32. 特訓中の一幕


 「ハイワンツー! ワンモア! カモンッ!」


 庭にミットをたたく乾いた音が響き渡る。

 最初はポンポンとしょぼい感じだったのが、特訓三日目にしてすでに空気を切り裂く破裂音にまで変化を遂げていた。このままいけば一週間後にはソニックブーム出せそう。などと思えるのはひとえにマイケルくんの効率的指導とミット受けの技術によるものだろう。テンポよくミットをたたいているだけで気分が乗ってくる。

 

「シッ、シッシッ」


 マイケルくん曰く、パンチを出すときは息を吐くのが基本で、それを確認できるように吐いた息を使い口で無声音を鳴らすのが良いとのこと。人によってシュッシュッであったりスッスッであったりフッフッであったりするようだが、僕はなんとなくかっこいいと思ってシッシッ派に所属することにした。

 

「モットアゴヒケ!ガードサゲルナ!ワンツー!」

「ハイッ!! シッシッ」

「ワンツースリー!ハイボディ!オーキクヨー!コレアタッタラタオレチャウヨ!」

「あざすっ!」


 マイケルくん曰く、僕にはボクシングの才能が有るらしい。9割お世辞だろうけど、やはり成長を実感すると、もしかして天才なのでは? と思えてプロボクサーを目指すのも悪くないなとか調子に乗りそうになる。来週の決闘でパピーの驚く顔が楽しみだZE☆

 一旦休憩にしたところで、彩奈が言った。


「いやめっちゃ本気じゃん」

「当たり前じゃないか。僕とセシルさんの未来が懸かってるんだから」

「うん分かってる。それはわかってるんだけどさ。なんか思ったより本格的に練習しててびっくりしちゃった。なんかこういうのに本気で取り組んでるとこ見たことないから」

「まぁね。僕だってやる時はやるよ。もともと運動が嫌いなわけじゃないしね」


 それ以上に読書が好きだっただけだ。運動神経だって人並みにはあると自負している。


「私もちょっとやってみたい」

「マイケルくんに受けてもらったら?」


 彩奈がグローブ嵌めマイケルくんの前に立つ。

 それっぽく構えてはいるが女の子らしさが目立っていた。はぁだめだめ。もっと脇締めて足開かないと。そんなんじゃいいパンチ打てないぞ(笑)


「トリアエズウッテミロ。テクビクジカナイヨウ――」


 パァンッ!!!!!


「……え?」


 内心得意げになっていた僕の耳に、凄まじい快音が響き渡った。

 マイケルくんの顔は驚愕に固まり、手からミットが吹っ飛ばされていた。

 僕は何が起きたのか理解できなくて、ああなるほど、女の子だからって気を抜きすぎたのかなと解釈。しかしそれが間違いであったことをすぐに思い知らされる。


「も~女の子だからって油断しすぎだよ」

「ハハハ……ワ……ワルイワルイ!」


 マイケルくんがミットを拾いもういちど構える。

 

「サァコイ!」


 彩奈が拳を振りかぶる。次の瞬間、僕は目の当たりにした。センスがあるとか、筋がいいなんて言葉では表しきれない圧倒的な運動神経。天賦の才を。

 足先から膝、腰、肩、肘、手首へと連動した関節が拳の先へ力を伝える。それもスピーディかつ的確に。コンパクトさはないが、やはり一撃の重さは振りかぶったパンチの方が高く、全体重を乗せた高速パンチが最強という理論を体現するかのように、拳がミットに当たった瞬間まるで爆発音のような音が耳をつんざいた。庭に不発弾でも埋まってたんじゃないかと0.02秒くらい本気で疑ったほどだ。

 マイケルくんが唖然とした顔で言う。


「テ、テンサイ……テンサイダ!」

「え? そうかな?」


 彩奈は、無自覚最強系主人公みたいにおとぼけをかましながら、思い出したかのように女の子っぽく内股になった。


「アア、トテモシロウトトハオモエナイ。イマカラデモカクトウギヲハジメルベキダ」

「僕もそう思う。絶対才能あるよ!」

「またまた~そんなこといっちゃって。おだてたってなにも出ないよ」

「いや彩奈くん。私から見ても今のパンチはすごかったぞ。もしや吸血鬼かと疑いそうになった」

「なによ吸血鬼って。そんなわけないじゃない」

「はは、そうだな。すまんすまん」

 

 セシルさんにとっては率直な感想だったのだろう。もし彩奈まで実は吸血鬼でしたなんてことになったら流石の僕でもついていけないので勘弁して貰いたいが……大丈夫だよね?


「う~ん。でも格闘技はいいかな」


 彩奈がグローブを外しながら戻ってくる。

 気の強い性格的にも合うと思ったけどそうでもないようだ。


「なんで?」

「だって、智は野蛮な女の子好きじゃないでしょ?」


 え、そういう理由? 僕という存在のせいで将来世界チャンピオンになる未来が無くなると思うと、やはりラブコメに伴う責任は重いのだと再認識する。

 だからこそ、僕はみんなを幸せにしなければならない。その努力を怠ってはいけない。ハッピーエンドとはその先にしかないのだから。


「そんなことないけどな。強い女の子だって魅力的だと思うよ。そういうの好きな男子だって珍しくないし。ギャップだよギャップ。つよかわ萌え」

「萌えとか言うなキモイな。とにかく女の子らしくないからいや」

「彩奈から女の子らしさなんて言葉が出てきたことにおどろ──いてっ!」

「しね」


 殴られた。好きの裏返しですねわかります。さっきのパンチ見てからだと増々実感する。もし彩奈が本気で怒っていたら今頃僕の頭蓋骨はとっくに砕け散り、そこらへんに脳漿のうしょうをぶちまけお陀仏していたはずなのだ。まったくかわいいやつめ。と思っていたらもう一度殴られた。


「聞こえたの。智の心から、げんこつのおかわりを求める声が……」

「そんなよくいるファンタジーのヒロインみたいに言っても流されないからね」


 頭で発光する形而上のたんこぶを撫でながら言うと、彩奈は訝しむような目を向けてきた。


「でも最近智、私に殴られるとなんか嬉しそうな感じじゃない。そんな反応されるとこっちとしても尺というか、もうちょっと過激にしてもいいのかなって気分になるのよね」

「…………」


 くっ……流石幼馴染だ。すでに暴力を愛情表現と捉えていたことを見透かされていた。このままでは最悪、彩奈に加虐趣向を芽生えさせることにもなりかねない。


「いやそもそも暴力事態よくないからね。そんな簡単に人を殴っちゃいけないよ」

「分かってるわよ。だから智しか殴ってないわ」

「僕も人だよっ!?」


 すると、そのやり取りを見ていたセシルさんが言った。


「安心したまえ。智君くんが傷付くたびに、私が身も心も癒してあげよう。こうやって」


 セシルさんは僕の頭部を胸に抱くと、優しく殴られたところをさすってきた。

 柔らかな感触と甘い香りに包まれ、僕は地上に天国を見る。


「ちょっとなにしてんのよ!」

「君に殴られて可哀想な智くんを癒してあげてるのさ」

「いやいらないから。癒すのも私がやるの!」


 彩奈まで抱き着いてくる。実は彩奈もセシルさんほどではないが胸は大きい方だ。あれあれ、隠れ巨乳ってやつ。

 二つのおっぱいに挟まれ窒息しそうになりつつも「別にしんでもいいや」と思えるようなこの状況で、僕はこの場にもう一人女の子がいたことを思い出す。


「兄さん……そんなにおっぱいが好きなの?」

「いやちがうぇいん……だはぁん……っ……こりゃむぅん……っ、ほおっ」


 おっぱいのせいでうまく発音できない。


「でも兄さんの部屋にあるラノベ、だいたいみんな巨乳だし」


 さすがは我が妹。おっぱい語にも普通に返してきた。

 僕はなんとかおっぱいの間から顔を出し弁明を始める。


「二次元っていうのはそういうものなんだよ。貧乳設定のキャラでさえ絵だと普通に巨乳だったりするんだ」

「じゃあおっぱい嫌いなの?」

「好きです」

「やっぱり好きじゃん!」

「そりゃ嫌いな男なんていないよ。いいかい澪? 男がおっぱいに惹かれるのは生物学的に仕方のないことなんだ。そうやって人類は進化してきたんだ」

「じゃあ私のおっぱいでも嬉しい?」

「うっ……それは……」


 言葉に詰まってしまう。兄として実の妹のおっぱいに興奮するわけにはいかない。

 澪は目じりに大粒の涙をためると「もう知らない! 兄さんのバカ!」と言って二回へと走り去っていった。


「嫉妬深い妹を持つと大変だな」

「後でちゃんと謝っておくのよ?」


 いや君らのせいでこうなってるんですけど? 嬉しいけども! 嬉しいけども!


「オイ! イツマデヤスンデンダ」


 マイケルくんに呼ばれ練習を再開する。

 もっと強くならないと。こんなラブコメな日々を守るためにも、ね。






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