02――信頼
「性別が変わったっていうのに、なんで真っ先にカラオケに行こうと思えるんだ……お前は」
ドリンクを持って達也が部屋に戻ってきて、じゃあ早速歌い始めようとしたところでいきなりモニターとカラオケマシンの電源をオフにされた。もちろんやったのは達也で、僕が座っている対面にドッカリと陣取ると『事情を全部話せ』と詰め寄られた。
その圧の強さと別に隠すことじゃないなと思った僕は、とりあえず昨日の夜からの出来事を達也に話した。変なwebサイトに個人情報を書いたことを叱られ、身繕いが適当なまま家の外に出たことに呆れられと達也に色々と説教された。でも人間誰しも失くしたものをようやく取り戻したとしたら、普通はすぐにそれを使いたくなるものじゃないだろうか。それが僕の場合は歌声で、すぐにやりたいことがカラオケだっただけのことで。
達也にそう伝えると、彼は痛みを抑えるように額に手を当てて大きなため息をついた。なんというか、達也は昔から考えすぎというか事態を深読みするクセがある気がする。そんなに難しく考えなくても歌いたいから歌う、でいいと思うんだけどなぁ。
「そもそも優希、おじさんとおばさんにはなんて言い訳したんだ?」
「今日は両親ふたりとも出かけてるから、何にも言ってないけど」
そもそも性別が変わって、ふたりにはまだ一度も会ってないもんね。元の僕の面影が微妙にあるような気がするから、僕だと判ってもらえると思う。そう気楽な感じで言うと、達也はまるでわかっていないとばかりに首を横に振った。
「お前、家に帰っても中に入れてもらえない可能性が高いぞ」
達也の言っている言葉の意味がわからなくて小首をかしげると、達也は噛んで含めるように僕に説明してくれた。性別が一夜にして変わるなんて、一般常識で考えればありえないことだ。特に僕の場合は声色も変わっているから、インターホンの声では誰なのかはわからない。『小学生の時の僕の声なんだから、両親ならわかるでしょ』と反論したんだけど、普段聞いていた昨日までの僕の声ならともかく数年前の息子の声なんて覚えていない可能性が高いとあっさり否定された。
「そうなのかな、僕は自分の声を覚えてたけど」
「お前は声変わり前の自分の声に異常なぐらい執着していたからな」
思わずこぼした僕の反論に、達也は苦笑しながら即座にそう切り替えしてきた。まぁその自覚はあるから、何も反論できないや。
「それにその髪。人間の髪は一晩で、そんなに伸びるようにはできてないだろ。身長も縮んでるし、顔つきもなんとなく面影があるような気がするけど、そもそも女性らしく柔らかになっているから別人にしか見えない」
達也のクドクドとした話を一言でまとめると、両親に自分が息子だと判ってもらえない可能性が高いということだ。ここで不思議に思ったのは、じゃあどうして達也は僕のことを幼なじみの優希だとすぐに信じてくれたのだろうか。素直に尋ねてみたら、普段はクールな達也がちょっとだけ照れたように笑みを浮かべた。
「何年一緒にいると思っているんだ、ちょっとした仕草の癖や話し方ですぐに判ったよ。多分真奈も同じだと思うぞ」
さも当然だと言わんばかりのその言葉に、なんだかちょっとだけジーンと目頭が熱くなった。僕はいい幼なじみを持ったなぁと思ってしばらく浸っていたんだけど、そう言えばここがカラオケボックスの中だったことを思い出す。
「僕の事情はこれでわかったよね、じゃあ歌おっか」
せっかくカラオケに来たのだから、この数年溜まりに溜まった鬱憤を歌声に乗せて発散したい。そんな気持ちでモニターの電源を入れて、続いてカラオケマシンの電源もONにしようと手を伸ばす。すると電源ボタンを押す前に、達也に手首をガシッと掴まれた。
「優希、お前な……自分が今大変な状況だってわかってるのか?」
「わかってるけど、ここまで来たのに歌わずに帰るなんてできないし」
ぷくりと頬を膨らませながら言うと、達也は呆れたように首を何度か横に振って手を離してくれた。よし、それではスイッチオンっと!
曲を探す端末とのペアリングとか通信に少し時間が掛かって、ようやく普通に歌える状態になった。よしよし、じゃあ早速好きなあの曲からスタートだ。
端末を操作して曲名で検索するとすぐに見つかったので、キーが原曲のままになっているのを確認して送信ボタンを押した。ピピッと電子音が鳴ってモニターに曲名が小さく表示されたのを見て、マイクを持って椅子から立ち上がる。座りながら歌う人もいるけど、僕は断然立って歌う派。その方が声も出るし、ピョンピョン飛び跳ねたりできるし楽しいからね。
曲のタイトルは『最果てのグラビテーション』、1年前に流れてたあるアニメのエンディング曲だ。前奏を聞いていると、なんだかドキドキしてきた。歌い出しが近づいてきて、スゥッと息を吸う。
『あの日の言葉 まだ覚えてる?』
『想いの力で 心の扉を開けるよ』
歌っていた歌手の人はソウルフルな感じで今の僕よりも声が低かったから、ちょっとイメージが違うけど。でもちゃんと音程も取れてるし、なんか感情もすごく歌声に籠もっているみたいに聞こえる。
自然と体を横に揺らしてステップを踏み始めた自分の動きを楽しみながらちらりと達也の方を見ると、何故か彼は自分のスマホをこちらに向けていた。
「なんでスマホこっちに向けてんの?」
「優希が楽しそうだから、真奈にもそれをおすそ分けしてやろうと思って」
写真撮るなら本人の許可を取ってからにしろよと思いつつ、まぁいいかと別に止めなかった。サビを気持ちよく歌って最後まで楽しく歌いきって席に戻ると、達也がスマホの画面をこっちに向けてきた。メッセージアプリには僕が楽しそうにピョンピョン跳ねながら歌っている姿が動画で滑らかに流れている。
「あれ動画だったの!?」
「カラオケに来てるんだから、写真だけじゃ何も伝わらないだろ」
何を当たり前のことを言っているんだという表情の達也に、僕は確かにそうかと思わず納得した。別に恥ずかしくないし歌も久々だけど上手に歌えたし、むしろどんどん撮ってくれって気持ちだ。
そんなことを考えていると、ピロンピロンと立て続けにメッセージが届いた。『なにこのかわいい生き物!』『これ優くん!?なんで胸がちょっと膨らんでるの!?』『小学校の時の優くんの声みたい!!』と何やら真奈のテンションが高い気がする。
「ああ、事情は俺から説明しておくから。優希は気が済むまで歌ってていいぞ」
僕に見せていたスマホで、テンポよく返信をする達也。じゃあお言葉に甘えて、とその後は20曲ぐらいノンストップで飲み物にも口を付けずに歌いきった。前までならこんなに連続では歌えなかった気がするけど、成長して喉も強くなったのだろうか。まぁ長く歌えるならお得だし、何でもいいや。
ずっと歌を思う声で満足に歌えなかったモヤモヤとかストレスは、ひとまず発散できたと思う。そう達也に伝えた時には既に入室してから2時間が経過していたみたいで、今日のところは店を出ることになった。正直なところもうちょっと歌いたい気持ちはあったけど、達也を退屈させるのも申し訳ないからね。付き合ってもらってるのだから、引き際は見極めないともう一緒に来てくれないかもしれないし。
料金を支払って外に出ると、僕の家まで達也が一緒に来てくれるという。ふたりで一緒に話せば無碍に追い返されることもないだろうとの達也の意見を聞いて、僕がお願いした格好だ。僕の自転車を押しながらゆっくり歩く達也の隣に並んで、行きは自転車で駆け抜けた道をゆっくりと帰る。
心地よい疲れから眠気が襲ってきてふらふらと歩いていると、隣から達也の深いため息が聞こえた。
「頼むから寝るなよ。帰ってお前の両親と話をしなきゃいけないんだから、帰るまでに頭をシャキっとさせてくれ」
「ふわぁ……そんなこと言われても眠気って生理現象でしょ? コントロールしようとしても、無理だと思うんだ」
あくびをしながら抗議すると、言い終わったと同時にまたあくびが出た。それが伝染ったのか、達也も小さく『クワッ』って感じであくびをしたのが見えた。その様子がなんだか面白くて、僕はクスクスと笑ってしまった。
達也とは通っている高校が違うから、最近の様子なんかを話しているといつの間にか眠気はどこかに消えていた。その代わりに襲ってきたのは、両親に自分だとわかってもらえるかどうかの不安。そんな僕の不安を敏感に察知したのか、達也の大きな手のひらが僕の頭を不器用に撫でた。大きなとは言ったけど、昨日までは僕の手も同じか少し小さいぐらいの大きさだったはずなのにね。
ひとりだったらもしかしたら泣いて逃げ出していたかもしれないけれど、達也が一緒にいてくれることがなんだか心強くて。僕は段々と近づく自分の家に向かって、足を前に一歩ずつ踏み出すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます