34. 決戦



 さぁ、待ちに待った放課後がやってきましたよっと。


「それでは、行こうか」

「ああ」


 セシルさんと一緒に帰路につく。このまま行ってもよかったが、一応動きやすい格好に着替えておこうと思い、一度自宅に寄ることにした。

 ついでにシャワーを浴びておく。

 Tシャツの上から紺色のジャージを上下に着込み、ファスナーを一番上まで閉める。ちなみにパンツもトランクス派からボクサータイプに転向した。

 一応バンテージも巻いておく。拳の保護と手首の固定。さらにストレッチと、5分ほどのシャドーを行い体をあっためる。コンディションは最高。完璧だ。

 俺はこれからセシル家へ赴き、パピーと戦う。一発でも有効打をあてれれば俺の勝ち。あの時は手も足も出なかったが、今は違う。いくら吸血鬼が人間離れした身体能力を持っていたとしても、一撃くらいなら何とかなる。もしかしたら意外とあっさり終わってしまうかもしれない。いや、油断してはいけない。このワンチャンスを全力でものにする。

 そう固く意思を決め、家を出る。

 雲一つない青空の下、俺はセシル家へと向かった。



 ◇◆◇◆◇



「きたか、ガキ」


 セシル家に着くと、庭の方からパピーの声がした。どうやらもう準備はできているらしい。そのまま庭へ入ると、そこにはセシルとパピー以外に、澪と彩奈、そしてマイケルくんがいた。


「なんだお前ら、観戦か?」


 俺の質問に、セシルさんが答えた。


「私が呼んだんだよ。彼女達には見届ける権利があるからね」

「なるほど」

「アンタが無茶しないか確かめに来ただけよ」


 彩奈の言葉に、隣にいる澪も頷いた。まったく心配性な奴らだ。まぁいいけど……いや、そういうことか。セシルさんが二人を呼んだのは何も応援の為ではない。別の狙いがあるのだ。吸血鬼のことを知らない三人がこの場にいることでパピーの動きを制限しようという狙いが。パピーは俺を殺さないために力をセーブして戦うはずだ。だが万が一負けそうになったら本気を出さないとは限らない。だから三人を呼ぶことで吸血鬼の力を使えないようにしているのだ。パピーもそれが分かってか、不機嫌そうな表情をしている。俺の彼女、超優秀。

 舞台は整った。あとはやるだけだ。未来を、この手に!


「それじゃ、はじめっか。いつでもかかってこい」


 パピーが余裕そうに手招きをする。


 油断している。一気にかたをつけてやるっ!


「シッ」


 俺は一気に距離を詰めジャブを放つ。が、よけられた。さらにワンツー、フックと打つがすべて躱され、一旦バックステップで距離をとる。


「ふん。格闘技でもかじったか? 小賢しい」

「勝つための可能性を一パーセントでもあげるためっスよ」

「一パーセントもねぇよボケ」

「それはどうでしょうか、ねっ!」


 俺は低い体勢から懐へもぐりこみアッパーを打とうとするがスウェーバックで避けられる。さらに一歩踏み込み追撃を仕掛ける。スウェーは体をのけぞる代わりにそれ以上後ろには下がれなくなる。故に態勢が戻る前に打ち込めば、届く──!


「かはっ……!」


 ストレートがパーリングされると同時に、わき腹に走る激痛。体が折れ膝をつく。


「智くん!」

「智!」

「兄さん!」


 ゆっくりと呼吸をする。痛みはするが、折れてはいなそうだ。パピーはお優しいことに、俺が立ちあがるのを待ってくれている。

 しかし、受けたダメージはそう早くには回復しない。


 まずいな……。

 分かってはいたことだが、まさかここまで差があるとは……。


「いい加減諦めろ。一発くらいならどうにかなるとか思ってたんだろうが、付け焼刃の訓練で勝てるほど俺は甘くねぇ」

「……っ」


 再び思い知らされた実力差。

 それでも、ここで諦めたらすべてが水の泡だ。自分から負けを認めるようなことだけはできない。足が震える。


「もうやめて! 見てらんないよ!」

「兄さんっ!」


 彩奈と澪がつらそうな顔をしているのが見えた。セシルさんは唇を噛んだまま俯いていた。まだ一発もらっただけなのに大袈裟だっての。

 そう余裕ぶって自分を奮い立たせる。


「まだまだこれからっすよ」

「……チッ」


 はは、そうかったるそうにしないでくれよ。

 こっちは本気なんだからさ。

 さて、付き合ってもらうぞ。何度だって立ち上がってやるからな。

 


 …………


 ……



 口の中が血の味で満ちる。左目が腫れて見えずらい。体中が痛い。

 もう何度、殴られただろう。何度倒れただろう。何度立ち上がっただろう。

 きっと俺は今、ひどい姿になっているのだろう。


「兄さん……もうやめて……っ!」


 澪の涙ぐむ声が聞こえた。みると、やはり目を赤くして泣いていた。その隣では彩奈が、とうとう見ていられなくなったのかのように顔を手で覆っていた。

 セシルさんはただ無言で下を向いている。

 なんだよ、まるで負けちまったみたいじゃないか。まだ終わってなんかいないのに。


「ガキ、もうそのへんにしとけ。死ぬぞ」

「え……?」


 死ぬ? 俺が? 


 ……ああ、確かに、そうかもしれない。自覚するのが怖かっただけだ。もうとっくに気づいている。勝ち目など無いと。

 体力も、気力も、限界だ。今すぐにでも倒れてしまいたい。

 

 心が折れていく。なんで俺、こんな頑張ってるんだっけ。もうやれることは全部やったし、十分苦しんだじゃないか。ここで諦めたところで誰に攻められることもないだろう。それどころか、よく頑張った、感動したって賞賛して貰えるのではないだろうか。きっとセシルさんならそういってくれる気がする。それで、いいんじゃないか?  

 

 世の中どうしようもない事なんて山ほどある。これがその一つ。たったそれだけの話だ。自分の負けだと、潔く認めよう。


「……っ……」


 声が、出ない。終わらせてしまえば楽になれるのに。どうせ無理なのに。

 心のどこかで、諦められない自分がいる。

 

「ふん、もういい。終わりだ。セシルは連れて帰る」


 まだだ、まだやれる。そう思っても、恐怖で体が動かない。このままでは終わってしまう。何もかも。二度とセシルさんに会えなくなってしまう。それでも怖い。もう痛いのはいやだ。今だってアドレナリンで分からなくなっているだけで、どこかの骨が折れているかもしれないのだ。諦めたくない気持ちと、諦めたい気持ちがせめぎあう。

 そんな俺を置いてパピーが去ろうとしたその時だった。


「……ばれ」


 セシルさんが何かを言った。

 俺が顔を向けると、今度は目を見てはっきりと叫んだ。



「がんばれ智くんっ!! 君なら勝てる!! 諦めるなっ!!!!」



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