30. 特訓じゃあああ!!


 セシルさんの連れてきた特別コーチは、まさかのマイケルくんだった。そうあの後ろの席のマイケルくんだ。

 

「彼はアメリカでボクシングをやっていてアマチュアの大会で優勝したこともあるそうだ」

「マジかよ」

「ジジョウハキイタゼ。オマエモタイヘンダナ」

「う、うん」

「それじゃ、さっそく特訓を始めて行こう! 一週間しかないからな!」


 そうだ。ボクシングテクを教えてもらえるなんてありがたいことだ。闇雲にトレーニングするより何倍もマシだろう。


「ありがとう。これからお願いね。マイケルくん」

「アア、ヨロシクナ。オオトモ」

「あ、オオトリねオオトリ。オオトモじゃなくて」

「ワタシニホンゴワカリマエセーン‼」

「…………」






 それから、僕たちはトレーニングを開始した。

 基本姿勢からパンチの打ち方。常に頭を振りガードを上げておくことの大切さを学んだ。その日は、とにかくワンツーを繰り返した。特訓は夜まで続いた。彩奈は途中で帰っていったが、入れ変わるように澪が自室から降りてきて、ミットを打つ僕を退屈そうに眺めていた。


「よし、今日はこの辺にしておこう」

「はぁ……はぁ……っ……ありがとうございました!」

「ロードワークヲワスレルナヨ」


 明日から毎朝、ランニングとシャドーをするよう指示された。とにかく正しい姿勢でパンチを打てるようにと。


「マイケルくん。僕、強くなれるかな?」

「オマエシダイダ」


 そう言って、マイケルくんは帰って行った。

 一週間でどこまでできるかは分からない。だけど、少しだけ希望が湧いた。

 人の心が折れるのは、苦しい時でも、辛い時でもない。希望が無くなった時だ。希望さえあれば、どこまででも行ける。それが人間という生き物なのだ。

 それからすぐにシャワーで汗を流すと、リビングから空腹を煽るような香ばしい匂いが漂ってきた。

 

「それじゃ、ごはんにするとしようか!」


 気づくと、セシルさんがエプロンを付けて立っていた。


「もしかしてセシルさんが作ってくれたの?」

「もちろんさ。澪くんにも手伝ってもらったけどね」

「どうしても自分が作るって聞かないんだもの……早く食べましょ」


 食卓に僕、澪、セシルさんの三人で座る。

 テーブルにはデミグラスハンバーグにシーザーサラダ、白米とコンソメスープ。3人分の皿が並ぶだけで食卓がすごく華やかになったように感じた。普段は澪と二人だから、たまにはこういうのも悪くないと思った。

 セシルさんは僕が食べるのを正面からニコニコ笑いながら眺めてきた。


「そんなに見られてると食べづらいよ」

「はは、すまんすまん。なんだか嬉しくてね。私のために頑張ってくれている恋人に手料理をふるまえることが」

「あんまりいちゃつかないでくれますか? 腹立つんで」


 澪がルガーを取り出してセシルさんにつきつけた。

 

「はは、ごめんよ未来の義妹いもうと

「喧嘩売ってます? 売ってますよね? 撃っちゃおっかな~。未来閉ざしちゃおっかな~」

「澪落ち着いて! 食事中に行儀悪いよ!」

「チっ……今日のところは見逃してあげます」

「ありがとう。どうだい? 私の料理は?」

「まぁ、おいしいですよ。普通に」

「そうか。よかったよ」


 尺そうではあるが素直に認める澪。僕的には普通どころか超絶美味しいのだが、それを伝えるための言葉を探しているうちにセシルさんが言った。


「智くんには聞かないでおくよ」

「どうして?」

「君は優しいからね。きっと美味しくなくても美味しいと言うだろう? それに、今の顔を見ればわかるからね」

「え?」


 咄嗟に自分の顔に手を当てて確認する。一体どんな表情をしていたんだ僕は。なんかキモイ感じににやにやしてたんじゃなきゃいいケド。

 というかこの感じ、なんか新婚さんみたいだな。セシルさんと結婚すれば毎日こんな料理が食べられるのかと思うと未来は明るい。


「ご馳走様でした。私、先お風呂入るから」


 澪がリビングを出ていく。

 

「セシルさんはまだ帰らなくても大丈夫? 洗い物なら僕がやっとくよ?」

「問題ない。吸血鬼に門限があるとでも?」

「はは、たしかに」


 言われてみれば納得である。夜の住人であるイメージが強い吸血鬼だが、それは日光に弱いという伝承によるもので、実際のところは普通に昼夜問わず活動しているらしい。特にセシルさんは人間とのハーフ。いわゆるダンピールであるため、夜になると眠くなることが多いようだ。

 

「今日は疲れただろう。明日に備えてしっかり休みたまえよ」

「うん、ありがとう。それじゃあ、お言葉にあまえて」


 僕は部屋に戻って寝ることにした。正直なところ、食事の途中から眠気が襲ってきていた。

 アラームをかけ目をとじる。

 強くならなきゃ……。

 マイケルくんのおかげで、パピーに一発当てれる確率は高まったはずだ。何かを成すをいうのは、可能性を一パーセントでも上げていく作業の積み重ねであり、その努力こそが奇跡を引き寄せるのだ。ゆえに奇跡を茶化してはいけない。客観的には奇跡に見えることだって、当人からすれば必然なのだから。もし僕がパピーに勝ったとしても、きっと僕だけは驚かないだろう。そう思えるくらい全力を尽くさなければ。


 この一週間で生まれ変わる。本当のネオ鳳にならねばならぬ……。


 そんな覚悟とともに、僕は眠りにつくのだった。

 



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