Ⅲ 再訪


 空中馬車や箒で訪問する際、貴族の城なら正式な玄関はたいてい屋上だ。だがオーラミュンデ家は屋根への着陸を認めておらず、馬車回しのある玄関に降り立つことになっている。俺はそれを無視して城の屋根を越え、壁面を撫でるように飛び過ぎたあと、湖に面した広大な庭に着陸した。いちいち取次を頼むより、俺の姿を見せたほうが早い。

 城の中からスタニスラフとバルタゼルが愕いて庭に出てきた。

「セルヴィン」

「若君。もう猶予がない。次にシジッタ地区に入る時には十全な準備をしてから行くと約束していたけれど、若君が止めても俺は行くよ」

「いったい何を云っているのだ」

「落ち着きなさい、セルヴィン。話をきこう」

 大急ぎで俺はキューリア・バニラが昨夜から姿を消したことを説明した。

「キューリアは子どもの頃からイスドナウ棄児院の嘱託医をしていたエッケハルルにしつこくされていて、最近になっても監獄出のあいつに付きまとわれていた。エッケハルルはシジッタ地区の出身だ。だからあいつがキューリアを誘拐したのなら、シジッタ地区に潜伏したとみるのが妥当だ」

「エッケハルルだと」

 その名に反応したのは、バルタゼルだった。

「エッケハルル家は、代々シジッタ地区の評議会に名を連ねている旧家だ」

「彼は、シジッタの外に出て医者をしていました」

「おそらく嫡男ではないからだろう。評議会議員は彼の父か兄が務めているのだ。調べてみよう」

「そんな時間はないんです」

 シジッタ地区に入るには、あの街にかけられた幻術を透視できる案内人が要る。一度入ったから分かるが、あれは手に負えない迷宮だ。バルタゼルもそこはよく知っているようだ。

「案内人の心あたりはあるのかい」

「あります」

 俺は意気込んだ。

「ドクトル・クローヴァスです。ドクトルは森に野営している流浪の民ミナオンの許にいます。若君、今すぐにドクトルを連れてシジッタに行こう」

「流浪の民だと」

 実家が大金持ちで育ちの良いバルタゼルは胡散臭そうに顔をしかめたが、キューリアが誘拐されてそれどころではない俺は「大丈夫ですから」と地団駄を踏んで訴えた。議論している時間はないのだ。

「しかし」

 バルタゼルはそれでも慎重だったが、スタニスラフが彼を制した。

「バルタゼル、若い魔女が誘拐されたのだ。ことは急を要する。それしか手立てがないのであれば、そうしてみよう」

 バルタゼルは吐息をついた。

「君がそう云うなら。乗り込むなら数は多い方がいいだろう。わたしも一緒に行こう」

 バルタゼルは振り返ると召使に指を鳴らして、外套と箒を用意させた。オーラミュンデ家にはよほど入り浸っているようで、バルタゼルはまるで実家のように振舞っていた。

「キューリア・バニラ」

 スタニスラフは小声で呟いた。

「キューリア。『レアキューリア』」

「君の箒と外套だ、スタニスラフ」

 俺の安価な箒とは違い、彼らの箒は見るからに高そうで惚れ惚れするような芸術品だった。スタニスラフはバルタゼルに外套を肩にかけられたきり無言で突っ立っていたが、「若君、いそいで」俺に催促されて箒を手に取った。三つの箒の用意が整ったところで、俺は両名に合図した。スタニスラフが頷いた。軽く地を蹴ったスタニスラフの白金の髪が風になびく。次の瞬間バルタゼルが箒から跳び下りた。

「やめろ。スタニスラフ」

 彼が叫ぶのと、箒で舞い上がったスタニスラフの手が魔法杖を掲げるのと、同じく魔法杖を取り出したバルタゼルが俺とスタニスラフの間に飛び込むのがほぼ同時だった。全てが静止して見えた。

 何か強烈な青白いものが俺に向かって飛んでくる。

 俺を狙った攻撃魔法はバルタゼルの繰り出した防御魔法とぶつかって四散した。

 気がつけばバルタゼルに庇われた俺は彼と絡み合ったまま、蹴り飛ばされた小石のように庭の上を転がり、湖に繋がる林の斜面に落ちていた。バルタゼルに護られていなかったら、対処の遅れた俺はスタニスラフの魔法に直撃されて遠くに吹っ飛び、背後の湖に落ちていただろう。

 さっきまで居た場所に蒼白い炎が野火となって走っている。そこでようやく俺にも何が起こったかを悟った。スタニスラフに襲われたのだ。

「痛ぁ」

 バルタゼルが手首を擦って顔を顰めた。はるか遠くに見える城の窓から執事マグヌスや召使が何事かという顔をして騒いでいる。

 草地から半身を起こしたバルタゼルは無事だという代わりに城に向かって手を振ると、折れた魔法杖を放り出した。

「スタニスラフめ、想い切り殴りつけてきたな」

 黒髪から草を払いのけながらバルタゼルは空の高いところを見ていた。俺も同じようにその視線を追った。上空に伸びる軌跡。スタニスラフの箒だ。俺の箒はと見ると、俺の身代わりのようにスタニスラフの魔法を浴びて木っ端微塵に砕けている。バルタゼルの箒も同様の有様だった。

 待って、スタニスラフ。

 発語しようとした俺は身を折った。骨にひびが入っているんじゃないだろうかこれ。

「転倒した時の痛みだ。ゆっくり呼吸しなさい」

 バルタゼルが俺を抱え起こした。完全に油断していたというのもあるが、あの瞬間スタニスラフが攻撃態勢に移るのをまったく予測できなかった。バルタゼルには分かったのだろうか。

「彼とは長い付き合いだからね」

 俺の前髪についた草をバルタゼルは取り除いた。

「スタニスラフの考えていることはだいたい読める」

「若君はどうして」

 両手を地につき、血反吐を吐くような想いで俺は呻いた。バルタゼルに庇ってもらわなければ確実に俺は病院送りだった。

「どうして。スタニスラフ」

「君を危険な目に遭わせたくないのだろう」

 それはつまり、スタニスラフは危険な目に遭うということじゃないか。立ち上がろうとした俺はよろめき、派手に咳き込んだ。

「無理するな」

 俺を支えようとしたバルタゼルは、すぐに半身をのけぞらせた。

「おいおい」

 育ちが悪くて申し訳ない。こうするしかない。俺の魔法杖の先はバルタゼルの胸を狙っていた。

「バルタゼルさま。俺、行かないと」

「行くといっても君の箒は壊されたぞ」

 バルタゼルに魔法杖を向けたまま、俺はじりじり後退りして、近くの樹に立てかけてあった庭師の箒に跨った。箒は箒だ。庭箒でもいざとなれば飛べないことはないはずだ。多分。

 しかしスタニスラフの長年の恋人なだけあり、バルタゼル・メルヒントンは胆の据わり方が一味違った。俺に魔法杖を向けられていることなど物ともせずにバルタゼルは魔法を放ってきた。躊躇のないその魔法杖の揮り方は、鋭く優美なスタニスラフのものとは異なり、前に踏み込んだいかにも自信ありげな男らしいものだった。

「降りてくるんだ、セルヴィン」

 彼は俺ではなく、俺の乗った庭箒を狙っていた。バルタゼルの魔法を避けることが出来たのは単なる偶然で、操縦の安定しない不慣れな庭箒が不規則にぐらついたことで彼の狙いが逸れただけだ。

 風を切り裂く音を立てて次の魔法が飛来する。無視してそのまま一気に上昇した。見る見る地上が遠くなる。

「マグヌス」

 下界ではバルタゼルが城に向かって走りながら執事を呼んでいた。

「こうなればわたしの実家の力を借りるしかない。シジッタ地区に圧力をかけ、誘拐された魔女を救出してもらおう。大河の向こうは陸軍の軍管区だ。場合によっては陸軍元帥に訴えて軍を出していただく。マグヌス、すぐに代わりの箒を」

 俺はもう下を見ずに、庭箒を操ることに集中した。ぐらつくだけでなく、すぐに下向きになってしまうのだ。これではとても無理だ。スタニスラフが向かった先はシジッタ地区であることには間違いないのだから、まずはこの箒を交換しよう。



 惣菜を商う店は配達が多い。店の裏には屋号入りの箒が沢山用意されている。

「やあ、セルヴィン。急いでどうした」

「箒を一本お借りします」

 走って行って立てかけてあった箒を手に取り、飛び立てるだけの空間が上に開いた処に出て行ったところで、前掛けをつけたままのレニオンが店から走り出てきた。

「キューリアのことだろ。店主に許可をもらってきた。俺も行く」

 ついて来るなと云いたいが、口論している時も惜しいのだ。俺は勝手にしろと叫んで箒に跨り飛び立った。どうせレニオンは俺の箒の速さには追いつけない。

「なんだこれ」

 空に飛び出した途端、俺は悲鳴を上げた。エニシダの箒のたがの部分がゆるゆるだ。ほどけかけている。そういえば俺がこの箒を手にした時に店の者が「あ、それ」と慌てた顔をしていたな。修理中の箒だ。

 後ろから箒に乗ったレニオンが追いかけてきた。

「待てよセルヴィン」

「レニオン、お前の箒を寄越せ」

「俺が落ちるだろうが」

 追ってきたレニオンの箒に二人乗りをすることになってしまった。横並びになったところで俺はレニオンの箒を掴み、レニオンの箒の前に飛び移った。

「掴まれ。飛ばすぞ。落ちても拾わないからな」

 俺は二人乗りの箒の柄を両手で握った。

 ようやく森に着いたものの、流浪の民ミナオンは前回の野営の場所から移動しており、何処に行ったのか捜さなければならなかった。

「水場だ、セルヴィン。森の中を流れる川に沿って捜そう」

 俺は一度上空に上がると、ミナオンが野宿に選びそうな場所にあたりをつけた。夜なら焚火が見えるが、まだ日が高いので勘頼みだ。

「あそこだ」

 煙が細く上がっている。二人乗りの箒を降下させた。風を巻き起こしながら滑り込んでいった俺の箒が設置しかけの天幕をぐらつかせる。

「あ、またお前たちか」

「ドクトル・クローヴァス」

 俺とレニオンは四方に向けて大声を張り上げた。

「ドクトル・クローヴァスをお借りしたいのです。ドクトルはどちらですか」

「騒がしい、どうしたの」

 幌馬車からアウロラが顔を出した。

「あら、この前の少年たち」

 川のほとりにドクトル・クローヴァスの姿が見えた。駈け寄ろうとすると、幌馬車から降りてきたアウロラが立ち塞がった。

「彼はろくに喋れないわ。わたしに要件を云いなさい」

 大急ぎで俺たちは千里眼アウロラに今朝からのことを説明した。

「誘拐」

「かもしれないというだけです」

「なるほど。君たちの友だちの魔女が、元医師に攫われ、シジッタ地区に連れて行かれた可能性があると」

「そうです。シジッタ地区は住人でないと迷います。でもドクトル・クローヴァスは住民と同じ魔法を眼球にかけられている。だから」

 魔術師の眼玉入りの水晶はスタニスラフが持って行ってしまったので、俺には絶対にドクトルの助けがいるのだ。

 腕組みをしてアウロラは何かを考えるような顔をしていた。

「事情は分かった。しかし連れて行ったところで、いまの状態のドクトル・クローヴァスが街を案内できるかどうかは分からないのでは」

「いいんです。そこは街の中に入ってから考えます」

「では、わたしも行こう」

 俺たちが必死な形相でいるその真剣さに打たれたのか、アウロラは申し出た。

「わたしの水晶珠が魔女の探索の役に立つかもしれない」

「どうする。セルヴィン」

「頼もう」

 箒に三人は乗れないのだ。どのみち箒を借りなければならない。



》4-Ⅳ

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