明日の私に送る最後のメッセージ
うーぱー
第1話 春のある日。僕は君と一緒に砂浜を歩く
「海だ~っ! ほら、言ったとおりでしょ。春なら海水浴客がいないから、私達だけで、キラキラ輝いた海を独占できるって。綺麗~。ね、鞄、持ってて。私、裸足になるから!」
僕は君の通学鞄を受けとる。人形がいっぱいぶら下がっていて、ちょっと重い。
「ね。君も靴、脱いだら? 裸足で歩くと、絶対に気持ちいいよ」
そう言って君は靴を無造作に脱ぎ捨てると、片脚立ちになって靴下も脱ぎ始める。
「うわっと……!」
危ない!
両手が鞄でふさがっている僕は、胸で君の背中を受け止める。
「ありがと……。あははっ。見栄を張って立ったまま靴下を脱ごうとしたけど、私、こう見えてけっこうどんくさいから、お風呂の時は座って脱ぐんだ。あははっ。このまま支えてて」
本当は少し恥ずかしいんだけど、仕方なく僕は君を支え続ける。
「ん。ありがと。ん~~~っ。裸足で歩くの、気持ちい~。足の指と指の間に砂が、さわさわ~って入って、くすぐってくる~。あはっ。あはははっ。なんか笑えてくる」
尖った貝殻が落ちているかもしれないから気をつけてね。
「……は~い。尖った貝殻、了解~。足下には気をつけま~す。ね。もうちょっと海に近づこうよ」
僕は君のか細い背中を追いかけて海に向かう。
「波の音って癒やされるよね……。ざざーん、ざざーんって緩やかに……。なんか、しみる……。あ。春の海と言えば、ね、知ってる? お正月の――」
君がくるっとターンして僕の方に振り返ると、髪が肩の上でふわっとなびいた。
後ろ歩きで転びやしないか、ちょっと心配だ。
そんな僕の心配を知りもせず、君は楽しそうに音楽を口ずさむ。
「テンッ……テテテ……テン♪ テンッ……テテテ……テン♪ ぷ~ひゃ~っ♪」
あ。お正月に動画とかテレビとかでよく聞く曲だ。
「って曲、あるでしょ。お琴と、なんか笛のやつ。あの曲ね『春の海』っていう名前なんだよ。なんでお正月なのに、春の海なんだろうねー。ふふふ。実は私、お正月からタイムスリップしてきた過去の私なんだよ。驚いた?」
な、なんだってーっ。
僕は派手に驚いた。
「なーんてね。君のオーバーリアクション、良きだよ。……座ろっか。大丈夫大丈夫。制服が汚れるとか気にしない。来週から夏服でしょ。少しくらいなら汚れても大丈夫。んしょ」
意外と度胸のある君は、波で濡れている境界付近に座った。
たしかにそこは濡れていないけど、大きな波が来たらどうするんだろう。まあ、いっか。
僕は君の隣に座る。
「あっ……」
急に声をあげるなんて、いったい何が……。
「えっと……。座ってから言うの、ごめんなんだけど……。君、背、伸びた? あっ。胴体だけが伸びて脚は伸びていないって意味じゃなく。ほら、歩いているときは体が動いているから気づかなかっただけで」
よかった。身長のことか。僕の座った位置が近くて嫌がられたわけじゃなかった。
たしかに、僕はまだ成長期が続いている。
「ね。やっぱ大きくなったんだ。入学したときは、私と同じくらいだったのになー」
背比べでもするかのように君が肩を寄せてきたから、僕は少し驚いて、身を強ばらせた。
それはそうと、おかしいな。
入学したときに同じくらい?
僕の方が大きかったはずだけど。
「違う違う。高校じゃなくて中学の入学式だよー。よく覚えているよ。だって、校門前にすっごい長い行列ができていてさ。私はお母さんに『もういいから帰ろうよ』って言ったんだけど、ちょうど君が撮影する番で。ほら、君のお母さんって、うちの和菓子の常連さんで、いっつも私のお母さんと長話してるし。まあ、知りあいだから一緒に記念撮影しよーってなって……。今更だけど、私達、映えない出会いだったね。お互い思春期始まりかけで、妙に意識しちゃって、写真の真ん中に笑顔の親が並んで私達が端っこで緊張した顔しているって、それどうなのよ。ねー?」
あー。懐かしい。今でもたまにその写真、見るよ。
「でも……。映画やドラマみたいな出会いじゃなかったからさ、逆にこうやって、長く続いているんじゃないかな?」
うん。一理あるかも。
「ん……」
不意に会話が途切れ、僕達は波の音を楽しむ。
ざざーん、ざざーん……。
規則的なような……。不規則なような、不思議な音色。
「テン、テテテ、テ~ン♪ テン、テテテ、テ~ン♪ ふん、ふ~ん……」
君が波の音に合わせて、春の海を口ずさむから、僕も一緒に口ずさんだ。
不思議だな。本当は、今見ている春の海をイメージした曲のはずなのに、季節外れのように感じるなんて……。
「……あ、ほら。今、チャンスじゃない? 和らいだ陽差しの下で、緩やかな海風を浴びながら歌を口ずさむ(美)少女……。絵になるでしょ? ほら、絵にして」
少女の前に小さく「美」って言って、照れくさそうに口元を緩めたの、ちゃんと気づいたからね?
僕は自分の鞄をガサゴソと漁って、スケッチブックと鉛筆を取りだす。
そして、スマホのカメラで写真を撮る。
「じー……。写真、撮り終えた? や。分かるよ。もう動いてもいいって。君がラフスケッチだけして、あとで写真を見て細部を描きこむというのも覚えてる。でも、やっぱほら、絵のモデルになると、どうしてもじっとしちゃうよ……」
僕は君の横顔をスケッチする。
「動いていいって言われても……。じゃあ、今の私の姿、しっかり目に焼き付けて。私が隣にいなくても絵が描けるくらい。……って、私、はっずいこと言っちゃった?」
そ、そうい言われると照れちゃうんだけど。君のことを見つめられなくなる……。
「ちょっと、真っ赤にならないでよ! も、もう、なし。今のなし! お互い、夕日に照らされたってことにしよ。……夕日にはまだちょっと早いかもだけど」
う。うん。なしということで。
僕は『正面だったら緊張しすぎて君の顔は描けなかったな。横顔で良かった』と思いながら、スケッチを続ける。
さっきの美少女発言時の笑顔が瞼の裏に焼き付いているから、表情はそれにしよう。
「どう? 順調?」
びっくりしたあ。スケッチブックに集中していたから、いきなり耳元で囁かれて驚いた。
反射的に君の方を見て、もっとビックリする。
君がスケッチブックを覗くために真横に顔を寄せていたから、あまりにも近くて、頬に鼻先や唇が触れてしまうかと思ってしまった。
「……ん。上手くいってないなら、いったん鉛筆を置いて、波の音に耳を傾けてみて。ほら」
心臓が高鳴っている僕は君のアドバイスに従い、波の音に耳を傾ける。
「なんかリラックスするでしょ。波の音を聞くと、お母さんのお腹の中で浮いていたときのことを思いだすんだって。ほんとかな……? 昨日の夕ご飯のおかずだって忘れちゃうのに、胎児だったときのことなんて覚えていないよね」
うん……。
「……こうやって君と一緒に海を見たことは、忘れずにずっと覚えていたいな……。って、しんみりムードごめんごめん。ずっと覚えてるよ。今のは、ほら、あれだよ。毎日楽しい想い出を作って、今日をたくさんの想い出の中の一つにしちゃって、簡単には多い出せないようにしようってこと。そういう前向きな意味で忘れちゃお!」
面白い発想だね。
たしかに、楽しい想い出を忘れちゃうくらい、もっと楽しい想い出をいっぱい増やせばいいんだ。
忘れてしまっても、それは必ず、何処かに残る。
「ぜんぜん季節が違っててごめんだけど、七夕の織り姫と彦星って年に一度しか会えないでしょ? だから、きっと二人は会えたときのことを、来年までずっと覚えてる。でも、君は毎日私に会いに来てよ。そうしたら、今日のことなんて忘れちゃうから。ううん。忘れて! ね、それって素敵なことでしょ? 私は今日のことを忘れるし、君も、今日のことなんて忘れちゃおう。それでさ、大人になったら、いつか君が撮った写真と、スケッチブックを一緒に見よ。それで、忘れちゃったことを思いだすの」
うん。そうしよう。約束するよ。
僕は……。大人になった君と一緒に、アルバムとスケッチブックを見たい。
「って、大人になっても一緒にいるんかーいって、あははっ。恥ずかしいこと言わせないでよ、もー」
う、うん。恥ずかしいけど……。でも、ずっと一緒にいたいというのは、本心というか……。
「あ、えっと……。うん。君が私に愛想を尽かさないんだったら……。ずっと一緒にいてほしい……」
うん。……ずっと一緒にいよう。
「本当に?」
うん。
「約束だよ?」
うん。約束。
「えへへ……。ねえ、私、照れちゃたから露骨に話題を変えるね? 海の向こうって何があるんだろう」
オーストラリアがあるよ。
「オーストラリアとか言うな!」
え? 違った?
「ほら。あっち!」
君は僕に二の腕をくっつけて、指先を僕の視線に重ねるようにして、海の彼方を指さす。
角度的に東南アジア?
「角度的に東南アジアかもとか、そうじゃない、いや、そうかもだけど、違くて……。もうちょっと雰囲気ある感じに言った方が良かったか……。やり直す。ちょっと待って。いったん深呼吸して気分リセット。ほら、君も深呼吸しなー。すー。はー……」
分かった。君と一緒に僕も深呼吸をする。
すー。はー……。
「海の向こうって何があるんだろう……」
……なんかしっとりした雰囲気でテイクツーが始まった。
不思議と、君が実際の地理や距離にとらわれた話をしていないことが、分かった。
「うん。私達の知らない素敵な世界があるんだよ」
そうか。いつか行ってみたいな。
「ん。いつか一緒に、行けたら行こ。……って、『行けたら行く』はほぼ行かない返事~。あははっ。そんなことない。本当に行けるなら行きたいよ。ね。そろそろ描けた? 見ていい?」
うん。ラフスケッチだけど、雰囲気は掴めたよ。
君は僕のスケッチブックを覗きこむ。
「おおー。凄い。下書きなのに私だって分かる。ねえ。将来はイラストレーターになるの? あ。これ、もう聞いたことあったっけ?」
ううん。イラストレーターにはならないよ。
「え? ならないの? なんで?」
他になりたい職業があるんだ。
「へえ、そうなんだ。……なれるよ、君なら。なんだって、なれる」
うん。頑張るよ。だから、君も……。
「あはは……。私は無理かなー。勉強できないし記憶力ぽんこつだし……。この話は終了! ね、春の海といえば、力士の名前っぽい感じあるし、相撲しよ!」
相撲?!
いや、それは、駄目でしょ?!
「あははっ。大丈夫だって、変なところ触っても、故意じゃなかったら許す」
いや、絶対、不可抗力で変なところ触っちゃうよ!
「あーっ。顔、真っ赤。照れてるんだ……」
ぐ、ぐぬぬ……。照れて当然だろ……。
「恋じゃなかったら許すから、私に触れてもいいよ……。なーんてね」
ん?
同じこと、また言った?
しんみりした声のテイクツー?
「あははっ。意味分かんない? 深く考えなくてもいいよ。私は君と一緒にいると楽しいからそれで十分。君も楽しいでしょ? なら、それでいいよね」
うん……。
「スケッチ、まだ続ける? 終わった? じゃ、行こっか」
うん。
君は元気よく、飛び跳ねるように立ちあがった。
僕はスケッチブックを鞄にしまい、立ち――。
「きゃっ!」
うわっ。いきなり海から強い風が。
あっ……!
「すっごい風。春一番ってやつかな……。見た?」
……。
み、見てません。
「見たでしょ! 顔、赤いよ! 位置的に絶対、スカートの中、見た!」
見てない! 本当に!
「ほんとに? ほんとに見てない? ……では問題です。デデン。私の好きな色は何色でしょう」
……白?
「やっぱ見たんじゃん! 忘れて!」
波の音を聞いた癒やしタイムは終了。心象風景の海は、映画が始まる直前のように荒れて波しぶきがザッパーンって鳴り始めた。
僕は君に張り合って、大声で否定する。
見てない!
君の鞄についている人形が白い帽子を被ってるから。白が好きかなって思っただけ!
「違うよ?! 鞄についている『おパンティうさぎ』は、そういうキャラなの! 別に私とおそろのパンツを被ってるわけじゃないからね!」
そのウサギが被ってるの、帽子じゃなかったの?!
ねえ、なんなの、そんなキャラクター知らない!
「おパンティうさぎ、知らないの?! おっくれてるーっ! JKの間で流行ってるマスコットキャラだよ。モッフィとか、かわちいとか、垂れ熊とか、そういうのの仲間」
パンツ被ったウサギがモッフィと同列なんだ……。
「もーう! あ、そうだ、こういうときは、忘れろビーム!」
ぐえー。忘れたー。
「忘れた? 本当に? じゃあ、私も明日になったら今日のことは忘れるから、何もなかったってことで。いい?」
う。うん。
できれば、一緒に海を眺めたことは、なかったことにしたくないけど……。
「約束だから……。君も忘れてね……」
最後の一言は小さくて、波の音に紛れてよく聞こえなかった。
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