Ⅳ 願い
どうやって地底から脱出したかって?
ヤッシュを見くびらないで欲しい。
轟音を立てて崩れてきた聖堂の瓦礫と共に生き埋めになると分かった瞬間、俺はスタニスラフの許に駈け寄ると、彼を落下物から庇いながら真上に向けて魔法を放ったのだ。その力は、街の結界を破ったスタニスラフの魔法に匹敵するほどのものはあったと想うぞ。あの光の柱が上から下なら、俺は地から天へと、咄嗟のことだったが極限まで力を出し切った。地底から突然飛び出してきたその光は、黒聖母堂の周囲に集まっていた魔法使いたちの眼には局地的な噴火か間欠泉にでも見えたんじゃないかな。
俺はそれをやり遂げた。スタニスラフを片腕に抱えて、落ちてくる巨石や瓦礫を魔法で押し返し、岩盤を断ち割る勢いで全てを吹き飛ばして、天高くぶち抜いてやった。
「セルヴィンだ」
「あそこに」
噴き出した瓦礫や土がまだ落ちきらぬうちに、箒で外を回っていたレニオンとキューリアの叫びに応えた軍の箒部隊が直滑降してきて俺と若君を地の底から救い上げてくれた。彼らのお蔭で俺と若君は落下物の影響直下から逃れ出た。そうでなければ、その後ばらばらといつまでも零れ落ちてきた残骸の雨の中、大きな破片にあたって死んでいただろう。
それを果たせたのは、それまで幻術で俺を縛っていたアウロラに向かってドクトル・クローヴァスが末期の力を振り絞って跳びかかってくれたからだ。アウロラは床に棄てられていた彼女の眼玉を使って俺に幻術をかけていた。直前に俺は魔術にかかっていたので、かかりやすかったのだろう。確かに、アウロラは偉大な魔女だった。そのアウロラの姿はドクトルと共に瓦礫の下に消えていった。
空の下に出てみるとシジッタの街は街全体が爆発したかのような有様になっていた。見渡す限り、建物の窓硝子は吹き飛んで割れ、噴き上がったあらゆる破片が弾丸となって降っていた。
「外に出るな」
「窓から離れて床に伏せろ」
俺たちを物陰に降ろした陸軍の兵士およびレニオンとキューリアは箒で空を飛びまわり、魔法を揮えるだけ揮って、流星群に襲撃されたような街と住民を落下物から懸命に護っていた。
俺はスタニスラフを庇って建物の外壁に伏せていた。今ならバルタゼルと話が合いそうだ。スタニスラフは強大な魔力を持った魔法使いのくせに、妙に庇護欲をそそるよな。
やがてようやく騒音が収まった。泥だらけになってごほごほと咳き込み、恐る恐る眼を開けると、
「スタニスラフ。セルヴィン」
こちらに向かって駈けつけてくるバルタゼルと、ドクトル・サリエリの姿が眼に入った。
どうしてドクトル・サリエリがシジッタ地区にいるのかと一瞬混乱したが、キューリアがエッケハルルに誘拐されたと彼に伝えたのは俺だったし、エッケハルルがこの街の出身者だと俺に教えてくれたのは彼だった。ドクトル・サリエリなりにキューリアのことを案じてシジッタ地区の近くにいたところを、軍隊と合流したのだろう。
バルタゼルはスタニスラフを抱きしめた。スタニスラフは眼を閉じ、深い眠りに落ちていた。
「スタニスラフ」
「若君は、力を使い尽くして眠っているだけです」
「セルヴィン」
俺に向き直ったバルタゼルは、ちょっと感動するような仕草で俺の両肩を掴んだ。
「君は大丈夫なのか、血だらけだぞ。ドクトル、お願いします」
やってきたドクトル・サリエリは最初にスタニスラフを診て、「目覚めるまでそっとしておくこと」と診断した。バーシェスのスタニスラフは、幼い頃から無理をするとすぐに数日の間は疲れて眠ってしまうのだ。
バルタゼルはスタニスラフを抱き上げた。
「橋の手前に馬車を待たせてある。セルヴィンもおいで」
俺は断った。レニオンとキューリアを待っておきたかったからだ。
バルタゼルは陸軍から借りた担架にスタニスラフを乗せると、箒の運ぶ担架に付き添って去って行った。
ドクトル・サリエリは俺の怪我を簡単に手当てした。
「ほとんどは擦過傷だが、陸軍医官が念のために入院しろと云っている。そうしなさい」
「ドクトル・サリエリ。あなたの師であるドクトル・クローヴァスは、俺たちを救うために犠牲になってくれました」
ドクトル・サリエリは俯いて、医療器具を黒革の鞄の中に片付けていた。ドクトル・サリエリは昔にあったことの全てを知っているのだ。
「師の本望だろう。わたしごときが口を出すことではない」
「ドクトル・サリエリ」
顔を上げたドクトルは俺の顔を見て何かを云いかけて、やはり何も云わず、他の負傷者を診るために立ち去った。俺もきっと彼に尋ねてみることはないのだ。俺の父親がドクトル・サリエリかもしれないなんてことは。
陸軍の指揮のもと、兵士とシジッタリアンが協力して瓦礫を取り除いている。落ち着いたら、この場所には以前と同じようにまた聖堂が建つのだろう。
晴れ渡る空の下、心地の良い夏風が旧市街に吹いている。
「お待たせしました」
はこばれてきた飲み物を俺とレニオンとキューリアは受け取った。運河沿いのカフェの店先。日除けつきの円卓の真ん中には花が飾られている。
「乾杯」
命懸けでシジッタの民を崩落物から護ったレニオンとキューリアに軍から褒章が出たのでそのお祝いだ。彼らの活躍によって俺たちの黒聖母堂に対する侵入罪は相殺されたようだ。シジッタ地区からの永久追放処分と引き換えだが。
「充血したように赤いそうなの。生後しばらくの間ね」
キューリアは眼尻に指先をあてた。
「古い絵に描かれている魔女の祖レアキリアの眼ほど赤くはないし、乳児のあいだに赤みは消えてしまうけれど。そんな棄子をずっと探していたそうなの。すごい執念よね」
シジッタの評議会はいつの時代にも、黒聖母の生まれ変わりを捜す目的で大河のこちら側に医師を送り出していた。
「中世の暗黒時代には、両性具有の赤子はその家に不幸をもたらすと云われていたのよ。その迷信も、一ヶ所に棄子を集めやすくするためにシジッタの間諜が外部に云い広めて浸透させていたものなのよ」
しかしあまりにも不吉だと云い広めたあまりに、棄子にするより前に生まれた赤子を水に沈めて殺してしまう魔法使いが続出した。
「だから途中で流布する噂の中身を変えたの」
それが、両性具有の赤子は過去の悪魔的実験の犠牲者の末裔に過ぎない、だから憐れみをかけ、責任をもって育成してやるべきだという保護策につながった。
「そのお蔭で、両性具有の赤子が棄児院に集まり始めたの」
それもこれも赤光星の魔女を捜す目的だった。
魔女アウロラは、その赤光星の赤子だった。待望の古代種先祖返りとしてシジッタ地区に迎え入れられたが、どうしたわけか、アウロラは成長の途中で魔女優位から魔法使い優位のバーシェスに変わってしまったのだ。
「稀に、生育の過程で優位の性別が逆転することがあるの。それが起こるのはだいたい七、八歳までと云われているわ。魔女アウロラにはそれが起こってしまったのね」
バニラからは卵が採取できるが、バーシェスの身体からは卵は採れない。途中でバーシェスの身体となったアウロラは、赤光星の魔女ではなくなり、黒聖母レアキリアの後継の座から降ろされてしまったのだ。
シジッタの医学会も失望したが、誰よりもアウロラ自身がひどく失望した。彼女は生まれながらの女王の気質だった。そして、魔女の祖レアキリアへの憧憬と崇敬の念を誰よりも強く持っていた。彼女は固く信じていた。偉大な魔女の祖レアキリアが転生してきた魔女こそがこのわたしなのだ。
アウロラは元の棄児院に戻ることなく、手術を受けてバーシェスから魔女の外観に変り、さらにはシジッタ評議会に頼み込んで黒聖母信仰の徒として生きることを選んだ。アウロラは占い師としてミナオンの間に身をおいた。流浪の民となって魔都の周囲を回りながら、外からシジッタの為にはたらいていたのだ。
一方、シジッタの刺客につけ狙われていたドクトル・クローヴァスは、もと赤光星の魔女がミナオンの中にいると知り、シジッタの動向をうかがうために正体を隠してミナオンの中に潜伏していた。
「燈台下暗しというわけだ」
「それも実は皇帝からの密命ありきの行動だったのかな」
「さあ。そこまでは」
上の方のことは、ただの帝国民にすぎぬ俺たちには永遠の謎だろう。
円卓の花瓶に飾られている花に小さな蝶が遊んでいる。キューリアは蝶の羽ばたきを眼で追っていた。
「バニラ。バーシェス。魔女なのか魔法使いなのか。大きくなってもはっきりしなかったわ。自分では魔女だと想っているのに身体は違うのだから」
飲み物の中の氷が解けた。
「もしかしたら女の子だと想い込んでいる魔法使いなのかもしれない。本当のわたしはセルヴィンやレニオンと一緒に男子寮で枕投げでもしているはずなのかもしれない。もし女の子になることを選んだら、わたしの中にあるこの男の子はどうなってしまうのだろう。その頃はそんなことを考えていたかしら。うまく説明できないけれど、双子が合体しているような、そんな気分ね」
「だからキューリアは男の恰好をしているのか」
俺の言葉に、痛みを覚えたかのようにキューリアは可愛い顔を歪めた。それから俺たちの顔をみて、少し困ったような顔をした。
「着任当初から、ドクトル・サリエリは女子寮舎監ウェスタ・リュドミラにきいて、わたしの事情を知っていたわ。ドクトル・エッケハルルに性別を誘導されていたこともね。彼はわたしに云ったの。医療違反行為をはたらいたエッケハルルについては監獄に送る手続きをしている。だから安心しなさいと」
エッケハルルを監獄送りにしたのは彼だったのか。
さらにドクトル・サリエリはキューリアに告げた。気が済むまで男装をしていればいい。
「ドクトルはそう云ってくれたの。そのうちわたしが手術に同意すると、魔都の立派な病院に紹介状を書いてくれたわ。手術痕もほとんど残らなかった。退院したわたしは魔女に生まれ変わっていた。ドクトル・サリエリのことを好きな女の子にね」
それはキューリアの初恋だった。
「もちろん叶わぬ恋だと分かっていたわ。でも、男装を続けていたら、ドクトル・サリエリはわたしのことをずっと気にかけてくれるかもしれないでしょ。だからいつも男の子の恰好をしていたの。幼稚な振舞いよね」
自問自答するようにキューリアは胸に手をあてた。
「この気持ちは魔女のものなのか。それとも魔法使いのものなのか。ドクトル・サリエリがイスドナウに着任して、男装のままでいいとわたしに云ってくれたその日から、彼を眼で追っていたのはわたしの中のどちらの性なのか。もしかしたら魔女ではなく、わたしが殺してしまったわたしの中の魔法使いが、彼に惹かれていたのかもしれない」
「どちらでもいいじゃないか」
俺とレニオンは心からキューリアに云った。旧市街の時計塔の鐘が鳴った。キューリアは今日、これから用事がある。
キューリアは手提げから鏡と櫛を取り出した。そんなキューリアを俺とレニオンは見守っていた。ここ数日エドガーさんは、ずっとそわそわして、昨日もあれでもないこれでもないと、持てるだけの衣裳を箪笥から引っ張り出して鏡の前で考え込んでいた。
「いつもの恰好で大丈夫ですよ、エドガーさん。キューリアは男の身なりなんて気にしませんよ」
「でも彼女はお洒落さんだから横にいる男があまりにも不釣り合いだと彼女が可哀そうじゃないか。そうだ、爪も磨かないと。インキがついているような手だと、女の子は厭がる」
「キューリアはそんなことを気にするような子じゃありませんから」
男装のキューリアは鏡と櫛を手提げに納めた。並木道の向こうから緊張した面持ちでこちらに歩いてくるエドガーさんの姿が見える。晴れ着はやめておけと散々俺が云ったお蔭で、さっぱりめの服装だ。
「エドガーさんと最初に逢った時もキューリアは男装のままだったろ。だけどエドガーさんがキューリアのことを好きになったのはその時なんだから、どんな格好をしていようがエドガーさんが好きになったのはキューリアなんだよ」
「そうだといいわ。そうだと嬉しいわ」
運河が穏やかに青く流れている。椅子を引いて立ち上がると、キューリアはエドガーさんの許に行った。魔女とも魔法使いともつかない肉体をもって生まれてきたキューリア・バニラ。赤光星の魔女。
――わたしの子どもたち。
レニオンが飲み物代の小銭を集めた。
「キューリアが抜けると寂しくなるな。なあセルヴィン、今度、魔都に散らばっている魔女と魔法使いに声をかけてイスドナウの同期会をしようぜ」
青空に真珠色の雲が流れている。太陽は銀色の車輪のようだ。
黒聖母レアキリア。それともあれは、レアシルヴィア。
時の渦巻の幻影の中に、俺は哀しげなその魔女の姿を見た気が今でもするのだ。
――わたしの子どもたち。生まれてしまったわたしの子どもたち。外は夜明けを迎えている。
まるで黄昏のような空の色。どうかお前たちはその眸で見て欲しい。
わたしはここで死ぬ。はるか先の遠い日に、わたしが夢にみたものをいつかわたしにも見せて欲しい。この命の先に見せて欲しい。
花の咲く野で遊んでいる、わたしの子どもたちよ。
》最終回
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