04――病院にて


「遺伝子検査の結果は後日届きますが、ひとまず優希さんの体には特に目立った異常はありません」


 30代ぐらいの女医さんが、パソコンのキーボードを叩きながら言った。すごいスピードでタイピングしている音を聞きながらしばらく待っていると、指を止めて女医さんはこちらを向いた。


「『男性の体が一夜にして女性の体になった』というのは、医療関係者の私からすればかなり信じがたい現象です。体の隅々まで調べさせていただきましたが、優希さんの体は女性として産まれた方となんら遜色がありませんね」


 女医さんの言葉に、僕の隣に座って話を聞いていた母がホッと安堵のため息をついた。その言葉に嘘はなくて、本当に隅々まで調べられたからね。血液検査から始まってCTスキャンとかMRIもされたし、特殊なエコーで下腹部の状態を確認されたりね。一番びっくりしたのは、股を開いた状態でそのまま固定する椅子みたいなものだった。看護師さんが言うには『検診台』とか『内診台』とか呼ばれるそうなんだけど、男の僕には冗談抜きに拷問器具に見えたよ。お医者さんに恥ずかしいところを見られたり触られたりしても、足を反射的に閉じようとしてもガッチリ固定されちゃってるからどうしようもないし。


 指はまだしも器具を中に入れられた時は思わず変な声が出てしまった。そんな声を自分が上げてしまった事に思わず顔を真っ赤にしていると、看護師さんに『声を出される患者さんは他にもいらっしゃるので大丈夫ですよ』と謎の励ましをされてしまった。


 そんな恥ずかしさに耐えて診てもらった結果、生粋の女性と同じく赤ちゃんも産めるとの嬉しくない報告だった。少なくとも僕の意識としては男性は自分と同じ性別だという認識だし、そういう関係になる予定は一切ない。かといって女性とそういう関係になったとして、なんとか細胞とかで女性同士でも子供が作れる環境だと仮定したとしても。僕には自分のお腹の中で子供を育てるなんて未来が一切想像できない、できる訳ないじゃないか。


 それはさておき、子宮の状態なんかから判断すると僕の推定肉体年齢は中学生ぐらいらしい。特に卵管の詰まりとかもなさそうなので、月に一度のアレもそのうち始まるんじゃないかという嫌なお告げを聞いてしまった。恥ずかしいけど、いざ突然始まってしまったら大惨事になるだろうし、母とか真奈とかにあらかじめ聞いておいて準備した方がいいのかな。いや、真奈にはやめておこう。なんかこういう質問っていくら幼なじみとはいえ、異性からされるのって多分セクハラ認定されるもんね。今は同性になっちゃったけど。


 遺伝子検査の結果はまた聞きに来ないといけないのだが、とりあえず今の僕の体は完全に女性の状態だということ。肉体年齢も一昨日までの僕とは違って、少しだけ幼い状態であることを医学的に証明してもらえた。後は現在の女性の遺伝子と枕に着いていた男だった頃の短い髪の遺伝子を比較してもらって、どういう結果が出るかだ。両親はじっくりと見ると顔のベースは自分たちにも似ているような気がするし、そんなに心配する必要はないんじゃないかと励ましてくれた。


 髪は病院に行く前に切りすぎない程度に母が整えてくれて、そこから大きな三つ編みを作って後ろで纏めたりピンを使って長くて毛量の多い髪をなんとか見れるようにしてくれた。だったらお金がもったいないし美容院になんか行かなくてもいいのではと思ったのだが、母曰くそうではないらしい。今の髪の長さだとシャンプーやトリートメントをバカみたいに使うので、ちょうどいい長さに髪を切ってもらった方が出費や手間が少なくていいとのことだ。


 確かに僕としてもいちいち母がいないと髪すらまとめられないという状況になるのは、できることなら避けたい。もうすぐ夕方だというのにこれから美容院に行って、服を買いに行ってと予定が山積みだった。


「それで、どうしてここに真奈がいるんだ?」


 診察や検査代を支払う順番を待っていると、何故か僕の隣に幼なじみの真奈が制服姿で座っていた。僕とも達也とも違う電車で1時間ぐらいの場所にある、お嬢様学校として有名な女子校の制服だ。


「えー、だってこれから優くんの服を見に行ったりするんでしょ? 私も手伝いたいなと思って」


「嘘ばっかり、僕を着せ替え人形にして遊ぼうって魂胆でしょ?」


「うん、そういう気持ちもあるよ。でも基本的には優くんのお手伝いをしたいっていう、純粋な善意だよ」


 うぅ、そう真っ直ぐに言われてしまうとなんだか自分がすごく酷い言葉をぶつけてしまった気がして、罪悪感がすごい。言い訳をさせてもらうと、僕だって別に真奈に嫌な感情を持っている訳ではない。でも多分今日は検査が続いたり、産婦人科での初めての触診とか精神的に疲れる出来事がたくさんあって、自分でも気付かないうちにストレスが溜まっていたのかもしれない。それを八つ当たりで真奈にぶつけてしまった自覚はあったので、僕は素直に反省して謝った。


「ううん、いいよ。優くん……今は優ちゃんか、大変な目に遭ってるのはちゃんとわかってるからね」


 僕の謝罪にすぐに頷いてそんな優しい言葉を掛けてくれる幼なじみに、僕は素直に感謝した。ってちょっと待った、優ちゃんってなんだよ。僕は男だぞ、と視線を鋭くして抗議する。


「そんなかわいい顔で睨まれても全然怖くないってば。今の優ちゃんの見た目でくん付けなんて、訳ありだから疑ってねって周りに宣伝してるようなものだからね」


「ぐぬぬ」


 真奈の正論にぐうの音も出なかった僕は、思わず口に出して唸ってしまった。まぁ、言い負かされるのはいつものことなんだけどね。僕みたいな世間では陰キャと呼ばれるような人間では、性格が明るくて外見も地味な感じだけどよく見ると可愛い誰からも好かれる女子に口で勝てるわけがないのだから。


 そんな風に真奈とじゃれ合っていると、母が会計を済ませてこちらにやってきた。正直なところ僕が自分の願望を何も考えずに叶えてしまったせいで、本来ならば必要のなかった負担を両親に強いてしまっていることについては本当に申し訳ないと心苦しく思っている。それが顔に出ていたのか、母は苦笑しながら子どもの頃みたいにそっと僕の頭を優しく撫でた。


「そんな申し訳なさそうな顔しないの、お母さんは優希の願いが叶ってよかったと思ってるわ。中学生に上がる前後からこの間までの優希は、なんだか抜け殻みたいな感じだったから。どんな形であっても前みたいに元気になってくれて嬉しいのよ」


「……僕としては、声だけ昔に戻ってくれたらそれでよかったんだけどね」


「優ちゃん、それはちょっと気持ち悪いよ」


 『うげぇ』と言いたげな顔でそう言った真奈の言葉に、確かにそうだなと思った。体ががっしりとした男子高校生なのに、声だけ小学生みたいに高いっていうのはかなり気持ち悪いかもしれない。もしかしたら世界のどこかにはそんな人もいるかもしれないから、口には出さないけど。


「私が優希以外の子供を産んでいないのは、公的な記録として残っているし。これで遺伝子検査で私やお父さんとの親子関係や、元の優希との血縁関係が証明されたら後処理が楽になるわね。性同一障害の人向けの法律が使えるみたいで、戸籍の性別は結構簡単に変更できるみたいよ」


「同一人物の証明とかはいらないんですね」


「そもそも性別が違う時点で完全一致はありえないから、だそうよ。症例が少ないから国も大々的に動く気はないみたいだけど、成長するにつれて産まれた時の性別から変わるというのは稀にあることらしいわ。とはいえ、今回の優希の場合はその中でもかなりのイレギュラーだけどね」


 真奈がポツリと漏らした疑問に母がスラスラと答えると、真奈はちょっと気が抜けたように『はえー』と声を出した。なんというかバカっぽい感じだけど、それを指摘したらまた口でやり込められるので黙っておこう。


「それで、なんだけどね。もしもうまく事が運んだとして、優希はどうしたい? 元々通ってた学校に女の子として通う? もちろん今の時代だから、配慮から無理に女子の制服を着る必要はないみたいだけど」


 母が突然こんなことを言い出したのは『結果が出れば考えなければならないことだから、今のうちに方針を決めておいた方がいい』と、病院のソーシャルワーカーさんからアドバイスをもらったからだそうだ。


 いきなり答えを出せるわけがないけど、とりあえず母の問いを聞いてすぐに元の学校に通うのは嫌だなと思った。僕が元男だと知ってる人が変な目で見てくるのを想像すると、かなり精神的にダメージがあるような気がする。女の子になった直後は別に気にならなかったけど、こうして色々と検査を受けたり触診されると嫌でも自分の体が変わってしまったことを強く自覚してしまった。あの時の僕は精神的に高ぶりすぎて細かいことはどうでもいいみたいな心境だったけど、こうして現実に直面すると色々と考えることが多すぎてあんな風にお気楽な状態には戻れない。


 とりあえずどこの学校に行くのかとか具体的なことはまだ全然だけど、ひとまず僕の気持ちは母に伝えた。途中で真奈が『うちの学校に来れば? もし優ちゃんが来てくれたら、私も嬉しいし』なんてお気楽なことを言っていたけど。元男の僕に名門お嬢様学校の生徒が務まるとは思えないし、誘ってくれたのは嬉しいけどお断りしておいた。だって怖いよ、女子同士の世界ってドロドロしてるって聞くし。


「さて、それじゃあ気持ちを切り替えて買い物にいきましょうか。まずは美容院からね」


「はーい、かわいい優ちゃんがたくさん見れそうで楽しみ」


 空気を切り替えるように『パン』と軽く手を叩いてそう言った母に、両手をあげて同意する真奈。気を遣わせてしまって申し訳ないという気持ちと、ここで僕がしょんぼりとした表情を見せると余計にふたりに負担をかけるんじゃないかと思ったので、苦み成分が幾分か強い苦笑を浮かべて僕はふたりにお願いをした。


「お手柔らかに、お願いします」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る