なスイッチ入っている~っ」


 あははははっ!

 どうするんだよ。スケッチ、ぜんぜん進んでないよ。


「しょうがないでしょ。君と一緒にいると楽しいんだもん……。と可愛さアピール……。ししし。これで、君の描く私の魅力、五割増し。美人に描いてよー?」


 う、うん……。善処する。


「照れんなし。言ったこっちも恥ずい」


 なら言わなければいいのに。

 スケッチ再開だ。

 しばらく雨音だけのまま時が過ぎる……。


「あっめ、あっめ、ふっれ、ふっれ、母さんが、車でお迎え、嬉しいな……」


 なんか歌詞が違わない?

 車でお迎えだっけ?


「あ。見て。降れって言ったら、やんだー。天邪鬼だなあ」


 ちょうどいいタイミング。スケッチ終わったよ。


「あっ、虹だ! うっそ~っ。あはははっ! はー……。笑いすぎてお腹、痛……。スケッチ済んだの? じゃ、行こっか」


 僕達は荷物をしまい、立ちあがる。

 木の椅子がガタガタと鳴り……。


「あっ! あははははっ! 見て! 椅子にお尻のあと、くっきり! あはははははっ! 木の椅子だから! あははははっ! あっ、やっぱ、駄目っ、見ないで! 私の方がお尻大きいとか、そういうんじゃないから! 濡れてただけ! 私の方がいっぱい濡れてただけだからーっ!」


 僕は記念に写真を一枚撮っておいた。

 だけど、家に帰ってから、君に写真を共有しようとしたら、無性に恥ずかしくなったため、削除した。

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