31. 澪とセシル


【澪視点】



 お風呂から上がると、リビングではセシルさんが座りながら外を眺めていた。

 

「まだいたんですね」


 あえて棘のある言い方をする。兄さんの彼女だというだけでも許せないのに、家に上がり込んで料理までふるまって、これじゃあ私が邪魔者みたいじゃないか。

 自分の居場所を奪われている気がしてむかつくのだ。


「ああ。もうそろ帰るよ」

「兄さんは?」

「もう寝たんじゃないかな」

「……そうですか」


 セシルさんはゆっくりと立ち上がり私を見据えた。本当にきれいな人だ。まるで二次元の世界から出てきたみたいに。彩奈さんのような三次元的な説得力がある容姿ではない。どこか幻想的な……実はこの世界の住人ではないのではないか。そう思わせるような不思議な魅力があった。


「私に、話したいことがあるんだろう?」

「っ!」


 なるほど。わざわざ私からの文句を聞くために残ってくれていたというわけか。律儀な人だ。ならば遠慮せず言わせてもらうとしよう。


「どうして、兄さんを危険な目に合わせるんですか? 兄さんのことを思うならおとなしくイギリスに帰ってくださいよ」

「申し訳ないがそれはできない。何度もいっているが、私は智くんを愛しているからね」

「その愛する人が危険な目に合うんですよ? なんとも思わないんですか? それともわざとですか? あなたは男が自分の為に頑張っているのを見て悦に入りたいだけなんじゃないですか?」

「違うよ。私だって智くんには傷付いて欲しくないさ。それでも必要なことだからやるしかない。智くんもそれをよく分かってるからこそ戦うことを決意したんだよ。好きだからこそ、その覚悟を尊重したいんだ。だから応援すると決めた。それだけだよ」

「信じられませんね」

「澪くんにはすまないと思っている。私を殴りたければ殴ればいい。文句はないよ」

「……別にいいです。彩奈さんならやってるかもしれないですけど」

「彩奈くんにはもうひっぱたかれたよ。なかなかの威力だったね」


 さすが彩奈さん。

 この際なので、私も本音でぶつかろうと思った。


「なんで兄さんなんですか? 正直妹の目からみてもイケてるタイプじゃないですし、何考えてるか分からない所あるし、優しいは優しいですけど、特別なことなんて一つもないただの凡人ですよ。魅力的な人なんてほかにもいるじゃないですか」


 セシルさんは、私の言葉をどれも否定することなく、窓から夜空を見上げ、言った。


「澪くんは、運命って信じるかい?」


 私はそれを聞いた瞬間悟ってしまった。なるほど。悔しいけどこれ以上ないくらい兄さんとぴったりだ。よりにもよってこんな人が現れるなんて、最悪だ。最悪。

 私が黙っていると、セシルさんは構わず話始めた。


「この最善なる可能世界においては、あらゆる物事はみな最善である」

「カンディードですよね。知ってます」

「ほう、意外だな」

「兄さんが言ってましたから。私は読んだことないですけど」

「カンディードは哲学者ヴォルテールが、当時あったライプニッツ哲学に対しての疑問と風刺をこめて書かれた小説だ。この作品の中で、主人公カンディードは多くの困難に見舞われることになる。彼はすべてを最善とする楽観主義を否定するが、最終的には安寧を手にする。そして結局すべては最善だったのかという問いに対し『それでも私たちの畑を耕すしかない』と答える。最善とはつまるところ結果論でしかないのだ。それでも最善を信じて行動する。その信念が引き寄せたものこそ、私は運命と呼ぶにふさわしいと思っている。そういう者にとって人生とは奇跡の連続になりうるのではないだろうか」

「は、はぁ……」


 なんかすごい難しい事いってるーーー!!!!

 やっぱりそうだ。この人根っこの部分が兄さんに似すぎている!! 

 認めざるを得ない。確かにこれは奇跡に等しい巡りあわせだ。


「智くんの最善。私の最善。それらが引き寄せあい巡り巡って出会い恋人となった。これを運命と呼ばずして何と言う!」

「わ、わかりました。どうやら私はあなたのことを少し勘違いしていたようです」

「ふむ。ようやく分かってくれたか。そう。私はちゃんと真っ当に智くんを愛している」

「いや、なんだろ……思っていたより深刻といいますか、正直普通に一目ぼれとかの方がましだったと言いますか……」

「ん? 何を言っている? 一目ぼれだとしても同じことだろう? 結果的に最善であることが確定している以上、仮に別の出会い方をしていたとしても並列する全ての可能世界線で最善とされる未来に影響は無く異なる条件下に於け――」

「ああもう分かりました! 分かりましたから! もういいです! 頭おかしくなりそうなんで!」

「そうか、ならいいが。それでは私はお暇するとしよう」


 セシルさんが玄関へと向かっていく。

 

「あの……!」


 つい、呼び止めてしまった。


「その……すいませんでした。私、セシルさんが兄さんを騙して弄んでるんじゃないかってちょっと疑ってました」

「誤解が解けて良かったよ。それじゃ、応援してくれるかな?」

「いやそれは無理です。今すぐにでも別れてもらって構いません」

「はは、手厳しいな。それじゃお邪魔しました」


 セシルさんが玄関を出ていく。

 不思議とすっきりとした気分だった。言いたいことを言えたからか、それともセシルさんが悪い人ではないと分かったからか。


 兄さんの決闘は止められないだろう。とすると私にできるのは応援してあげることだけだ。妹なのに、一番近い存在のはずなのに、それだけしかできないことがたまらなく悔しい。兄さんにとって私という存在をもっと大きくしていかなければ……。


 ということで今日もベッドに忍び込もうと思ったが、兄さんの疲労を鑑みてやめておくことにした。これができる妹の気遣いってやつよ、フー⤴

 そうして私は自室へと戻るのであった。






 













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