06――真奈からの提案



 仕事から帰宅した母に学校の話をしたら、『やっぱり、その学校を選ぶと思った』って笑われた。そんなにわかりやすいかな、僕。


 今日は1日何をしていたのかを聞かれたので、1日中歌っていたことを話した。そうしたら母は呆れたような表情をして『少し体を動かした方がいいから、近所を散歩でもしなさい』と1日1回の外出を強制されてしまった。出かけたふりをして家に引きこもるのもアリかと思ったんだけど、そんな僕の考えはどうやら母に完全に見透かされていたらしい。


 『昼食は作らないから自分で買いに行きなさい』と出かける理由を作られてしまった。しかもちゃんと他の人に見られても恥ずかしくない服装で、との追加条件まで出されてしまってゲッソリしてしまう。それでも今の僕は両親におんぶに抱っこで暮らしているわけだから、その命令に逆らえるわけもなく。次の日からちゃんと着替えて近所のスーパーに自分のお昼ごはんを買いに行った。


 最初は何と何を合わせれば変に見えないのかが全然わからないし、大量に買ってもらった服から選ぶことすらできなくてメッセージアプリで真奈に写真を送信しつつ色々と教えてもらった。学校の休み時間にニヤニヤしながらスマホで何かをしている真奈を見て、真奈の友達も興味を持って話に入ってきた。まだ実際には会っていないんだけど、色々とコーディネートとか髪の簡単なアレンジ方法とかのアドバイスをしてもらった。


「もう、優ちゃんの浮気者」


 なんて真奈は不満げだったけど、僕としては色々と情報を得られて助かった。ぶっちゃけ女子の服の合わせ方やヘアアレンジのやり方とか、そういう女子の中で共有されている情報を突然女子になった僕が知るためには、実際に知っているであろう女の子たちに聞く以外の方法はないんだよね。インターネットで情報を得ようとしても、その情報を理解するためにはもっと基本的な知識が必要だったりして、そのハードルの高さに断念するしかなかった。


 真奈は友達に僕のことを『最近ファッションに興味を持った中学生の女の子』みたいな感じで説明しているらしく、本当に優しく丁寧に教えてくれる。ファッション素人、しかも元男の僕でも1週間も経てばスーパーで知らないおばあちゃんに『かわいいわねぇ』と褒めてもらえるぐらいにはなった。まぁお世辞というか、子供ってかわいいよねぐらいの意味なのはわかっている。でも褒められるのって嬉しいよね、例えそれが女装のことでも。


 そんな日々を送っていると、病院から遺伝子検査の結果が出たと連絡が来た。結果としては女子になった僕と元の僕には血縁関係が認められて、兄妹の関係である可能性が99%と書かれていた。そして両親とも親子関係が認められたので、これを決定的な証拠として僕という人間の性別が不思議な力で男性から女性に変化したことを証明できることになった。両親の不貞の可能性は本人たちが強く否定、そして両親が他に子どもを作った可能性についても病院や保険組合に残っているデータによって否定された。


 これで戸籍の性別変更ができるようになったんだけど、肉体年齢の部分でちょっと審議が必要だということで未だに僕は女子としては無戸籍のままだ。これが進まないと通信の学校にも通えないし宙ぶらりんのままなんだけど、僕はのんびりとした今の生活が案外気に入っている。


 そんなある日、学校帰りの真奈が『優ちゃんの歌が聞きたい』と嬉しいことを言ってくれた。散歩ついでに学校帰りの真奈と待ち合わせて、雑談しながら家まで一緒に歩く。遺伝子検査の話をしたら、真奈は『私たちには元の優ちゃんの面影がなんとなくわかるけど、元の優ちゃんを知らない他の人にはわからないもんね』とどこか寂しそうに言った。けれどもこれで戸籍関係がクリアできることにはすごく喜んでくれて、僕の両手を握って嬉しそうに左右に優しく揺らした。


 まだ誰も帰って来ていない我が家に着いて手洗いとうがいを済ませると、早速真奈を連れて僕の部屋へ向かう。パソコンデスク用のゲーミングチェアに真奈を座らせて、スマホで音楽を鳴らそうとしたら真奈に止められた。


「アカペラでいいよ、優ちゃんの声が聞きたいんだから」


 そんな風に言われて、僕のやる気がぐんぐん上がる。何を歌おうかな……そうだ、あの大人気アニメの主題歌にしよう。僕たちはまだ全然生まれていなくて、影も形もなかった頃の曲。小学生の女の子がぬいぐるみみたいなマスコットに言われて、散らばってしまった魔法のカードを回収するために奮闘するアニメ。確かあの曲ってBPMが128ぐらいだったから、その半分のスピードでバラードっぽくしよう。僕がギターでも弾けたなら弾き語りするといい感じになるんだろうけど、ないものねだりしても仕方がないしね。


 真奈が座る椅子から1mぐらい離れて立つと、大きく息を吸い込んだ。どうせ家には誰もいないんだし、僕が大声で歌っても部屋の位置的に両隣の家には聞こえないと思う。近所迷惑にならないなら、大きな声で気持ちよく歌うよね。


「~♪」


 歌い出すと真奈にも何の曲かわかったみたいで、目を閉じて曲に合わせてゆっくりと体を揺らしていた。なんで僕たちが生まれる前のアニメの曲を知っているのかというと、何故か真奈のお父さんがDVDを持っていたんだよね。明らかに女子向けアニメだと思うんだけど、おじさん曰く男性にも人気な作品だったらしい。なにやら最終回の時に相撲中継が長引いて、録画が途中で終わっていた話を熱く語られたんだけどよくわからなかったな。録画の自動追従機能を使えばよかったのに。


 そんなことを思い出しながら歌っていると、あっという間に歌い終わってしまった。テンポを遅くしてもアカペラだと間奏をある程度カットできるので、結構早く歌えちゃうんだよね。


「……やっぱり上手だね、優ちゃんの歌」


 僕が歌い終わって部屋の中が『シン』と静かになっても、真奈はしばらくの間目を瞑ってそのままだった。なんとなく『寝てるのかな?』と近づいて顔を覗き込むと、薄っすらと目を開けた真奈がいたずらっぽく微笑んだ。


「なぁに、優ちゃん。そんなに顔を近づけて。もしかして、キスでもしようとした?」


 からかうように言われたのだが、今の僕と真奈は同性なんだからもしも襲ったとしても僕には何もできないだろうに。呆れたようにため息をついて、真奈のおデコにデコピンをした。今の僕と真奈の背の高さは10cm以上離れているので、彼女が立っていたら僕の手は全然届かなかっただろうことを思うとちょっと悔しい。


「真奈が寝ちゃったのかと思ったの、僕と違って朝から学校に行って疲れているのかなって」


「気遣ってくれたんだね、ありがとう優ちゃん」


 僕がそう反論すると、真奈は嬉しそうに笑って僕の頭を優しく撫でた。めちゃくちゃ子供扱いされてるけど、そろそろ僕と真奈が同い年なことを思い出して欲しい。


「ねぇ、優ちゃん。せっかくだから、優ちゃんの歌を他の人たちにも聞いてもらおうよ」


「……どういうこと?」


「ネットの動画サイトに素人だけど歌に自信がある人たちが、自分が歌った動画を載せたりしてるの。観たことない?」


「他の人が楽しそうに歌ってるのを見ると、ものすごく辛かったからそういうのは意図的に観ないようにしてたんだよね……」


 言葉でするとすれば声変わり後の自分の声が『生理的に無理』だったんだよね。受け入れられないから段々普段の口数も減って、必要最低限しか声を出さなかった。おかげで中学の後半から達也と真奈を除けばずっとぼっちだし、この間まで通っていた高校では多分同じクラスの人にすら存在を認知されてなかったと思う。


 それを話すと真奈は僕の手を引いて自分の方に引き寄せると、ぎゅうっと正面から抱きしめてきた。あたたかく柔らかくて、女の子特有のいい匂いがする。でも悲しいかな今の僕も女の子だから、ドキドキはしなかった。ただ言いようのない安心感というか、ぬるま湯に浸かっているみたいな気持ちよさを覚える。


「じゃあさ、これまで歌えなかった分もネット上に発表していこうよ。ひとりで歌ったり、私やたっちゃんだけに歌うのはもったいないよ。私は優ちゃんの歌がすごいんだよってことを、もっといろんな人に知ってもらいたい」


「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、動画の作り方なんて僕は全然知らないし」


「詳しそうなのが身近にひとりいるでしょ、たっちゃんに聞いたらきっとわかるよ」


 そう言われると、達也の趣味ってデジタルなもの全般だったよなと思い出す。まぁ僕としても知らない人に歌を聞いてもらって、よしんば褒めてもらえたら嬉しいし。もしも誰も見向きもしなかったなら、今後も自分や近しい人たちのためだけに歌うっていう方向づけはできるもんね。真奈も1回やってみれば満足すると思うし、試しに達也に相談に行くのもいいかもしれない。


「じゃあ、早速たっちゃんの家に行こうよ。多分もう帰ってきてるんじゃないかな」


「ちょ、ちょっと待って! 母さんに達也の家に行ってくるって連絡しとくから」


 僕を胸に抱いたまま立って、さっそく部屋を出ようとする真奈。そんな真奈を引き止めてスマホから母宛にメッセージを送ると、真奈が再び僕の手を掴んで歩き出した。そう言えば何かを思いついたら即行動しないと気が済まないのが、真奈の性格だったなぁと昔を思い返す。


 こうして僕は真奈に引きずられるように、達也の家へと向かうのだった。

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