01――準備してカラオケに行こう!

 さて。方法についてはめちゃくちゃ文句を言いたいところではあるが、あの怪しい願いを叶える石を配布しているらしき人(?)はちゃんと僕の願いを叶えてくれたようだ。


 次にすること、それはカラオケに行くことだろう。今日は日曜日で、家族はもう出かけている。両親は何やらふたりでどこかに遊びに行ったらしく、前日の夕飯の時に今日の昼食代はすでにもらっていたからその心配はしなくていい。


 カラオケに行くとしても、服とかどうするかな。この寝間着代わりのTシャツのダボダボ感やトランクスがズレ落ちたところを見ると、ずいぶんと体が縮んでいるような気がする。


 視界を御簾のように遮ってくるこの前髪もどうにかしないと、なんか一気に髪が伸びたみたいで動くたびに髪が揺れているのを背中で感じる。もしかしたら背中よりももっと長いかも。バッサリと切ってもいいんだけど、素人が下手に手を出したら取り返しがつかなくなりそうでちょっと怖い。


 とりあえず髪をまとめるものがないかなと部屋の中を探したら、前に真奈が来た時に忘れていったバレッタがあったのでそれを使って前髪をかき上げて止める。後は……ああ、お菓子の包装に使われていたリボンがあるからこれでいいや。後ろ手だと髪をまとめてリボンを結ぶのは至難の業だったから、肩口から髪を前に持ってきてリボンでグルグルと巻いた後でギュッと結んだ。


 あとは服か。Tシャツは襟ぐりが広いから上からだと多分普通に胸が見えるな。ブラジャーなんて当然持ってないし、何かを胸に巻ければ応急処置になるか。ゴソゴソと衣装ケースを漁っていると、長めのマフラータオルがあった。『巻けるかな?』と胸元に実際に巻いてみると、一周半ぐらいはイケたのでこれも前側に合わせを持ってきて安全ピンふたつで止める。


 Tシャツの襟ぐり問題はこれで解決だな。タオルを探している時に中学1年の頃に履いていたスウェットが出てきたので履いてみたら、ちょっと大きかったけどヒモをギューッと締めたらなんとかなった。不格好だけどカラオケに行くだけだし、これで十分だろう。そう思って歯を磨きに洗面所に行って、鏡に映った今の自分の姿を初めて見た。顔の作りは元の僕の面影が微粒子レベルで残っているかもしれないという感じで、でも多分幼なじみの達也や真奈が見たら『誰だこれ』レベルだろう。元よりは確実に整えられているけど、ボッサボサの髪と着古した男物のTシャツとスウェットのせいでそれも台無しだった。いいや、とりあえず今大事なのは見た目そんなことよりもカラオケだ。


 外見を整えるのは思う存分歌った後でいいだろう。母親に相談すべきか、それとも真奈がいいかな。サイズ的には真奈よりも小さいかもしれないけど、うまくいけば下着から服一式借りられるかもしれないし。


 それはさておき、ヒトカラでもいいけど久しぶりに本来のコンディションで歌うんだから観客にいてほしい。僕がなんの遠慮もなく誘える人間なんて幼なじみのふたりしかいないので、チャットアプリで『カラオケに行くぞー!』と送ってみた。するとすぐに返事がスタンプで返ってきたんだけど、ふたりとも『!?』みたいなスタンプなのはどういうことなのか。


 いや、わかるよ。声変わりしてから昨日まで、クラスの文化祭の打ち上げとかでも一切カラオケには近づかなかった僕からの誘いだからね。ふたりも話を聞いてくれたり、リハビリにとカラオケに誘ってくれたりしたけど一切応じなかった。そんな僕が自分から『カラオケに行くぞ』なんて言い出したら、頭でもおかしくなったのかと心配するに違いない。僕がふたりの立場ならそう思うだろう。


 真奈からは『行きたいけど、今日は他の友達と買い物に来ているからちょっと無理』と申し訳なさそうに返事がきた。まぁ無理なら仕方がない。どうせこれから何度も誘うだろうから、無理やり誘って観客役になってくれる友達を失うのは愚策だろう。


 逆に達也は行くと言ってくれたので、現地で待ち合わせすることにした。早速靴を履いて家を出ようと思ったら、いつものスニーカーがブカブカでこのままだと数歩も歩かないうちにすっ転びそうだ。ただ持っている靴のサイズは全部同じで、今の僕のサイズに合うものは残念ながらない。やっぱり女の子は足が小さいんだなぁと他人事のように思いながら、靴箱から母親の靴を物色する。


 ヒールがある靴は危ないよな、転んで足を捻挫して未来しか見えない。ちょっと古びたスニーカーがあったので、それを借りることにした。ブカブカだけど靴下を履いてきてよかった、さすがに裸足で長らく放置されていたであろう自分以外の人間の靴を履く勇気はない。例え家族であってもかなり抵抗感がある、別に潔癖症とかじゃないんだけどね。


 ちょっと大きいけど自分のスニーカーよりは全然いけそうだ。すっぽ抜けないように靴紐をギュウッと引っ張ってから結んで、玄関を出てドアの鍵を締めた。自転車もサドルの位置が高くて足が届かないけど、調節するのも面倒なのでこのままでいいや。小学校の時も成長を見越して足が届かない大きめの自転車を買ってもらって乗ってたから、結構慣れてるんだよね。


 駅前に小学校の頃に行きつけだったカラオケ屋があるので、そこまで快調に自転車を飛ばす。日曜日だからなんかすれ違う人から何度かギョッとした表情でこっちを二度見されて、やっぱりこの格好はダサ過ぎたかとちょっとだけ反省する。髪もボサボサだしな、もうちょっとちゃんと身繕いしてくるべきだった。


 自分の格好のだらしなさにちょっとだけ恥ずかしくなりながら、駅前の駐輪場に自転車を停めてカラオケ屋が入っているビルの前に着く。突然誘ったから当然僕の方が先に着いて待つことになるんだろうなと思っていたら、なんとすでに達也が待っていた。派手ではないが元々の顔の造りがいいイケメンなので、チラチラと通り過ぎていく女性陣が達也に視線を送っているのがここからでもわかる。


 大通りを挟んで達也とは反対側にいる僕は、ブンブンと手を振ってみた。いつもならすぐに気付いてくれるはずの達也が、今日に限っては僕に全然気付いてくれない。というか、多分これ視界にすら入ってないな。ちょっと性別が変わって髪が長くなって身長が縮んだ程度なのに、幼なじみの僕がわからないとか薄情な。いや、冗談だけどね。僕が逆の立場で達也が突然女の子になったとして、教えてもらうまですれ違っても絶対に気づかないだろうと思うから。


 信号が青に変わって、ちょっとだけ早足で達也の元に向かう。すぐ目の前に立っているのに、達也は手に持ったスマホに夢中でこちらを見ようともしなかった。達也は幼なじみの僕らとか家族、学校でそれなりに親しい友人以外には基本的に塩対応だ。つまりこういう行動も、達也的にはいつも通りなのである。


「お待たせ、急に呼び出してごめんな」


「……失礼だが、誰かとお間違えでは?」


 そして僕もいつも通りの待ち合わせみたいに気軽に声を掛けたら、ちらりとこちらに視線を向けた後すぐにスマホに戻してそんな風に返してきた。もっとちゃんと見てよ! 顔の造り自体には微妙に面影があるような気がなきにしもあらずなので、よく見たらわかるでしょうが。


「間違ってないって、急にカラオケに誘ったのに僕より早く着いたんだな。何か用事で駅前に来てたのか?」


「……もしかして、優希か?」


「もしかしなくても僕だよ。髪が長くなってちょっと縮んだけど、他はあんまり変わらないだろ?」


 あっけらかんと言う僕に、達也は彼にしては珍しく目を見開いて驚きを顕わにしていた。そして急に僕の右手を握ると、ビルの中へと早足で入る。達也にとっては早足だけど、僕とは足の長さが違うんだからもうちょっとゆっくり歩いてほしい。小走りで引っ張られるがまま後ろを着いていき、その勢いのままちょうど扉が開いたエレベーターに乗り込んだ。


 ゆっくりと昇っていくエレベーターで4階まで行った後、達也がちゃちゃっとフリータイム利用で受付を済ませて4人用ぐらいのせまい部屋へと入る。そこまで一切会話なしでようやく右手が解放された。僕の肌の色が前より白っぽいからちょっとだけ赤く達也の手形がついてたけど、まぁ別にそんなに痛くないしヨシ。


「ドリンクバー取りに行ってくるよ、達也はいつも通りコーラでいい?」


「……いや、俺が行ってくる。優希はそこに座ってジッとしててくれ。いいか、俺が戻ってくるまで誰が来てもドアを開けるなよ」


 そう言い残して僕の返事を聞かずに、達也は部屋を出ていった。なんだろう、今日の達也はいつもと違って変な感じだ。まぁそんなことより、早速歌う曲を選ぼうっと。


 達也が戻ってくるまでに1曲歌えるかな、でもせっかくジュース取りに行ってくれてるんだから待ってた方がいいよね。そんなことを考えながら、僕はウキウキとした気分で端末を使って曲を探し始めたのだった。

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