TSして昔の声を取り戻したボクは女性シンガーの歌を熱唱したい!
武藤かんぬき
プロローグ
好きな女性ボーカルのアニメソングやゲームソングを思う存分歌ってみたい、そんなことを考えた男性オタクは結構な数いるのではないだろうか。
僕、荒川優希もそんな願望を持つひとりだった。中学校に入るまでは女の子みたいなソプラノボイスだったから、幼なじみたちとカラオケに行ってアニソンを歌いまくっていた。
しかし中学に入ってしばらく経って、声が段々と出にくくなった。まるで何かが喉に詰まっているかのような不快感に、もしかしたら腫瘍ができているのかもしれないと思ってめちゃくちゃ怖かった思い出がある。
3ヵ月ぐらいそんな状態が続いたある日、これまで通りの感覚で楽に声が出るようになった。しかし自分の喉から出たとは思えないぐらい、声が低くなっていたんだ。とは言っても先に声変わりを終えていた幼なじみの達也に比べたら、まだ高い方だったと思う。でももうひとりの幼なじみで女子の真奈と比べると、もう嫌になるぐらい低い。以前は僕と真奈が話していたら、まるで女の子同士で話しているみたいだと両親や真奈のおじさんおばさんには言われていたのに。
それ以降カラオケでは男性ボーカルの曲を歌っていたのだが、やっぱり僕の好みは女性ボーカルの曲なんだよね。それに気付いてからは自分の声が嫌いになって、カラオケにも行かなくなった。あれだけ歌うことが好きだったのに歌うことを辞めて、なんの取り柄もない男子高校生として惰性のように日々を過ごしていた。
肉体の成長としては正しくて、こうして僕の声が低くなったのは自然の摂理でしかない。両親にも『そんなことぐらいで』とか『いつまで拗ねているんだ』などと責められたりもしたんだけど、僕にとっては自分の声で原曲と遜色のない雰囲気で歌えることってものすごく大事だったんだよ。もちろん他人にそれをわかってもらえるなんて思ってないし、最初は期待もあったと思うんだけどすぐに諦めに変わってしまった。
そんな鬱屈した思いを長く抱えていたからだろうか。ある日ネットをあちこちウロウロと彷徨っていた時にとある胡散臭いページに飛ばされて、そこに書かれている文字に目が引きつけられた。
『願いを叶える石を差し上げます』と太字でデカデカと赤文字で書かれているページは、明らかに素人が適当に作りましたという雰囲気のwebサイトだった。僕は産まれていなかったけど、インターネットが一般人に広まり始めた2000年代ぐらいのホームページっていうのによく似ている気がする。なんで僕がそれを知っているのかと言うと、情報の授業でインターネットの歴史を学んだ時に資料写真として見た覚えがあるからだ。
願いを叶える石なんてモノが、本当にあるとは思っていない。どうせ役に立たないに決まっているけど、その時の僕はまるで何かに導かれるように個人情報を入力するフォームに自分の名前と住所を記入した。普通に考えれば自分の個人情報を、こんな怪しいページで入力するなんてありえないことだ。正気じゃなかったとしか思えない。
最後の項目に『この石に何を願いますか?』という質問があったので、僕は迷わず『声変わりする前の自分の声を取り戻したい』と書いた。するとページが読み込まれて、『あなたの願いは叶うでしょう』とまるで託宣のように一文のみが表示された後、パソコンがギューンという嫌な音を立てて停止した。
『うわ、やっぱりウイルスサイトだったんじゃないか』と冷静になった僕はなんとかパソコンを再起動させてから、慌ててブラウザの履歴からさっきのwebページを探した。しかしどこを見てもその履歴は見つからず、直前の履歴はぽっかりと穴が空いたように消え去っていた。念には念を入れて僕は全履歴とキャッシュやクッキーを削除してから、パソコンの電源を切った。
入力した個人情報が詐欺グループなんかに利用されたらどうしよう。そんな不安になかなか眠りにつけなかった僕だけど、いつの間にか睡魔がやってきて眠りの世界に旅立っていたようだ。その日の夢は何故か中世の魔女狩りのように火に炙られてめちゃくちゃ熱い思いをさせられるという、悪夢としか言いようがない内容だった。本当に踏んだり蹴ったりだなというのが、目覚めた時の僕の感想だ。
「……なんだこれ、なんでカーテンが目の前に掛かってるんだ?」
体を起こすとバサリと何かが僕の目の前を、まるで垂れ幕のように塞いだ。というより、さっきの僕の呟き。まるで小学生の時みたいに、声が高くなかったか?
まさか、まさかまさかと溢れ出ようとする期待を必死に抑えながら喉に指を伸ばしてピタリと触ってみる。震えが指を伝わってくるのを感じながら、『……あー』と声を出してみた。聞き覚えのある昔の自分の声に、思わず視界が滲む。
まさか昨日ネットで見た石は、本物だったのか!? 現物にも触っていないのに、こんな風に願いが叶うなんてアリかよ。そんなことを考えつつも、すぐに『そんなことはどうでもいい!』と歓喜が脳内を支配した。男子高校生が女の子みたいな高い声を出してキモがられないか? そんなことはどうでもいい。また昔みたいに女性ボーカルの曲を思う存分に歌えるのなら、そんなことは些細なことだ。
そう思ってふと自分の手を見ると、いつもより小さい気がする。違和感から胴体を見ると、何故か寝巻き代わりのTシャツがぶかぶかだった。腰にかろうじて引っかかっていたズボンを下ろすと、一緒になってトランクスも床へと足を滑り下りていった。というか足が色白でほっそりとしている、何故か寝る前まで茂みと呼べるぐらいに生えていたすね毛の姿が見当たらない。
そして極めつけが、産まれてからこれまで一緒に苦楽を共にしたムスコ氏まですね毛と一緒に旅に出てしまったのか定位置に存在しなかった。代わりにあるのは、毛ひとつないツルツルの股間だ。子どもの頃に真奈といっしょに風呂に入った時に見たそれと、僕の股が何故かまったく同じ状態になっているのは何故なのか。
「……そういうことじゃねーんだよなぁ!!」
自分の性別が女性になっていることをようやく理解して、僕は思わず力いっぱい叫んだ。ああ、こんな時でも僕の声は可愛い。ナルシストみたいだけど、その感情がこのおかしな状況が現実であることを教えてくれていたのだった。
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