第3話 パメラの導き

 穂高への登山から帰ってきても、慌ただしい仕事の合間に、心の奥底に潜むトラウマが顔を覗かせるように私を襲ってくる。


 辛い思いに耐えきれなくなり、仕事が休みになると、私は救いを求めるかの如く、近所の公園で開催されるフリーマーケットへと足を運んだ。久しぶりに心の重荷を下ろし、平穏な時間を過ごすことを望んでいたのかもしれない。


 けれど、そのフリーマーケットの会場で、信じられない出来事に遭遇するとは思いも寄らなかった。突如として、目の前に真っ黒なテント小屋が現れ、古の伝説を思わせる老婆が待ち受けていたのだ。 


 魔界の使者のような装いをする彼女は、私を幽玄な輝きがあふれる隠れ家へと導き、知らず知らずのうちに惹きつけられた。これまで、私は信仰心がなく、まして四柱推命や手相などの占いに頼ることはなかったというのに……。


 妖しげな笑みを絶やさない老婆は黒い帽子を深く被り、ロングマントを翻し、左右の腕には星々の力を宿すパワーストーンのブレスレットを輝かせていた。この世のものとは思えないほど謎多き彼女の前には、金色の糸で緻密に描かれた魔法陣が広がっていた。訳もわからないのに、思いがけず、私は老婆の仕草に引き付けられた。


 彼女が指先で水晶玉を慈しむようにもてあそぶと、突然、怪しい光がテント内に解き放たれ、周囲を異空間に旅立ったような神々しい世界へと変えた。老婆が口ずさむ呪文の意味はつかめず、ただ占いのメッセージを告げてくるかのようだった。


 なぜか、鑑定の料金表はどこにも見あたらず、ただ「お試しください」とのみ告げていた。私は不安と恐怖に心が震え、身体がおのずと後ずさりする。だが、その時、優しそうな声で呼び止められてしまい、もう逃げられなかった。


「そこのお嬢さん、少しだけ話を聞いていかない?」


 彼女の声にはそれとなく意外な温もりがあった。


 私は戸惑いつつも、「いえ、結構です」と断わった。しかし、彼女の目は私の心を透かして見るようで、逃げ場を失ったような気がした。


「あなたは恨みを持ち続ける背後霊に取り憑かれているの。その恨みの謎を解き明かし、すぐに除霊をしなければ、あなたにとって大変なことになるわ」


 老婆は真剣な眼差しを向けて、これまでとは異なる重々しい口調で語りかけた。彼女の言葉は、私の心の奥深くに眠る不安を呼び覚まし、身震いさせた。


 その瞬間、周囲の空気がさらに一変し、冷たい風が吹き抜けた。老婆の背後にあるテントの中から、微かな囁き声が聞こえてきた。まるで遠い昔の記憶が呼び覚まされるかのように、古びた写真が風に舞い上がり、私の足元に落ちた。


「見てごらんなさい」と老婆が指差した先には、薄暗い光に照らされた古い鏡があった。鏡の中には、私の虚ろな悲しい姿とともに、どこかしら身に覚えのある男の影が映り込んでいた。その影は、まるで私に何かを訴えかけるように、ゆっくりと手を伸ばしてきた。


 私はとどまるところがない恐怖に駆られ、呆然と立ち尽くすしかなかった。だが、老婆の両手が私の肩を支えてくれていた。


「膝を正して少しだけ座り、この今は亡き神の声に耳を傾けなさい。必ずや心の闇が晴れるから。あなたはずっとわだかまりに苦しめられてきたのでしょう。今こそ、神の力で真相を解き明かし楽になるのです」と彼女は毅然として告げた。


 私はおっかなびっくり膝を折り、老婆の指示に従って座った。周囲の空気はますます冷たくなり、まるで異世界に迷い込んだかのようだった。


「あなたの心の中には、深い悲しみと怒りが渦巻いているわね」と老婆は静かに言った。「それは、愛する人を失った痛みから来ているのです」


「どうしてそんなことがわかるんですか?」私は驚きと恐怖で声を震わせた。


 老婆は微笑みながら答えた。「私はただの占い師ではありません。私は、あなたの心の声を聞くことができるのです」


 その言葉に、私はさらに驚いた。彼女の言葉は、まるで私の心の奥底まで見透かしているかのようだった。私は祐介の存在をひと言も漏らしていなかったのに、彼女はなぜか知っていた。老婆の言葉を迷信にすぎないと片付けたかったが、心のどこかで祐介の影と声を感じていた。


「えっ、それはまやかしですよね。でも、そんな怖いことを言わないでください」私は震える声で言った。


「嘘などではないわ。呼んでいるのは、あなたの大切な恋人なのよ。あなたが抱えているその痛みと怒りを解放するためには、その声に耳を傾けなさい。そのために、私にはあなたを彼が亡くなった真相へと導く役割があるのです。彼が神になったその啓示は黙ったままで聞くものです」


 老婆はきっぱりとそう言い放った。自らを千手パメラと名乗り、冥界からの使者だと教えてくれた。しつこい占い師のまやかしだと思っていたが、それが私の心にずっしりと重くのしかかり、いつしかここから立ち去ろうかという迷いは消えていた。


 パメラさんが再び水晶玉に触れると、光が一層強くなり、周囲の景色が変わり、私たちを木枯らしが吹きつける如く冷たい風で包み込んだ。

 そして、私たちはまるで夢の世界へと続く架け橋がかかる池の畔に身を潜めているかのようだった。遠くには、白銀から煌めく天までそびえ立つような山並みが見えていた。


「ここは……どこですか?」私は恐る恐る尋ねた。


「これはあなたが心の中で探し求めていた世界です」と老婆は答えた。「ここで、あなたは真実を見つけることができるでしょう」


 その瞬間、遠くから祐介の声が聞こえてきた。「真理さん、パメラのやることなすことを疑わず、どこまでも信じて真相を見つけてください」と。


 私は涙を流しながら、祐介の声に耳を傾けた。老婆の導きのもと、私は心の中の闇と向き合い、真実を見つける旅に出た。雄介の死にまつわる不可解な謎が、この時はっきりと私の心を揺さぶったのだ。

 それは、何度も消えかかったはずの復讐をしなければいけないという怨念の炎が、また燃え上がる証のように感じられた。


 だが、もちろんのこと、彼女が老獪な占い師ならば、素人の私をトリックなどでいくらでもごまかせるかもしれないと、疑いは捨てていなかった。


「あなたは、本当はもっと彼のことを知りたがっているのね」


 その言葉に私が頷くと、占い師は摩訶不思議な世界を創りだした。見たことのないタロットカードを取り出して、魔法陣の上でカードをシャッフルした。

 そして、七枚のカードを三日月の形に並べて、私に一枚を選ばせた。それは「ワンオラクル」と呼ばれる最も基本的な占いの手順だという。


 私が選んだ一枚のカードには、アルファベットの語源となるギリシャ文字のひとつとなる『Ωω(オメガ)』とともに、正義の使者を示す女性裁判官のイラストが描かれていた。占い師の老婆はそのカードを見て、微笑みながら誇らしげな口調で言った。


「ほら、あなたは救われる運命にある」


 祐介の啓示を信じて、私は彼女の言葉に真剣に耳を傾けていたが、その声を聞いてもまだ信じられなかった。運命が救われるとは、具体的にどういうことなのだろうか……。


 彼女は私の疑念を察したのか、微笑みを浮かべながら再び自らを「私は永遠の時を司るアンビシャスな呪術師だ」と語り、「神を信じる者にだけ奇跡が訪れる」と言いながら名刺を渡してきた。その言葉に引き込まれ、私はさらに彼女の話を聞きたくなった。


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