36. 決着
俺を鼓舞するセシルさんの声。
目が覚めた気分だった。
何を、諦めようとしていたのか。勝てないからと、絶望していた。絶望に甘えようとしていた。言葉を風とし、心に薪をくべ、燃え上がらせよ。
驕り、高ぶり、慢心、自惚れ、思い上がり。すべて灰にして立ち向かえ。
恋人としての矜持一つあればいい。
この程度で根を上げるやつが吸血鬼と幸せになどなれるわけがない。
かっこよくある必要なんてなかった。惨めでもダサくても、最後まで信じて戦うこと。それが俺、いや────僕、鳳智の在り方なのだから。
「はあああああっ!!!!」
大声をあげて突っ込む。そして大振りのパンチをフェイントにしてタックルを仕掛ける。しかし腰が重く押し倒すことができない。パピーが舌打ちをした直後、背中に強烈な衝撃が襲い、地面に倒れ伏す。
「どうしてセシルにそこまで拘る? お前はまだ若い。これからも恋愛できる機会なんて山ほどあんだろ?」
いやいや山ほどは無いっすよあなたみたいなイケメンじゃないんで僕。それに、運命はそう何度もやってこないと思うんだよね。
「たとえそうだとしても……っ、ここで諦めてしまったら僕は自分から運命を手放したことになる……っ、だから……!」
「だからってここまで苦しむ必要あんのか? イカレてるぞお前」
パピーが僕の胸倉をつかみ上げる。
「はい、僕はイカレてるのかもしれません」
「……もういい。ここまでだ。セシルのことは忘れろ」
「そう言われて、お父さんは諦めたんですか?」
「……あ?」
「お父さんだって、愛していたから、人間の女性と結婚したんじゃないんですか?」
「お前に何が分かんだよ。あとお父さんって呼ぶのやめろ殺すぞ」
「じゃあパピーでいいですか?」
「やめろや」
「人間と結婚して、さぞ肩身の狭い思いそしたんじゃないんですか? それでも、その人を選んだのは、愛していたからじゃないんですか?」
パピーが胸倉をつかんだまま顔を近づけてくる。
「……まぁな。だが、やはり人間の寿命は短い。後に残るのは悲しみだけだ」
「本当にそうでしょうか? 僕にはそれが、短くても幸せだった日々が、とてもかけがえのない宝物のように思えます。正直うらやましいですよ。きっとあなたは本物を手に入れたんですから。そうでしょう?」
「……」
僅かにパピーの表情が変わった。小生意気な言葉に返す言葉を探しているのかもしれない。そして僕は、その一瞬を見逃さなかった。
「イマダッ!」
マイケルくんの声より先に僕の体は動いていた。最後の力を振り絞り全身に力をこめる。
「なにしやがるっ……てめっ!」
僕は胸倉をつかむパピーの腕に抱き着くように飛び掛かった。
両足をひっかけパピーの体を倒し、その腕を胸元で固定したまま体を反らせていく。ボクシングとは別に何度も繰り返し練習していた奥の手――
吸血鬼を倒すのに相応しい技名である。
残る力のすべてを出し尽くすつもりでパピーの腕を伸ばしていく。必ずここでキめる。最後の勝機だ。絶対に離すわけにはいかない……!
「ぐ……こんなもの……!」
パピーがものすごい力で抵抗してくる。ほとんど極まっていた状態のはずなのに信じられない。バケモンかよ。
「そこまでして勝ちてぇかてめぇ!」
「勝ちたいですよっ!」
「お前とセシルじゃ生きてる世界が違うんだよ! うまくいく訳ねぇんだ! 大変な思いをすることになるぞ!」
「そんなの分からないじゃないですか!」
「俺がそうだったんだよ! 結局あいつは死んじまって、残された側は一生悲しむハメになる! セシルには俺と同じ思いをさせるわけにはいかねぇ!!」
「パパ……」
それは、妻と娘を愛し、一人で戦ってきた男の咆哮だった。
そうか、この人を恨む気になれなかったのは、そういうことか。
だが、否定しなければならない。僕の正義はその先にあるのだから。
「それでも、後悔してはいないはずだ……っ」
「……っ」
「たとえ今がどんなにつらくても、あなたは奥さんを選んだことを後悔なんてしてないはずだっ……!! そうでしょうっ!?」
パピーが口ごもる。やはりだ。この人はきっと、もう一度人生をやり直すことができたとしても同じ相手を選ぶはずだ。運命の相手を見つけたのだ。たまたまそれが人間だっただけの話。本当に羨ましいったらないよ。僕が必死に探しているものを、この人はもう持っているのだから。
「分かったようなこと言いやがってぇクソが! 結局不幸になったら意味ねぇだろうが!」
パピーの力が増していく。マジでバケモンすぎる。このままだと外されてしまいそうだ。
僕はもうとっくに限界を超えている。これで極められなかったら本当に終わりだ。もう立ち上がることもできないだろう。
「カイルさんは不幸なんかじゃありません! 本物の愛を手に入れて、セシルさんという素敵な娘さんだっているじゃないですかっ」
「そんなんでしあわ――」
「僕が証明しますからっ!!!!」
「あ!?」
「僕がセシルさんと幸せになって……っ、カイルさんの歩んできた人生が間違ってなんていないことをっ……! 証明して見せます!」
「できなかったらどうすんだよっ」
「できます! すべては最善なんですからっ!!」
「……っ!」
一瞬、パピーの腕の力が緩んだ気がした。
「うおおおおおおおおおっ!!!!!!」
全力でパピーの腕を伸ばす。もう表情を見ている余裕もない。
「イケェエエエ!!」
「智くんっ!」
「智!」
「兄さん!」
みんなの声援が聞こえてくる。
そのとき、僕にしか聞こえない程度の声でパピーがぽつりと言った。
「なるほど……最善、か」
「え?」
そして、パピーが開いている方の手で僕の足をポンポンと叩いた。
「ほら、タップアウトだ。はやくどけ」
「え? え? それって……」
「だから、お前の勝ちだっつの」
その言葉を聞いた瞬間、全身から力が抜けた。
僕がパピーの腕を離すと、パピーは足をどけて立ち上がり、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
ライターの音がなった瞬間、全員勝利を認識したのか、大の字に横たわる僕の元へ開け寄ってくる。
「ヤッタナオオトモ!! サスガワオレノデシダ!!」
「兄さん大丈夫!?」
「心配させんなしね!」
「あはは……ごめんね、澪、彩奈。でも、勝ったよ」
「さすが私の智くんだ」
そう言ったセシルさんの得意げな顔には喜び以上に安堵感が滲んでいた。
僕は痛むからだを腕で支えながら上体を起こす。
カイルさんはこちらに背を向けてタバコを吸っていた。
「カイルさん……」
「ったく。チケットが一枚無駄になっちまったじゃねぇか。クソが」
チケットとはイギリス行きの航空券のことだろう。僕が勝負にかったことで、セシルさんは日本に残ることになる。よかった。約束を無碍にする気はないようだ。
「おいガキ」
「はい」
「お前、本当にすべては最善だと思うか?」
どうしてそんなことを聞くんだろう? と思いながらもとりあえず答える。
「はい。そういう生き方さえしていれば」
「……なるほど。セシルがお前を選んだ理由が分かった。まったくそっくりじゃねぇか。アイツに」
「……?」
「ふん。なんでもねぇよ」
パピーがタバコを咥えたまま立ち去ろうとする。
終わった。成し遂げた。達成感に浸って一度瞳を閉じたそのとき、驚くべきことが起きた。
「お疲れ様。よくがんばったのぉ」
「え?」
その声に目を開くと、そこにはいつも通り赤い着物とおかっぱ頭。
神様が僕たちの目の前にいた。他の人がいるときにあらわれるなんて初めてのことだ。
僕の様子をみてセシルさんたちが不思議そうな顔をする。
やはり彼女達には神様の姿は見えていならしい。
「たいしたものじゃ。おぬしは今自分の力で未来を引き寄せたのじゃ。誇ってよいぞ」
「え、うん……というかどうして……?」
「智?」
「どうした智くん?」
「兄さんの頭がおかしくなっちゃった!」
「オオトモ……」
みんなには僕が一人ごとを言っているように見えているのだろう。
しかし説明したところでますます頭がおかしいと思われるに決まっている。どうしたものか。そう思っていると、パピーが唖然とした表情で言った。
「お前……なんでここに……?」
タバコの灰が地面におちる。
パピーの視線を見て確信した。その瞳には間違いなく、神様の姿が映っていた。いったい、どうなっているんだ?
神様が言う。
「久方ぶりじゃのぉ吸血鬼の小僧。あまりこの少年をいじめんでくれよ」
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