Ⅱ 行方


 開店時刻をひかえたグレゴリオ筆記具店の表玄関を箒で掃いていた。週ごとにエドガーさんと交代で、窓拭きと表の清掃をやっている。この箒は飛行用の箒ではなく清掃道具としての普通の箒だ。清掃用具の箒だって乗れないことはないのだが、仕様はぜんぜん違う。飛行用の箒は、より大きくて、柄の部分が座りやすく、高速で飛んでも分解しないように穂が金属でしっかりと束ねられている。箒や魔法杖は基本使い捨てで傷んで古くなったら買い換える。俺の箒なんかはどこにでもある安価な量産品だが、高価な箒は一瞥で特注品だと分かるような高級感を醸し出している。銘入りの箒ともなると、一本で家が建つほどだ。

 競技用、牧童用、ご婦人用など、箒の種類はさまざまで、値段も速度の上限もぴんきりだ。

 この箒だが、いつの間にか柄の方を前に、枝を束ねた穂の側を尾にしているが、古代の魔女レアキリアの画がそうであるように、大昔はこの逆で穂の方が前だった。現代ではとても奇妙に想えるけれど、本当にそうなのだ。その理由も解説できる。魔法使いが箒に乗って空を飛ぶ姿はよく彗星に喩えられるが、夜空の彗星はたいてい先頭が膨らんでいて、その後に尾が細長く続いている。その姿を箒におきかえると、穂の部分が前で、柄が後ろだ。昔は今のように速さを競う箒競技もなかったし、長距離を飛ぶことも、高高度こうこうどをとることもなく、箒もその辺の枝を集めた雑な造りで用が足りたのだ。

 今でも逆向きの箒で飛べないことはない。だが不格好だし、前から風を受けると穂が膨らんでしまい、方角にぶれが出てしまう。それで次第に今のような乗り方に定着したのだ。博物館では古物の年代を推測する際にこの箒の向きを指標にしていて、穂先が前だと、ある時代よりも以前だと判定する。

 一匹の蜂が眼の前を掠めた。俺は箒で路面を掃く手を止めた。街路樹の木漏れ日が石畳にまだら模様を作っている。グレゴリオ筆記具店の向かいの通りを、黒鞄をさげたドクトル・サリエリが通り過ぎていくところだった。

 こちら側の舗道から俺はドクトル・サリエリを見送った。この近所に、往診している患者でも抱えているのだろうか。

 ドクトルの後ろ姿を見送っていると、「セルヴィン」と違う方角からレニオンが箒で滑り込んできた。せっかく掃き集めていた塵が舞い上がる。

「レニオン」

「大変だセルヴィン。キューリアがいなくなった。昨日から下宿に帰ってないそうだ」

「昨日からだって。昨日は俺たちが、キューリアを下宿まで送って行ったじゃないか」

「今朝も仕立て屋を無断欠勤しているそうだ」

 箒に乗って高いところの窓を拭いていたエドガーさんが魔女の名を耳にして降りてきた。キューリアが昨日から行方不明だとレニオンの口からきくなり、エドガーさんは蒼くなった。

「昨日の昼間は俺たちと公園で一緒でした。その後、彼女を下宿先まで送っていきました。建物の前庭の門の処までです。でも部屋には一度も戻っていないそうです。部屋を貸している老魔女が朝になってもキューリアが戻って来ないので心配になって職場に問い合わせて発覚しました」

「護民兵に連絡だ」エドガーさんは怒鳴った。

「彼女は変態に付きまとわれていた」

「通報は、仕立て屋の方から既にやってくれています。お針子たちも街に出て心当たりの場所をあたり、キューリアを捜しています」

「一晩も。これは、ただ事ではない。彼女は何処に行ったのだ」

 愛する魔女への心配でエドガーさんは狼狽えていた。そこに、箒に乗った護民兵が建物を曲がって降下し、俺たちの前に降り立った。制服姿の護民兵は長靴の踵を鳴らした。

「グレゴリオ筆記具店の者はどちら」

「店主の息子のエドガーです。何か御用でしょうか」

 緊張した面持ちでエドガーさんが進み出た。

「雇人のセルヴィン・アッシュは」

「俺です」

 俺がすぐに名乗り出ると、護民兵は懐から帳面を取り出した。

「簡単な聴取に協力願います。君は昨日の午後、キューリア・バニラ嬢と一緒だった。間違いないな」

「今その話をしていたところです。キューリアが行方不明になっていると」

「セルヴィンだけでなく昨日の午後は俺も彼女と一緒でした」

 レニオンが俺の横に並んだ。

「キューリアと俺たちは同じ棄児院の出身です」

「往来でなんですから、中にどうぞ」

「いえ、すぐに終わります。公園から下宿先まで君たちがキューリア嬢を送って行ったと。その際、何か不審なことは」

 俺とレニオンがその質問に回答すると、

「結構」

 護民兵は挨拶代わりに帽子の鍔に手をやり、また箒に跨った。俺とレニオンは護民兵に追いすがった。

「待って下さい。前にも通報していますが、ドクトル・エッケハルルが怪しいです。彼をまず調べて下さい」

「若い魔女が失踪する時は駈け落ちが最も多いのだ」

「そんなはずはありません。キューリアはずっとエッケハルルに付きまとわれて困っていました」 

「もちろんエッケハルル氏については重要参考人として調べる。彼は何年も前から所在不明だ。医師免許も数年間の保留の後に、既に資格失効している」

 聴取を終えた護民兵は来た時と同じように箒でさっさと行ってしまった。キューリアが職場を放棄して誰かと駈け落ちなどするわけがない。

「そうだ、ドクトル・サリエリだ」

 俺は想い付いた。

「さっきすれ違ったばかりだ。まだ追いつける。ドクトル・サリエリに、エッケハルルの行方について心当たりがないか訊こう」

「教えてくれるかな。守秘義務がありそうだけど」

「もう医師ではないと護民兵が云っていたじゃないか。エドガーさん、箒をお借りします」

「もちろんだ」

「ドクトル・サリエリ!」

 箒で追いかけてきた俺とレニオンを、振り返ったドクトル・サリエリは冷やかな眼をして迎えた。


 

 そんなドクトル・サリエリも、キューリアが誘拐されたときくなり動揺して顔つきを変えた。

「何だと。間違いないのか」

「あなたの前任のドクトル・エッケハルル氏はキューリアを付け回していました。イスドナウ棄児院にいた頃からずっとです。だから、キューリアの行方にはエッケハルル氏が深く絡んでいるのではないかと俺たちは疑っています」

「誘拐だと決めつけるのは早計ではないか」

 最初の愕きを引っ込めたドクトル・サリエリはたちまちいつもの冷血漢に戻っていた。

「若い魔女が無断外泊することは、よくあることだ」

「キューリアはそんな娘じゃありません」俺たちは叫んでいた。

「下宿先の老魔女に心配をかけたり、職場を無断欠勤するようなことは、キューリアは絶対にしません」

 眉根を寄せていたドクトル・サリエリは、「護民兵には通報済なのだな」と確認してきた。

「はい」

「では、慌てず騒がず、お前たちはいつも通りにしておくことだ」

「それだけですか、ドクトル」

「もし本当にエッケハルル氏がキューリアを誘拐したのならば、その行き先はシジッタ地区だ。氏の出身はシジッタ地区だからだ」

「なんですって」

 俺とレニオンは息を呑んだ。

「これだけ云えば分かるだろう」

「分かりません」

「いいか、セルヴィン・ヤッシュ。そしてレニオン・ベンダラン」

 ドクトル・サリエリは強い声を出した。男前の魔法使いが怖い顔をすると震え上がるほどの迫力だった。

「職場に戻れ。お前たちに何が出来る。後のことは護民兵に任せておくのだ」

 しおしおと戻ってきた俺を、グレゴリオ筆記具店の店内ではフーゴーさん、バルバラさん、エドガーさんが待っていた。レニオンはあまり長い時間店を空けられないといって総菜屋に戻っていった。「キューリア。あの娘はしっかりした子だわ」バルバラさんの顔は暗かった。

「若い魔女が誰にも何も云わずに消えてしまうなんて絶対に何かあったのよ」

 想い切って俺は申し出た。

「俺、心あたりを少し回ってみようかと」

 まだ終わりまで云わないうちに「そうしなさい」フーゴーさん以下全員が承諾してくれた。

「明日まで留守にするかもしれません。店番については、俺の代わりにひとり手伝いを連れてきます。ちょっと待っていて下さい」

 俺は裏手から居住区に入り、三階まで階段を駈け上がって箒をひっ掴むと、窓から空に飛び出した。

「セルヴィンだ」「遊んでセルヴィン」

 群がってくる棄子たちを振りほどいて、イスドナウ棄児院に降り立った俺はウィスタ・ラヴィニアの許に駈け込んだ。

「まあ。セルヴィン」

 切羽詰まった俺の顔を見た瞬間、ウィスタ・ラヴィニアの顔には「また何かやったのね」そんな危惧が浮かんでいた。よっぽど俺の素行に不安があるようだ。ちゃんとあの誓いは守ってるよ。

「ウィスタ・ラヴィニア。お願いがあります。ミロシュをしばらく貸して下さい」

 そこに、自分の名を耳にしたミロシュ・コンティが向こうからやってきた。俺はひょろひょろしたミロシュの肩を掴んで、ウィスタ・ラヴィニアに訴えた。

「ミロシュも是非、職業体験をしてみたいと云っています」

「やめなさいセルヴィン。ミロシュをお放しなさい」

「なんの話ですか」

 話し合いの末、俺は一旦グレゴリオ筆記具店に戻って店主のフーゴーさんに信書しんしょを書いてもらい、それを持ってまたイスドナウ棄児院に舞い戻り、なんとかウィスタ・ラヴィニアの許可を取り付けた。

 本当はフーゴーさんが組合に呼ばれて不在だったので、店にいたエドガーさんに代筆してもらったのだ。エドガーさんはすぐに俺の云うとおりの文面を書いてくれた。

 帰りの箒にはミロシュを乗せて飛んだ。

 ミロシュは俺に紙片を差し出した。俺が戻るまでの間、古い職員名簿をあたらせて、エッケハルルの箇所を書き写させておいたのだ。そこにある履歴は、エッケハルルが確かにシジッタ地区出身であることを示すものだった。ドクトル・サリエリの云ったとおりだ。

「よし、行こう」

「どちらへ。何がなんだか分かりませんが」

 ミロシュは箒に乗れない魔法使いだ。だから俺の箒に同乗した。生まれつき箒に乗れない魔法使いというのがいて、その代わり他のことに才がある。

 グレゴリオ筆記具店に到着したミロシュは壁一面の棚を片端から少しずつ開けていった。

「幾何学模様の透かし入り用紙、薄口で灰色」

「紙ばさみの小、いぶし金。単品ではなく函入りで」

 俺が云えば、正確にその品が入っている棚の抽斗を引き出し、会計の値段も間違えないのを見てエドガーさんは驚嘆した。

「棄児院を訪れる来客の案内もミロシュは担当していました。だから接客も大丈夫です。箒に乗った配達だけは出来ません。そこだけは頼みます」

「わかった。それは俺がやるよ」

 後のことをエドガーさんとミロシュに託すと、俺はふたたび箒で空に舞い上がった。目指すはオーラミュンデの城だ。

 この次にシジッタ地区に入る時には必ず一緒に行くとスタニスラフと約束している。もし駄目でも、その時には彼が持っている魔術師の眼玉入りの水晶珠を借りるのだ。



》4-Ⅲ

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