そうだ、学校へ行こう

――昔、この学校で首を吊った女生徒が居たんだって


 そんな語り口で始まる怪談は、そういえば首吊り少女と呼ばれていたなと今更ながらに思い出した。知り合いがこの高校の七不思議の一つと得意げに語った時は鼻で嘲笑ったものだ。

 

「次どうぞ」とぼくに原稿を押し付ける琴原さんの目は死なばもろとも地獄に引きずり込んでやろうという気満々だった。「ぼくはいいかな」とやんわり断ろうと試みたものの、「怖いんですか?」と食い気味で飛んできた安い挑発をぼくの男としてのプライドは断ることを許してくれなかった。


 読むんじゃなかった。読了後、一番に湧いて出たのはそんな後悔だった。


 あらすじとしては、まず首吊り少女というタイトルの小説を読んだ女子生徒が学校内で首吊り少女の幻影を見る。そして次の日にその女子生徒自身が首を吊って発見され、今度はその第一発見者が……と犠牲者がループしていく。そんな学園を舞台に繰り広げられるテンプレとも言えるホラーストーリーだった。


 かつて聞かされた学校に伝わる怪談と内容もほとんど一緒だ。違いがあるとすると、怪談の方には冒頭にあった小説を読むとのくだりが、この噂話を聞くと……に置き換わっていることくらいか。

 

 どれくらい怖かったか端的に表すなら、今日の夜はトイレに行けそうにない。そんなところか。特に、「この小説を読んだあなたもまた……」と、締めくくられた最後の一文がテンプレではあれど、ダメ押しで恐怖を掻き立ててくる。話の内容自体はこの学校で語られる怪談とたいして変わらないはずなのに、さすがというべきか、その没入感は怪談の方とは比べ物にならなかった。


 そもそもの話、怖い云々の前にこういう手の話が、ぼくは無条件で苦手なのだ。



「大丈夫ですか、顔が青いですよ」


 そういう琴原さんはプールにでも飛び込んできたのかってくらい唇まで真っ青にしながらも、ぼくを道連れにできたことが嬉しいのかふふふふとぎこちなく笑っていた。


「こんな封印のような扱いをされるのも納得の怖さでしたね」


 なんて藤原秋水大好きガールの琴原さんは納得したようだが、どうだろう。確かに怖かった。それでもたかがホラー小説にそこまでするか? やり過ぎな気もする。

 まあ中の小説の怖さを際立たせるための演出としてなら、あの御札は十分な効果を発揮したと言って良いだろう。もしそうだとしたら、考えた奴は相当に性格が悪い。


「あんなものを読んだ後で学校になんていられるか! 俺は家に帰らせてもらうからな!」


 とはさすがに言わなかったものの、どちらからともなく僕らは荷物をそそくさとまとめ、琴原さんなんて競歩さながらの早足で帰ってしまった。ぼくも後に続くように部室内の戸締まりを済ませ帰宅した。


 ぼくが自室のカーテンを締めて洗濯バサミで固定し、外の異形のものがチラ見えする可能性を完全に排除して一安心していたところ、不意に鳴り響いたスマホの着信音で心臓が止まりそうになった。画面を確認すると、琴原栞とあった。


 念のため「今あなたの後ろにいるの」対策に壁に背をぴったりとくっつけたのち、通話ボタンをスワイプする。


『こんばんは。こんな時間にすみまんせん。実は森辺さんに折り入ってお願いがあるんです』

「お願い?」

『はい。実は学校に忘れ物をしてしまって。ついてきてくれませんか』


 ぼくは洗濯バサミを外して、ちらりと薄めで外を確認する。暗闇の中、街灯が照らす光だけが楕円状に広がっている。あんなものを読んだ後でこの暗がりを? しかも目的地は学校? またまたご冗談を。


「ちなみに、なにを忘れたんだ」

『数学の教科書とノートとプリントを』

「あぁ」


 数学の教師は鬼ババアこと塚本だった。毎度毎度バカみたいな課題を出す上に、宿題を忘れようものなら特大の雷が落ちる。なにより明日の数学は、よりにもよって一限だった。

こんな時に限ってそんな大事なものを忘れるとは琴原さんもついてない。


 ……ん? いや、ちょっと待てよと思い返す。部室に琴原さんが部誌の入ったダンボールを持ってきて、原稿を読んだ後すぐに帰り支度をしたはずだ。数学の教科書やらノートやらを広げるタイミングなど存在しない。


「琴原さん、もしかしてなんだけど、忘れたんじゃなくてわざと置いて帰った?」


 沈黙。あの、もしもし?


『肝試しで折り返し地点の神社やら廃墟に設置される御札ってわかりますか』


 琴原さんは数秒で再起動した。肝試しの御札。これを持ち帰ったらミッションクリア! とか最初に言われるやつのことだろう。肝試しにおける、ある種のチェックポイントみたいなものだ。肝試しの雰囲気を損なわないように、御札に限らず呪い的要素を含んだものを使うことが多い。


『今回もそういうわかりやすいものがあった方がいいと思って。それに、ある種の人質を置いておかないと、私が逃げてしまいそうだったので。首吊り少女も怖いですが、塚本先生も怖いですから』


 遭ったら死ぬという怪異と恐怖でタメを張る塚本先生がすごすぎる。


 しかし、やはり数学の教科書やらノートやらは忘れたのではなく自分を追い込むためにわざわざ設置してきたのか。


「なんでそんな自分の首を絞めるようなことを……」

『ホラー作家志望たるもの、本物の怪異に遭遇するかもしれないなんて体験の機会を逃すわけにはいかないんです』


 はいはい、たるものたるもの。


「ホラー作家志望たるもの、ここは一人で挑戦するべきなんじゃないか」

『実はわたし、かなりの怖がりなんです』

「はあ」


「そんな今だから言うんだけど……」みたいな雰囲気を出されても、元々重々承知していた。


『そうですね。森辺さんが死ぬほど怖いホラー映画を観た日の夜が、わたしの日常だと思ってもらえるとわかりやすいかもしれません』

「それは大変そうだ」


 特にトイレとか。


 そんな人間がなぜホラー作家を目指したのか。謎は尽きない。


『いざ肝試しに向かおうとしても、学校にたどり着く前にわたしは腰を抜かして失禁してしまう可能性が高いので、同行者が必要なんです』

「二人なら耐えられると?」

『いえ、森辺さんは腰を抜かして動けなくなった私をおぶる係です』

「うぅん」


 いくら彼女がそれなりの美少女とはいえ、失禁した女子を背負えというのは荷が重い。


『心配ご無用です。わたし、おむつを装備していきますから』

「その情報を得ることでぼくが安心できる要素は一ミリもないよ」


 第一なぜぼくなのだ。


「彼方さんに頼めばいいじゃないか」


 ぼくは文芸部部長、彼方翔子の名前をあげる。彼女なら同性だし、なにより中学の時は同じ陸上部だったのもあってか二人は仲睦まじい。頼むなら普通そっちだろう。


『彼方先輩は今予備校の時間ですから。頼んだら来てしまいそうですけど、さすがに気が引けまして』


 彼方さんの通っている予備校は一時間半の講義をニコマ、休憩時間を挟みだいたい九時過ぎまでみっちりと勉強していると以前聞いた気がする。予備校の一コマには、結構馬鹿にならないお金がかかっている。ガクチカだし、肝試しをするなんて言ったら飛んできそうな彼女の性格上、その判断に異議はなかった。しかし他に候補がいなかったのかと首をかしげるぼくを諭すように、琴原さんは『いいですか森辺さん』と口を開いた。


『今の私が助けを求められる相手は彼方先輩か女子高にいってしまった幼馴染のタマちゃんぐらいなものなんです。彼方先輩は予備校で、タマちゃんは寮生。となると、残るは森辺さんしかいないんですよ』


 清々しいまでの消去法だった。ただでさえ低かったモチベが更に下がる。


『それに、もし二人の予定が空いていたとしても、私は森辺さんに頼んでましたよ』

「え? それって」


 不意打ちにそんなことを言われて、トゥンクと心臓が跳ねる。


『こんな時間に急にこんなことを頼んでも心が傷まない相手なんて、森辺さんしかいませんから』

「結局消去法じゃねえか、ふざけんな」

『はて』


 一片の悪気なく、きょとんと首を傾げる琴原さんの姿が容易に想像できた。


 多分今の話は嘘ではないだろう。半ば無理やり転部した彼女と陸上部の関係は良好とは言えず、険悪と言って差し支えない。陸上部女子勢力の影響力は大きく、そのせいで彼女はクラスでも浮きがちだった。友達らしき存在と話している姿をみかけた覚えはない。


 たとえ消去法であったとしても、彼女がいま頼れる存在がぼくしかいないのは確かなようだった。タマちゃんとの友情を大事にしてほしい。


「わかったよ。一緒に行く」


 あんなものを読んだあとに夜道を歩くなど冗談じゃないが、二人で行くなら、まあなんとか自我は保てそうだ。


「旅は道連れ世は情けですね」

「そうだな」


 そのことわざの意味は正直よく知らなかったが、とりあえず適当に同意しておく。向こうも適当に言っている可能性が高いので問題はない。

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