臆病者は首を吊る

ジェロニモ

怪談、首吊り少女

 九月も終盤。一ヶ月後の文化祭に向け学校中が青いエネルギーで溢れている。そんな中ぼくはといえば、外から響く生徒達の活気あふれるやり取りをbgmに、文芸部の部室で原稿用紙とにらめっこしていた。こつこつとシャーペンで黒点をうち、ため息とともに顔をあげる。


 入学してからそれなりに経った今、部室の光景も見慣れてきた。窓には紺色のカーテン、両サイドを占める文芸部らしくギチギチと本の詰まった背の高い本棚に、壁に画鋲で貼り付けられたカレンダー。そのカレンダーの中、『原稿デットライン!』とはなまるで囲まれた日にちが目に留まり気が滅入る。駄目だ駄目だと天井を仰ぐと、そこには『締め切り厳守!!』と筆で達筆に書かれた半紙が画鋲で止められていた。しょうがないので目を瞑って現実逃避していると、ガチャリと部室のドアが開く音がした。ぼくはさっと原稿用紙を鞄につっこむ。


 視線をあげると見慣れた吊り目と目が合った。セーラー服を規則通りに着用し、長い黒髪を後ろで結び、体の前面へと流す文学少女めいた女子生徒がぺこりとこちらに一礼すると、一年生であることを表す赤色の長いスカーフも胸元で一緒に垂れた。


 彼女の名前は琴原栞(ことはら しおり)。同じ文芸部の仲間であり、クラスメイトでもある。彼女は入学当初、その足の速さから陸上部の期待の新人として\話題になっていたのだが、なにを血迷ったのか先輩顧問の必死の制止を「ホラー作家に私はなる」と薙ぎ払い、夏休み中突如として文芸部に転部してきた。というなかなかにクレイジーなクラスメイトだった。


「琴原さん、どうしたのそのダンボール箱」

 

 そんな彼女は今、みかん箱サイズのダンボール箱を抱えていた。


「なんでも文芸部の部誌らしいです。演劇部の部室で発掘されたらしく、引き取ってくれと隣のクラスの男子に押し付けられました。みんな忙しそうですね」

「文化祭だからな。特に演劇部は張り切ってるんだろうけど」


 たしか一年の空き教室を部室に使ってたんだったか。大方、文芸部まで持っていってくれと頼まれた大した役ももらっていない暇な下っ端一年生が、面倒だからと近くにいた琴原さんに押し付けていったのだろう。女の子一人に重たげなダンボールを押し付けるとはまったく恥知らずな。


「とりあえず中を確認してみましょう」


 そう言って、琴原さんはぼくの座っていた勉強机にドスンと段ボール箱を下ろした。


 ダンボールからでてきたのは確かに文芸部の部誌だった。デザインが違うものが混じってもいるが、学校名をみるに間違いない。ざっと五十冊くらいありそうだ。部誌の発行は年一と聞いているから、およそ五十年分ということになるのだろうか。全校集会で校長がわが校は今年で創立六十周年がうんぬんかんぬんと長々語っていたのをぼんやりと思い出た。


「部室の本棚にある部誌のナンバーが飛び飛びで疑問に思っていたのですが、紛失していたんですね」

「あとで回収できたものがあれだけだったんだろうな。どうりで古いナンバーほど欠けが多いわけだ」


 それにしても順番がぐちゃぐちゃだな……。演劇部がいじったのか? これ直すのめんどくさいなあと思いながら眺めていると、横でふむふむと頷いていた琴原さんがひょいとダンボールを覗き込み、「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。

 何事かと続くように覗いてみると、ダンボール箱の底にあったのは一通の封筒だった。それだと琴原さんがただの封筒にビクビクしているおかしな人になってしまうので彼女の名誉の為にもう少し詳しく言うなら、全面を覆い尽くすほどびっしりと御札が貼り付けられた封筒が、そこにはあった。


 手に取って裏返すと、裏まで御札がびっしりだった。中になにが入っているかを示すものはなさそうだ。つまり、確かめるには開けるしかない。


「これ、どうする?」


 全身全霊で開けるなと主張している封筒を開けるか、見なかったことにするか。


「開けましょう。ホラー作家志望たるもの、こんな話のタネになりそうな展開を避けるわけにはいきませんので」


 琴原さんは勇ましく言い放った。ただ膝が震えている。彼女はホラー作家志望であると同時に極度の怖がりだった。未だに意味がわからない。


「それじゃあ、開けるけど」


 本当にいいのかと目で尋ねる。


「さあ、どうぞ一思いに!」


 その鬼気迫る叫び声に、自分が切腹の介錯人にでもなったのかと錯覚する。彼女とのテンションの差に若干のやりづらさを感じながらも、ぼくは封筒を開けた。


 中から出てきたのは特に恐ろしさを感じさせない、なんの変哲もない原稿用紙だった。それでも琴原さんはひぃと飛んで仰け反ったけど。琴原さんは警戒モードの猫みたいにゆっくりと近づいてきて、僕の横から原稿用紙を覗き込んだ。

 枚数からして短編小説だろうか。タイトルと名前が書いてあるものが一番上になっていた。ええっと、


「首吊り少女?」


 琴原さんが少し震えた声で呟いた。どこか聞き覚えのあるフレーズに頭をひねる。


「コーッ、ココココ、コッ……」


 突如奇声が耳をつんざき顔をあげる。ああよかった。封筒の封印を解いた祟りによって琴原さんがニワトリに成り果てたというわけではなさそうだった。


「こーっ、ここここれ! ここ! ここを」


 琴原さんが原稿用紙を突き破らん勢いで、ホワタホワタと人差し指で原稿用紙の一点をつっつく。


 ぼくは彼女が指し示す箇所を見る。首吊り少女と書かれたタイトルの左下。そこには「一年E組 藤原秋水」と、そう書かれていた。


「藤原秋水。ここここれ、あの藤原秋水の学生時代の原稿ですよ!」


 琴原さんは目をらんらんと輝かせて叫んだ。


 藤原秋水。それはここ数年で彗星のごとくデビューしたホラー小説作家の名であり、この文芸部のOBでもある。まるで実体験かのような巧みなで臨場感あふれるホラー描写で読者を惹きつけ、デビュー作であり現在もなお発行中の学園の怪談を取り扱ったホラーあり青春あり恋ありのシリーズ物、「ぼくはその死体にキスをする」は性別年齢問わず高い人気を博しているとか。


 個人的な理由によりぼくは読んでいないので個人的な評価はしかねるが、琴原さんが「ヒッ」とか「ひゃぁっ」と小さな悲鳴をあげながら部室で読んでいるのをよく目撃する。彼女は藤原秋水の大ファンなのだ。そんな作家の学生時代の生原稿が突然目の前に現れたとなれば、ニワトリ化もやむを得まい。


「すみませんが私が先に読ませてもらいます」

  

 琴原さんは原稿用紙を隠すように覆いかぶさり、ぼくを睨んだ。


「別に盗りゃしないよ。ただ……」


 もう聞いちゃいなかった。彼女は食い入るように原稿を目で追っている。


 まあどうせぼくが忠告したところで、彼女は「ホラー作家たるもの!」とかなんとかいって、結局読んでいただろうし別にいいんだけどさ。


 ただその原稿用紙がどんな封筒に入っていたかということを、彼女はすっかり忘れてしまったらしい。


 彼女の興奮で紅潮した顔色が青ざめるまで、五分とかからなかった。

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