ミステリー作家志望


「うう寒い寒い本当に冬は嫌だ」


 翌日の文芸部部室。椅子の上でもぞもぞとうごめく黒い物体がつぶやく。体を覆い隠す黒い布の切れ目から、わずかに目が覗いているのがわかる。


「まだ秋ですけど」

「おいおい、あんまり私を絶望させるんじゃない。ついつい八つ当たりに君が触手にめちゃくちゃに犯されるr18小説を書いてしまいそうになる」


 身の毛のよだつことを言いながら、部室に常備した漆黒の毛布に体を包み、ニギニギとカイロを揉みしだいているのが我が文芸部の部長、彼方翔子(おちかたしょうこ)さんだ。ご覧の通りの寒がりで、まだ肌寒い程度だというのにこの有様である。かといって暑さに強いというわけでもなく、夏にはしっかりと液状化していた。

 こんなイモムシ姿からは想像しにくいが、今回の文化祭で演劇部の台本を描き下ろしていたり、なぜかついでに主役も頼まれたりと、男女学年問わず人気のあるマドンナ……というよりは王子様的存在だった。ちなみに劇の主役についてはさすがに断ったらしい。それでも演劇部の連中にちょこちょこ演技指導と銘打って連れ出されていく姿を目撃するけど。



「翔子さん、あったかいのというのは、ココアでよかったでしょうか」



 寒がりな先輩にココアを買ってきた琴原が息を切らして帰ってきた。元陸上部期待の新人の脚力が昨日の逃げ足やジュースの使いっ走りにしか活用されていないと思うと、妙にやるせない。


「あたたかくてあまーい飲み物ならなんだっていいよ。ありがとう栞」


 彼方さんは手渡されたココアに頬をすりすりとこすりつける。


 ああ、そういえば。先日はあまりの恐怖体験のあまり当初の目的であった数学の教科書とノートを持って帰るというミッションはすっかり忘れていた為、本日の一限目、琴原さんはしっかりと数学教師塚本に雷を落とされていた。 


「それで、首吊り少女がこの部室に出たって?」


 缶の開く音と共に、彼方さんが寒い寒いと言い出して中断を余儀なくされた話題が再開された。


 黒い物体がもぞりと上を向く。そこにあるのは円盤型の照明と、締切厳守と書かれた半紙のみである。あとはぽつぽつと先人たちの空けた画鋲の跡が点在しているくらいか。彼女の言いたいことはわかる。梁も出っ張りもない天上じゃあ、机に乗れば手は届きそうだが、首は吊れそうにない。



「はい。陸上で鍛え上げた足のおかげで事なきを得ました」

 

 と琴原が頷く。


「私としては首吊り少女よりも、君たちが夜な夜な部室にやってきた理由の方が気になる所だけど」


 彼方さんが意味ありげに笑うと、琴原はキョトンと首を傾げた。


「琴原が忘れてきた数学の教科書とノートを取りに帰ったんですよ」


 誤解を解くべく真実を伝える。なお実際は設置しやがったという方が正しいが。


「ふうん? 首吊り少女の原稿が出てきた、という話は昨日栞からチャットで聞いてたけど、そっちは知らなかったな。そういうことなら私に一言言ってくれればよかったのに。やりたかったのになあ、肝試し」


 彼方さんは不満そうに息を漏らした。


「ふー、ようやくぽかぽかしてきたよ」


 彼方さんは黒い繭をスポンと脱ぎ捨てる。途端にきりりとした目に、引き締まったフェイスラインが顔を出す。目元の泣きぼくろが、その凛とした印象を更に強めている。彼女は乱れた前髪を整え、後ろで結ばれた長めのポニーテールを左右に揺らした。その雪のように白い肌は、汗ばんでなまめかしくテカっていた。おまけに背も高いんだから、性別問わず人気が高いのも納得の容姿である。

 ポニーテールとともに胸元で揺れる藍色のスカーフが、彼女が三年生であることを示していた。


 コンコンと部室にノックが響く。「わたしだよー」と詐欺みたいな名乗りとともに入ってきたのは我らが文芸部のOGにして現顧問の現国教師、水科先生だった。


「お、珍しくみんな揃ってるね。それで部誌の方なんだけど、美術部の方に頼んだ表紙が遅れてるみたいで。さっき圧かけてきたから大丈夫だと思うけど。だからみんなどこか手直ししたいところがあったら、今のうちにね」


 みんなとは言っているものの、その言葉を向けられているのが自分であるとぼくはわかっていた。


 文化祭で売りに出す部誌に掲載する短編小説に琴原さんは体感温度を五度は下げるホラーを。

 日常系のミステリーを好んで書く彼方さんは珍しく、トリックに気合の入った密室殺人ミステリーを。

 そしてぼくは、毒にも薬にもならない学園恋愛ものを提出した。二人の作品とは、正直比べるのがおこがましいほどの差がある。直すとしたらまあぼくしかいない。



「あっ」と水科先生はなにかに気づいた声をあげる。


「部誌~っ! 旧校舎取り壊しの時になくなったって聞いてたけど、見つかったんだ」


 水科先生は嬉しそうに声を弾ませた。


「棚に……って、入れるとこないか。本、整理しなきゃなあ」


 先生は詰まった本棚を見てうーんと唸る。


「先生、部誌はともかく、あっちはどうしますか」


 ぼくはすこし離れた机に置かれた、首吊り少女の原稿が入った封筒を指差す。


「ああ、藤原くんの」

「知ってるんですか?」


 ぼくが驚くと、先生は「まあね。藤原秋水っていえば、この文芸部の卒業生の中じゃ唯一といっていい有名人だし」と答えて、封筒を手に取った。


 唯一の有名人。この部から何十人もの作家の卵たちが卒業していったと考えると、小説家志望にとってその確率はなかなかに残酷だった。


「うん。こんな封筒から出して、部誌と一緒に並べちゃいましょう」

「でも水科先生。それを読んだら首吊り少女に遭遇したんです。封筒から出すのはやめた方が……」


 原稿を封筒に戻し、入念に糊付けし直した琴原がそう忠告すると、


「首吊り少女?」


 先生は手を止めて、きょとんと琴原を見つめると、あははと笑い出した。


「首吊り少女なんていないいない」


 先生は手をひらひらと振りすげなく言い切ると封筒を破って中の原稿を出す。なんなら封筒は御札もろともビリビリに破いてゴミ箱に捨ててしまった。


「でも私は実際に見ました。私だけでなく、森辺さんも」


 琴原さんに有無を言わさぬ力強い目線を向けられ、ぼくはこくりと頷いた。


「へえ、じゃあ首吊り少女がいない証拠ができたじゃない」

「いる証拠じゃなくて、ですか?」


 琴原さんが首をかしげる。


「だって君たちまだ生きてるでしょ?」

 

 先生は「この時期になると多いのよね、首吊り少女を見たって生徒」とつぶやきながら、取り出した原稿を、琴原が持ちこんだ藤原秋水の君の死体にキスをするの隣へと強引にねじ込んだ。


「よし。それじゃ、私は美術部の尻を蹴り上げてくるから」


 水科先生はそう言って部室を出ていった。


 先生の言い分はもっともだった。あれが本当に怪談で語られる首吊り少女だったとしたならば、僕たちは小説通り、もしくは怪談通り今日首吊り死体になっていなければならない。だがこの通り二人ともピンピンしている。あれはただの目の錯覚だったのだ。そうだそうに違いないと自分に言い聞かせる。遭ったら死ぬと言われている怪異に遭って、それを本物とは誰も思いたくはない。

 琴原さんが立ち上がり、ぼくの机の前にスタスタと歩いてくる。


「森辺さん、私達が見た首吊り少女について、調査しませんか?」


 誰もというのは取り消そう。琴原さんは先生の提示した証拠に納得いかなかったらしい。


「だから、どうしてぼくを誘うんだ」


 今日は隣に彼方さんもいるというのに。


「ま、わたしは演劇部の方に呼ばれてるからね。演技指導がどうとかなんとか。まったくこんなことになるならシナリオなんて担当するんじゃなかった……あそこの部室も体育館も寒いんだ」


 彼方さんははあ、と憂鬱そうなため息を吐く。


「それに聞き込みとか推理とか、そういうのってミステリー小説を書く時に参考になるんじゃないかと思って。翔子さんに聞きましたよ。ミステリーが書きたくて、この部に入部したんですよね?」


 琴原さんはあっけにとられていたぼくを見て「違いましたか?」と、こてんと首を傾けた。


「いや、間違ってはないよ」

「そうですか。でも今回の部誌の話にまったくミステリー味がなかったので不思議に思ってたんです」


 悪意がないからこそ、その言葉の切れ味は抜群だった。


「……ミステリーは、なかなかに難しくてね」

「だったらなおさら一緒に調査をするべきですよ。私と一緒にそれらしい経験をして想像力を刺激すればすぐ書けるようになると思います」


 それらしい経験さえすれば書ける。励ましというわけではなく、少なくとも彼女はそう信じているようだった。


 首吊り少女との遭遇に想像力を掻き立てられ、今日部室でタイピング音を奏でていた彼女にとって、それは真実なのだろう。


 その才能は、悩みに悩み、何度も書き直し、結局ミステリー要素のかけらもないただの学園ラブコメの原稿を提出することになったぼくにとっては少し眩しすぎた。


「いいんじゃないかな。なにが話のタネにつながるかわからないし、なにより怪談の調査なんていかにも青春っぽくて面白そうじゃないか。まだ割と時間もあるみたいだし。書き直しても間に合うかもしれないよ」



 彼方さんは背中を押すように、ぼくが提出した作品をつまらないとそう切り捨てた。


 自分に謎やトリックを作り出す才能がないということは、入部してから嫌と言うほどわからせられてきた。その結果があの毒にも薬にもならない学園ラブコメだ。だとするのなら、もう現実世界に存在する謎を宛にするしか、ぼくがミステリーを書く道は残されていないのかもしれない。


「そうですね。やるだけやってみます。締め切りに間に合うといいんですけど」

 

 そう答えながら、ぼくは立ち上がった。


「大丈夫ですよ。短編ですからね。三日もあれば完成すると思います」


 琴原さんはけろっとそんなことを言う。あの、ぼくはあの微妙なラブコメを書くのに三週間はかかったのだが……。彼方さんが苦笑いしながら首を横に振っているのを視界の端に捉え、ほっとする。異常なのは琴原さんの方らしい。


「さしあたって明らかにしたいのは、首吊り少女が実在するか否か、ですね」


 先生に首吊り少女の存在を否定されたことを、琴原さんは結構気にしているというか、根に持っているようだった。


「怪談について聞きたいなら、うってつけの部が隣にあるだろう。栞がいけば、何でも快く話してくれると思うよ」

「オカルト部のことですよね。でも私、オカルト部に知り合いなんていませんけど」

「あの部は万年女日照りの非モテの巣窟だからね」

「なるほど、そういうことですか」


 琴原さんは納得いったと手を合わせて頷いた。


 我が部の部長はなかなかひどいことを言う。

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