第10話 勇敢なネコのクロニクル

 朝焼けを見上げながら、僕とリリアンは診療所の前に立っていた。

 改装の準備はもう始まっていた。次の白導士(マーギアー)がすぐにやってくるのだろう。

 リリアンは空を仰いだまま、ふと呟いた。

「不思議なものね。世界は変わっても、日はまた昇るんだから」

 言われてみれば、確かに不思議だった。

「……ねえ、ソラ? 世界の果てには何があると思う?」

 僕は遠い昔の記憶を揺り起こす。

「アリーサさんは……確か……巨大な亀が大地を支えているんだって言ってたよ」

「ぷっ、何それ。とんだ子供だましね。……そういえばあたしも、診療所で一緒に暮らしていた頃に、『世界の果てには素敵な王子様が白馬に乗ってリリアンの到着を待っている』って聞かされてたわ。あまりにもバカバカしすぎてケラケラ笑ってたけど」

「アリーサさんは、こう続けたんだ。いつの日か、亀が疲れて世界を支えるのをやめてしまってたあとでも、今度はソラが支えてあげられるくらい強くなりなさいって」

「……”お姉ちゃん”らしいね」

 リリアンの瞳はまるで憑き物が落ちたように、穏やかなものだった。

 窓が開き、シャルロットがリリアンの足元まで歩いてくる。

「では行きましょうか」

 リリアンは、きょとんとしている。

「あら、家出娘じゃない? とっくに逃げてると思ったのに」

 リリアンはいつものように微笑みながら冗談を言う。

「もうそんなことはしません。だって、あたくしたち、”家族”ですから」

「きっとロクなことにならないわよ?」

「どんと来いです」

 ならば、断る理由はどこにもないだろう。


「……で、ソラは本当にいいの?」

 リリアンの眼差しは一瞬で真剣なものへと変わった。

「うん。これが僕の”意志”だから」

 僕はリリアンの庇護から脱することを決めたのだった。

 シャルロットはまだ生まれて半年しかたっていないが、僕はもう一歳だ。立派な成猫だ。独り立ちするには、充分な頃合だろう。

「ま、ソラがそう言うなら、あたしとしては大歓迎だけどねっ。手間が省けて助かるわー」

 リリアンはけらけらと笑う。しかしその微笑みの中に、一種の寂しさを湛えていることは隠しきれていなかった。

「ま、これから先、なんか困ることがあったらいつでも相談しにきなさいよね?」

「うふふ、そうですよ。だってあたくしたち、家族なんですから」

「うん、そうするよ。リリアンお姉ちゃん! そして可愛い妹よ!」

「……もうソラったら」「……可愛いだなんて大げさですわ」

 二人とも照れくさそうに、はにかむ。

「あたしたちは、しばらくこの界隈でシャルロットの本当のお母さんを探すことにするわ。見つかればそれで良し。見つからなければ、そのときはあたしが義理の母になるわ」

 何気に凄いことを言うリリアン。

「うん、分かった。シャルロットをよろしく」

 ”兄”として、リリアンに頭を下げる。

「じゃあ、二人とも」

 僕は背中を向け、二人の熱い眼差しを受けながら歩いていく。


 ――さて、どこに行こう?

 困ったな。全く決まっていない。

 でも、ま、いっか。

 時間はたくさんあるんだし、ゆっくり考えよう。


 ――きっと後で振り返ったとき、今このときが、僕にとって全ての終わりであり、全ての始まりだったと思うんだと思う。


 行き先は決まっていなくても、心は一つ。


『……なってみせるよ! 世界一勇敢なネコに!』

 

 その思いを胸に、僕は世界に挑む!


終。

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勇敢なネコのクロニクル @ikaarashi

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