許されざる失態
部室に戻ると、椅子を三つ連結させた上に黒い物体が転がっていた。
「……おかえり」
イモムシのようにもぞもぞと動くそれから、くぐもった声が聞こえる。演劇部への指導とやらは終わったらしい。琴原さんが無言で黒い毛布をぐいっとひっぱった。
「やめろ栞、冷たい空気を入れるんじゃないっ」
おい、男子の前でそんな女子校みたいなからみをしていいのか? 毛布がめくれた拍子にスカートの中とか見えちゃったらどうするんだと二人のやり取り眺める。毛布を剥がされ、床にごろんと転がる彼方さんのスカートから出た足は、ダサい校内指定ジャージの水色に包まれていた。
「あの翔子先輩。昨日から、部室でなにか無くなったものってありますか」
琴原さんが聞けば、渋々椅子に座って毛布を巻き直していた彼方さんがふむと部室内を見回した。
「わたしの防寒グッズは全部装着してるし、本も……特に無くなってるようには見えないかな。そんなことを聞くってことは、怪異のしわざって説は消えたってことかな」
「まあ、はい」
ぼくとは違い、たったそれだけで第三者の犯行を疑っていると察してしまう彼方さんに苦笑いで答えた。ああ、また劣等感が。劣等感で胸をえぐられる……。
「一冊、抜けてますね」
大体調べ終え、最後につい昨日発見された部誌を調べていた琴原さんがそう声をあげた。
抜けていたのはナンバー2。今年のナンバーがちょうど60なので、かなり昔のものだ。
「元からでしょうか」
「うーん。そもそも私はちゃんと見てすらいないからわからないな」
と彼方さんが答える。僕としても、「かもしれない」と言うほかなかった。詳しく数えたわけではないし、昨日は首吊り少女のせいでそれどころではなくなった。今日も今日で、首吊り少女の調査に出てしまってそれどころじゃなかったし。
「まあ、盗られたのだとしても理由がいまいちわかりませんよね」
琴原さんがうーむと唸る。そう、なにせたかが一学生が書いた部誌である。五十冊くらいセット売りにするならまだしも、バラ一冊など金になるとも思えない。
しかしもし仮に誰かが盗ったのだとすれば、可能性は相当限られてくる。この部室の鍵は二本。一本はぼくが。そしてもう一本は部長が。……本当は職員室にあるべきものなのだが、水科先生が他の先生には内緒だから、といってぼくらに預けている。これはまだマシな方で、他の部では置き鍵なんてのをやってるところもあるらしい。ああ、それ以外でも職員室にマスターキーもあったか。
文芸部に訪問者なんてあまりないし、来るやつも大抵決まってる。そう、たとえば水科先生。今日は懐かしいとペタペタ部誌に触っていた。どさくさに紛れて一冊ちょろまかすくらいはできたかもしれない。たとえば……と、ぼくの思考はそこで途切れる。
「どうしました? 眉間にシワが寄ってますよ」
気づくと琴原さんはしゃがんでぼくの顔を覗き込み、自身の左右の眉頭を人指し指でぐにゅっと眉間に寄せた。
「琴原さん、今からとんでもないことを言うけど、怒らないで聴いてほしいんだ」
「はい。確約はできませんが」
ぼくは息を吸い込み、少し躊躇し口を開く。
「昨日部室を出る時、窓を閉め忘れてしまったかもしれない」
キョトンとした琴原さんが、ふむと顎に指をやる。
「……容疑者が一気に増えましたね」
「……ごめん」
「まああれを読んだ後では、しょうがないですよ」
怒られるどころかフォローされる始末だった。これならまだ怒鳴られた方がマシだったかもしれない。
「ところで首吊り少女の制服の、スカーフの色は覚えてますか? あまり印象になくて……」
「さあ。ぼくもよく見てないからわからないな」
「そうですか」
と琴原さんは気落ちした様子もなく、再びふむふむと考え込む。
といっても容疑者は多数。これといった手がかりもない。琴原さんには悪いが、真相は闇の中に葬られるだろう。
まあ、それでも琴原さんは天才だ。まだ犯人にたどり着く可能性はゼロとは言えないかもしれない。
ならばぼくも、出来る限りのことはやってみよう。
ぼくはため息をつく。現実の謎をそのままミステリに仕立てるというぼくの目論見は、とてもじゃないが実現できそうになかった。
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