第5話 午前二時の密約

 時は遡ること、七日前――。

 誰もが眠りについているであろう丑三つ時、一人の少女がアリーサの診療所を訪れた。

「久しぶりね、リリアン」

 アリーサは扉を開けるやいなや、目の前の少女――リリアンを懐かしそうに見つめた。

「かれこれ5年ぶりかー」

 リリアンの手には羊皮紙が握り締められている

 先日、リリアンのもとに飛脚を通じて届けられた手紙だ。

 そこには「重要なことを告げるから、人目につかない時間に診療所に顔を出すように」といった趣旨のことが書かれていた。

 最初は自分のことを恨んでいる連中による陥穽かと思ったけれど、その文字は確かにアリーサの筆跡で書かれていた。

 文字の読み書きが出来なかった自分にそれを教えてくれたのはアリーサなのだから、疑う余地などどこにもなかった。

 リリアンは中へと案内される。

 見慣れた光景だ。5年ぶりだというのに、つい昨日のことのように思える。

 二階へと上がる。

 アリーサの寝室のベッドの上には、見たことのないネコが丸まって寝ていた。

 きっとこの世のあらゆるしがらみとは無縁なのだろう、幸せそうに寝息を立てていた。

「この子、今、帰ってきたばかりなの」

「は?」

「最近、夜遊びを覚えたのよ。あいにく、わたしにはバレてないと思ってるみたいだけど。まだまだね、"ソラ"ったら」

「夜遊びって……。もともとネコは夜行性でしょ?」

 アリーサは、名残り惜しむような眼差しで、"ソラ"の背中を撫でた。

 リリアンはイラッときた。

「……今更、何の用よ?」

 刺々しい口調でたずねる。

「頼みごとがあるの」

「頼みごと?」

 さっぱり検討もつかなかった

「十四日後に王都(ここ)で開催される復活祭(イースター)に向けて、どうしても事前にしておかないといけない準備があるの」

「……本当に、”アレ”実行する気?」

「もちろんよ」

「……やっぱりそうなんだ。”あたし”よりも”世界”を取るのね……」

 リリアンは押し寄せる激情を押し殺しながら呟いた。

「単刀直入に言うわ。この子を貰ってほしいの」

 そう言って、ベッドの上で気持ちよさそうに眠る"ソラ"を指差した

 何を言うかと思ったら、まるでおかしい。

「どうしてあたしがそんなことしなきゃいけないのよ? あんたの飼いネコでしょ? 責任を持って最後まで――」

「だからこそよ」

 アリーサは”とある一言”をリリアンに耳打ちした。

 リリアンの表情は歪む。

 アリーサは、いつになく真剣な眼差しでリリアンを見つめてきた。

「これはリリアンにしかお願いできないことよ」

「……でも、あたしにはアレルギーが……」

「別に可愛がってあげなくてもいい。ただ、しばらくの間一緒にいてくれるだけでいいの。自力で生きていけるだけの力が身についたら、野に放ってくれて構わないわ」

「…………」

 リリアンは何も言わない。

「わたしは一年かけて”言葉”と”知識”をこの子に授けたわ。だからリリアンはこの子に”生き方”を教えてあげてほしいの」

 リリアンは後悔した。どうして今更、のこのこやってきてしまったのだろう、と。

 もしこの手紙を無視しておけば、こんな面倒なことにつき合わされなくて済んだはずなのに。

 ただ、一つだけ期待したのだ。

 重要な話があるということは、もしかしたら、アレを実行するのをやめてくれるんじゃないかって。

 そんなありもしない希望にすがった自分が馬鹿だったと、つくづく思う。

 だけどその申し出を拒否することはできそうになかった。

 どんなに嫌いでも、どんなに憎くても、血を分けた姉の一世一代の願いなのだから。

 リリアンは、きっとした目つきでアリーサを見据えた。

「分かったわ。ただし、条件がある。――術をかけて、谷底に落として。潮流に乗って流れてきたところをあたしがキャッチする。……そうね、七日後ぐらいがちょうどいいわ。この子は飼い主から捨てられたってことにするの。あんたには、この子にとって”悪”でいてもらわないと困るからね」

「分かったわ」

 予想以上に早い返事だった。

「……何の躊躇いもなく了承しちゃうのね。あたしは、やっぱりあんたのことが嫌い。大嫌い……」

 そう言い残して、リリアンは唇を噛みながら足早に出て行った

 アリーサはその背中を見送りながら、そっと呟いた。


「……ありがとう、リリアン」

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