08――録音当日

 そしてあっという間に日曜日がやってきた。僕の部屋にはこの数日の間に達也が運んできた、色々な物で埋め尽くされている。機材を用意してもらっておいてなんだけど、部屋がすごく狭くなった。


 まだ8時30分を過ぎたところだというのに、何やら楽しそうな達也が早々にやってきた。両親がいたなら多分もうちょっと遅い時間に訪ねてきたんだろうと思うけど、今日は事前に出かけるって聞いてたからそれを伝えてあったんだよね。


「おはよう。ごめんな、こんな朝早くから」


「……おはよう、そう思うならあと30分ぐらい余裕をもらえたらよかったんだけど。僕、まだ朝ご飯の途中だよ」


「優希はそのまま食べてくれてていいぞ、先に部屋に上がらせてもらうな」


 僕がコクリと頷いて許可を出すと、達也はウキウキと軽い足取りで階段を上がって僕の部屋へと歩いていった。なんだろう? 前述の通り、達也はデジタルなアイテムが大好きだ。もしかしたら今日のために誰かに借りたり、中古で買ったアイテムを早く触ってみたいのかもしれない。


 トーストとサラダを完食し、ヨーグルトをパクパクと食べる。まだパジャマ姿な僕はとりあえず洗面所で歯磨きと洗顔を済ませて部屋に戻ったら、僕のパソコンを起動させている達也の姿があった。


「優希、パスワードは変わってないか?」


「うん、前に達也に設定してもらったままだよ」


 僕がそう答えると律儀にそれを確認してから入力しようと待っていたのか、達也がキーボードに指をすばやく滑らせてログイン画面にパスワードを入力していた。それを横目で見ながらクローゼットから今日の服を選ぶ。今日は特に出掛ける予定もないし、外に出るとしても達也と真奈を送りがてら駅前でお昼ごはんを食べるぐらいだろう。


 パジャマを脱いで裸になった後でスポーツブラを着けて、ちょっとだけオーバーサイズの長袖トレーナーを着る。そして幅が広いダボッとした感じのサロペットを履けば、ちょっとラフな感じのおしゃれ少女に見える……らしい。言うまでもなく真奈の見立てで買った服なのだけど、全身鏡で見てみた感じまったくセンスがない僕から見てもそれなりに見えるからまぁいいんじゃないかと。


「そう言えば達也、病院の診察室にある衝立みたいなの持ってきてたけどあれって……」


 部屋の中ですごく場所を取って邪魔だった蛇腹の目隠しみたいなものについて聞こうと思ったら、何故か達也が真っ赤な顔で僕がいる方向とは逆の方を向いていた。どうしたのかなと不思議に思っていると、達也がすごく慌てた様子で『もう着替え終わったのか!?』とちょっと語気が強い感じで聞かれた。


「終わったけど、どうしたの? なんでそっぽ向いてるの?」


「お、お前が部屋に俺がいるのにいきなり着替え始めるからだろ!?」


「そんなの今さらでしょ、昔はお風呂にも一緒に入ったこともあるのに」


「その時のお前は男だっただろ!? 頼むから、女になった自覚を持ってくれ!!」


 自覚っていうか、女の子になった事実については僕自身のことなんだから一番身にしみて理解してるよ。達也にだったら裸とか見られても全然なんとも思わないんだけど、どうやら達也はそうじゃなかったみたいだ。達也なら男だったころの僕のこともよく知ってるし、例えば今の僕が裸になって達也に密着したとしても変なことは何もしないだろうって信頼してるからこそなのにね。それにいくら僕でも裸で抱きつくなんて恥かしい真似は、いくらなんでも理由もなしにはしない。


 元男の裸なんて見たくないとか、達也にも思うことがあるんだろうね。気を遣わせるのも何だし、これからは気をつけよう。


 変な雰囲気だったのを誤魔化そうと部屋の中を見回すと、マイクスタンドに装着されたマイクがあった。マイクの前には丸い枠が付いた網みたいなのが付いてるのを見て、ちょっとテンションが上がった。こういうのテレビで見たことがある、レコーディングスタジオのマイクには絶対に付いてるよね。


「ねぇ、達也。この網って何のためについてるの?」


「風防な。俺も詳しい訳じゃないけど、これが付いてる方が音がマイクに入りやすいんだってさ。あとは破裂音を和らげる効果があるらしい」


「破裂音……爆竹でも鳴らすの?」


 僕がキョトンとして尋ねると、達也は突然笑い出した。なんだかバカにされてるみたいで、ちょっとだけムッとしてしまう。


「そっちの破裂じゃなくてだな。パピプペポとかバビブベボとか、そういう音を出すときって息を前に出すんだよ。その時の音とか息を風防が和らげてくれるらしいぞ」


「なるほど……」


 理解したみたいに頷いてみたけど、うーん全然わからん。試しにパ行とバ行を口に出してみたんだけど、確かに息に勢いがついて前に出ている気がする。でも普段は全然気にしてないし、言われないとわかんないよこんなの。


 達也に指示されてマイクの前に立つと、僕の後ろにあの部屋を占拠してすごく邪魔だった蛇腹の衝立を1.5mぐらいの距離を空けてから立てた。達也曰くこの衝立はパーテーションっていうらしい。蛇腹みたいに構造だからアコーディオンみたいに横に広がるので、最大まで開いた状態で僕の後ろにドーンと立っている。なんとなく圧迫感がすごい。マイクの方を向くと見えないけど、立っている状態を先に見ているからか圧みたいなものを確かに感じる。


「こうやってパーテーションを立てておけば、少しでもマイクが拾う音の量を増やせるだろ」


 よくわからないけど、衝立に当たって跳ね返ってきた僕の声をマイクが拾えるようにと設置したらしい。『こういうので蛇腹の部分がカーテンになっているのもあるよね』と思って質問してみたところ、カーテンだと音を吸収して跳ね返しにくいのでこういう用途には向かないんだって。


 色々と考えてもらって嬉しい反面、手間をたくさんかけてしまって申し訳ないなとも思う。こうなったらいつも以上に気合を入れて、頑張ってくれた達也へのお礼になるように歌うしかない。


 達也としては準備で色々と機械を触ったり、普段やらないセッティングとかが楽しいみたいでそれだけでもう十分にお礼になっていると言ってくれたけどね。僕のパソコンに録音ソフトとか必要なアプリをインストールして、マイクテストが終わった頃に真奈が訪ねてきた。


「優ちゃん、今日はサロペットを履いたんだね。かわいいー!」


「真奈が選んだのを、そのまま着ただけなんだけど……」


「最初はそれでいいんだよ、いろんな組み合わせを見ることで自分で服を組み合わせられるようになるんだから。うん、やっぱりサロペットは女の子の方が似合うと思うんだよね」


 真奈の言葉に『そういうものなのかなぁ』と思いつつ、僕の方を見ながらうんうんと頷いて自慢げにしている真奈にぎこちない笑みを返した。達也はパソコンの前に陣取って操作を担当するので、真奈は必然的に僕のベッドの上に座ることになった。何を思ったのか、座ったままの状態でベッドにコロンと倒れ込む。


「何やってんの、真奈?」


「うーん。男の子の頃の優ちゃんのニオイがまだ残ってるかなって思ったんだけど、普通に甘い女の子の体臭しか感じないね」


「前世は犬か何かだったのか、お前は」


 呆れたようにツッコむ達也に、真奈は誤魔化すような笑みを浮かべながら『よいしょ』と起き上がって座り直す。女の子になって数日は、シーツとか枕をそのままにして寝ていた。でもなんとなく元々は自分の臭いとはいえ男性の体臭を不快に感じるようになってしまって、母に頼んで臭いがついてそうなものを総取り替えしてもらった。さすがにベッドのマットレスは無理だったけど消臭剤を吹きかけたり、枕を新品に替えたりしてようやくゆっくり寝られるようになったのだ。


 そういう訳で女になってからしか今の枕やシーツを使っていないので、真奈がどんなに臭いのチェックをしても今の僕からの移り香しか感じないだろう。しかし達也じゃないけど、本当に真奈は犬みたいに鼻がいいなと思う。良くも悪くも臭いに敏感だということだから、まったくもって羨ましくはないけどね。


 大きいヘッドホンを達也が渡してきたので装着してみたけど、そのままの状態では僕の小さな頭にはうまくマッチしなかったのでイヤーパットの位置を調節する。なにやら真奈がヘッドホンを着けた僕をパシャパシャとスマホで撮影していた。彼女曰く、ゴツいヘッドホンを着けた幼い少女というのは彼女の萌えポイントなのだとか。なんとなく言いたいことはわかるけど、幼いは余計だと思った。


 達也がマイクの高さを調節してくれて、口元に風防がくるようにしてくれた。パソコンの前の椅子に座り直した達也が視線で『準備はいいか?』と確認してきたので、僕はコクリと頷く。


 ほんの少しの間、部屋の中がシンと静まり返った後でヘッドホンからポップな前奏が流れてくる。今回何の曲を歌うか決めていた時、真奈がリクエストしてきた曲だ。僕らが小学校の時に日曜日の朝に流れていた変身ヒロインアニメのオープニング曲。


 たまに真奈の家やウチに3人で泊まった時に、一緒に観てたのをまるで昨日のことのように思い出す。頭の中で『こんな感じだったなぁ』とその時の風景を思い浮かべながら、メロディに自分の声を重ねた。


 最初から最後まで歌い終わってみんなで聞き直した後、録り直しせずに今の歌声で動画を作ろうと3人の意見が揃った。僕の役割はこれで終わりで、達也が頑張って動画を作ってくれている間は真奈のおもちゃになって髪型を色々と変えられたり、着せ替え人形にされるのをジッと耐えていた。


 お昼を少し過ぎた頃に動画が出来上がって、『じゃあアップするぞ』という達也の言葉に頷くとカチリという音と共に小さな◯がクルクルと回った。しばらくした後でアップロード中という表示が出てきて、後何分掛かるという表示に切り替わった。


「よし、じゃあ今のうちに昼メシでも食いにいくか」


「パソコンはこのままでいいの?」


 背中の筋肉をほぐすように伸びをしながら言った達也に、真奈がそう質問した。達也が言うには、今作った動画をサーバーにアップロードしてサイトで再生するのに最適な形式に変換するのでちょっと時間が掛かるらしい。僕には専門用語はわからないけど、すぐには終わらないということだけはわかった。


 真奈に片側だけ結われた短い三つ編みを揺らしながら、3人で僕の部屋を出る。駅前の和食チェーン店でお昼ごはんを食べてからいくつかのお店をちょっとだけ冷やかして家に帰って来ると、無事に動画がアップデートされたと画面に表示されていたのだった。

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