19――動画の視聴と美容院


 最初に映ったのは誰もいないスタジオ。


 そこに画面の右側から、猫耳パーカーでフードを被った女の子がスタスタと歩いてきた。いや、映っているのは自分なんだけどね。こうして客観的に見ると、僕ってこんな感じなんだなぁと新鮮な気持ちになる。


 フードを被っているので顔は見えないけど、フードからちょっとだけ黒と赤の髪がはみ出ているのが見える。ヘッドホンをフードの上から装着して、小さく深呼吸している。なんだろう、間違いなくそこに映っているのは僕なんだけど、思わず応援してあげたくなる小動物感があるのが不思議だ。


 音楽が流れ始めたのを聞いて、想像していたよりもかなり良い音だと思った。『いい音質』とか『スタジオすげぇな』というコメントが右から左に流れてきて、思わず『ふふん』と自慢気になってしまった。


 全身でリズムを取っていた画面の中の僕が歌い出す。前の動画に比べると、声の透明感が本当に段違いだ。後で達也に聞いたんだけど、あのスタジオのマイクって50万円ぐらいするものらしい。イヤホンとかヘッドホンもそうだけど、音楽関係のものってリーズナブルなのからものすごい高級品まで幅が広い。『ピンからキリまで』っていう言葉はこういう時に使うんだろうね、ピンとキリのどっちが良し悪しなのかは知らないけど。


 音程もちゃんと合ってるし、声に感情もノッている。うんうん、と内心で自画自賛しているとコメントがいくつか流れてくる。『声がかわいい』『声の伸びがいいね』『上手くね?』と急に褒められて、カァッと頬が赤くなった。なんというか、もし知らない人がこんな風に思ってコメントしてくれているならちょっと照れる。ただこのコメントをしてくれたのが真奈たちという可能性もあるもんね、それはそれでサクラみたいでなんだかズルしてるような気分になる。自分の情緒不安定さに僕自身もちょっとびっくりだ。


 この曲は最初に録音した曲だから、まだ緊張の方が勝っていて動きもおとなしい。僕としては完全に無意識なんだけど、テンポの早い曲だとテンションがノッてくるとどうしてもピョンピョン跳ねるみたいなんだよね。動画の総時間を見ると、多分1曲ずつ動画にするんだろうし。動画を見てくれた人に笑われる心の準備はしておこう。


 伴奏が止んで、動画の中の僕は『ふぅ』と小さく息を吐いている。しばらく遠景で僕の姿を映した後、動画は終了した。動画で見ているとよくわかるけど、確かに息をする時に肩が上がっているんだよね。腹式呼吸を使った方がいいというアドバイスに従って、レコーディングの日から腹式呼吸の練習をちゃんと毎日続けている。やり方は理解したんだけど咄嗟にしようとすると、声を出すのが遅れたり音程がズレたりして難しいんだよね。自然にできるぐらい身につくまで、もっと練習しなきゃ。


 スタジオでの本番の時に視線を何度か彷徨わせてしまったので、もっとキョロキョロしているのかなと思っていたんだけどそれはあんまり気にならなかった。西川さんのアドバイスのおかげで基本は譜面台とブースの方に視線は固定されているように映っていたので、ちょっと自信ある感じに見えたからかもしれない。なんだか一端いっぱしの歌手みたいに映っていて、ちょっと嬉しい。


 『ピロリピロリ♪』とメッセージアプリの着信音が鳴ったのでスマホを見ると、達也からの連絡だった。通話ボタンを押して軽い挨拶を交わした後、動画の出来がどうだったのかを尋ねられたので『すごく良かった』と感想を告げる。時間と労力を使って編集してくれたのは達也なんだから、忘れないように『ありがとう』とお礼を言った。


「いや、喜んでもらえたならよかった。こっちこそ色々と勉強になったよ」


「でもスタジオってすごいね、音質もすごくよかったし」


 僕がウキウキと素直な感想を言うと、達也のスイッチを押してしまったみたいで怒涛の説明が始まってしまった。僕はこういう技術的なことは全然わからないから断片的なことしか理解できなかったけど、とにかく西川さんに教えてもらった動画編集のコツでクオリティが上がったことを達也にしては珍しく興奮して話してくれた。


 次にアップロードする動画の編集はすでに始めているらしいんだけど僕からの希望で、ちょっと間を空けてからアップしてもらうことにした。再生数もコメントも動画がアップされたばかりだから、まだ少ししかない状態だ。そこに別の動画を早めに上げてしまっては、再生数が半分になっちゃうんじゃないかと思ったんだよね。僕の歌が良いなって思ってくれた人は多分両方聞いてくれるだろうけど、試しに聞いてみようかなっていう人はどちらかしか再生しない気がする。


「なるほどな、優希の動画なんだから希望通りにするよ。またいつ頃アップするかについては、今度相談しよう」


「うん。達也、いつもありがとうね」


 僕が再度お礼を言うと、達也は照れくさそうな声で『もうお礼は言わなくていいから』と言って通話を切った。なんだろう、こういうのをツンデレって言うんだろうか。いや、別にツンな部分はなかったね。


 その後真奈たちからも感想メッセージが届いた。真奈と伊織さんはもう予想通りに『かわいい!』の連呼とそういう種類のスタンプだったし、小町さんと弥生さんは『次にスタジオに行く時に、どんな衣装を着るのか一緒に考えようね』という誘い。奏さんからは『腹式呼吸を練習しよう。あと、腹筋も一緒に鍛えようね!』というトレーニングのお誘いだった。腹式呼吸を既に身につけている人に教えてもらえるのはありがたいし、腹筋も歌を歌うなら絶対にあった方がいいのはわかるので嬉しいんだけど、すごいスパルタな雰囲気を感じてちょっと尻込みしてしまう。


 最初のふたりにはお礼を、小町さんと弥生さんと奏さんにはまとめて『よろしくお願いします』とスタンプを返した。とりあえず動画の再生数や反応を確認するのは後日にするとして、今日はもうパソコンを終了させてのんびりしよう。『そろそろ毛先を揃えてもらいに行ってきなさい』と母から美容院に行ってこいと言われているんだけど、女の子って大変だよね。ほんの数ミリ髪を切ったり梳いてもらうだけなのに、数千円払って美容院で整えてもらわないといけないなんて。気乗りはしないけど、これからはフードなしの服で動画に出ることもあるだろうし。それだったらちゃんと整えておいた方が、動画を観る人たちにも見苦しくなくていいような気がする。


 歌うだけならひとりカラオケで気ままにやっていればいいだけなんだけど、それだと誰も悪いところを教えてくれないからきっと成長はしないよね。今回のレコーディングではスタジオエンジニアの西川さんに色々と教えてもらえたから、腹式呼吸などの知らない知識を教わるきっかけになった。僕がもっと上手に歌うためには、色々な人に自分の歌を聞いてもらえるこのやり方はきっと正解なんだと思う。


 そのために必要な行動だと思えば、女性のお客さんばかりな美容院に行く勇気も湧いてくる……かもしれない。明日頑張って予約の電話をしてみよう、平日のお昼過ぎぐらいならそんなにお客さんもいなさそうだし。





 翌日、会員カードで開店する時間を確認して電話を掛けてみた。緊張して何回も噛んじゃったけど予約したい旨を伝えたら、1時間後ぐらいにキャンセルで空いている枠があったのでそこに入れてもらった。ちゃんとそれなりにちゃんとして見えるよそ行きの格好に着替えて、時間より早く着くように家を出た。


 お店に到着して受付を済ませて、待合のソファーに座る。男だった頃のクセで女子に成り立てだった頃は足をガバッと開いて座っちゃうことが多かったんだけど、最近はちゃんと女子らしく足を揃えるように閉じて座れるようになった。座る時も勢いよくじゃなくて、そっと座るようにしているからそれなりに楚々とした仕草になっているんじゃないかと自画自賛。


 名前を呼ばれて前を歩く美容師さんについていき、まずは髪を洗ってもらう。男の時に行っていた床屋さんはうつ伏せで洗うのも結構適当だったのに、美容院ではゆったりと仰向けで丁寧に洗ってくれるのがいいよね。なんだか自分以外の人に髪を洗ってもらうのって、気持ちよくて眠くなってしまう。


 その後は担当の美容師さんが全体を見ながら、毛先をチョキチョキとハサミで切っていく。本当にほんの少し毛先を切ってもらっただけなので、鏡に映る僕はお店に来る前と全然変わってないように見える。でも母が切る前のちょっとした髪の乱れに気付くぐらいなんだから、他の女性が見たら今の僕はいい感じに髪を整えてもらったように見えるんじゃないかな。


 母から『もし髪が傷んでいると言われたら、トリートメントもしてもらいなさい』と言われていたんだけど、そういうセリフはなかったので髪の状態はそこまで悪くないのかな。毎日お風呂に入って丁寧に洗ったりトリートメントしたり、母に教わった通りにケアしている成果が出ているのだと思いたい。


「優希ちゃん、今度ヘアモデルやらない? その髪型すごく似合ってるから、お店のカタログに載せたいのよね」


「あの……は、母と相談してみます!」


 昨日母から渡されたお札で料金を払っていると、美容師さんからそんな誘いを受けた。一応説明してもらったんだけど、新人美容師さんや見習いさんが練習をするカットモデルというものもあるらしい。今回はそちらではなくて、お客さんに『こういう髪型もありますよ』と見せるカタログに写真を載せたいんだって。


 これからもお世話になるだろうお店だからお手伝いはしたいけど、髪型のカタログっていうことは顔も写ってるヤツでしょ? それはちょっと抵抗があったので、僕のちょっと幼気な容姿を利用して保護者に相談するという建前で保留にすることにした。


 『親御さんの許可がもらえたらいつでも言ってね』と笑顔で見送られて、僕も苦笑を返してお店から出た。入口から100mぐらい離れたところで、『はぁ……』と思わずため息をつく。


「前はボッチだったから、あんまり知らない人と話すのって疲れる……」


 山奥で暮らすならともかく街の中で人並みの生活を送るためには、他の人たちとうまくコミュニケーションを取りつつ行きていくのは必須だ。まぁリハビリと思って少しずつ慣れていくしかないよね、僕はそう割り切ってほてほてと歩き出した。


「お昼ごはん食べて帰ろう、今日はラーメンにしようかな」


 気になっていたけどまだ行けていないラーメン屋さんで食べようと、少しだけ上向いた気分に任せるように駅前ビルへと足を踏み出した。





「……あの子の声、どこかで聞いたことがあるような?」

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