29. ひざまくら戦争



 セシルさんの言葉でトびかけた意識をなんとか繋ぎとめる。

 いや、そういう意味で眠いって言ったんじゃないんですよ本当に! これじゃあ僕が遠回しに甘えてるみたいじゃないですかやめてくださいよぷんぷんっ!

 恥ずかしさのあまり胸中で必死に言い訳した。体感的に、きっと今僕の顔は真っ赤に染まっていることだろう。あーはずかしいっ。


「どうしたんだい? 遠慮しなくていいよ?」

「いや、その……っ、なんていいますかっ」


 すると、ここまで傍観していた彩奈が言った。


「ちょっと、流石にいちゃつきすぎでしょ」

「恋人なんだから膝まくらぐらい普通だろう?」

「人前でやるなって言ってんの!」

「むぅ……」


 不服そうに俯くセシルさん。いつもの彼女なら「それなら君が屋上からいなくなればいい」とでも言いそうなものだが、今日はそのような気配が微塵もなかった。

 僕を危険な目にあわせてしまったことが、セシルさんに気を使わせているのかもしれない。特に彩奈はセシルさんの為に動いてくれた。彩奈がいなければ、今こうして一緒にお弁当を食べることもできなかったかもしれないのだ。


「智、ほら、こっちに寝なさい」


 彩奈が自分の太ももをポンポンと叩く。


「君、今さっき自分が言ったこと忘れたのか」

「私はいいのよ。幼馴染なんだから」

「どういう理屈だねそれは? 意味が分からないよ」


 これにはさすがにセシルさんも看過できないようで、僕の肩を掴んで引き寄せてくる。負けじと彩奈も反対側から引っ張ってきて、僕は二人の間で揺れに揺れてまるでラブコメにありがちなどっちつかずのハートを比喩してるみたいな錯覚に陥りつつもこの状況からの打開策を練っていた。けれど考え付く前にセシルさんが提案する。


「ここはフェアに智くんに決めてもらおうではないか」

「そうね。智、どっちに膝まくらされたいわけ?」


 どちらを選んでも片方に反感を買いそうなこの二択は果たして本当にフェアと呼べるのだろうか? 少なくとも僕にとっては正解がない気がする。

 

「ほら、早く選びたまえ。当然、恋人である私だろうけどね」

「智は私に貸しがあるはずよ。分かるよね?」

「ちょっと待って! 考えさせて!」


 二人の顔が迫ってくる。


「智くんっ!!」

「智っ!!」

「うあああああああああああああ!!!!!」



 キーンコーンカーンコーン。



 僕が発狂しかけたところでチャイムが鳴った。

 二人は顔を見合わせると、牽制しあったまま立ち上がる。


「どうやら時間切れのようだね。智くん。次はノータイムで私の太ももにダイブしてくるのを期待しているよ」

「智。私より先にセシルさんに膝まくらされたら百回殺すから」


 そう言って二人は僕を置いて教室へと戻って行った。

 あれ? なんか間違えたかな? 

 いや、きっと正解など無いのであろう。もがいて、あがいて、あらがって、それでも誰かを傷付けづにはいられないのが人間関係ってやつなのだ。それが恋愛ともなればなおさらである。だからこそ、本音を見失ってはいけない。


「……しっかりしなきゃな」


 ラブコメは過酷であるということを再認識した昼下がりであった。


 

 ◇◆◇◆◇

 


 そして放課後。セシルさんは何やら特訓に必要な準備があるらしく、僕に先に帰っておくようにと言ってどこかへいってしまった。

 僕は言われた通り岐路に着く。久しぶりに彩奈と一緒だった。

 自分のことを好きだと知っている女の子と二人で歩くのは、いくら幼馴染とはいえ緊張する。無言でいるのもアレなので、適当に話題を振ることにした。


「特訓ってなにするんだろうね」

「さぁね。一応言っておくけど私は反対だからね、喧嘩」

「ですよねー」


 彩奈は心配して言ってくれている。同時に、止められないことも理解してくれている。だからこうやって特訓に付き合ってくれようとしているのだろう。


「智、もし私がセシルさんみたいにどこか遠くに行っちゃうかもしれないってなったら、今みたいに引き止めてくれる?」

「なんだよ急に。どこにも行かないだろ?」

「もしよもし。どうなのよ」


 彩奈は僕の恋人ではない。幼馴染とはいえ疎遠だった関係。それだけなら僕は止めなかっただろう。でも今は違う。彩奈は僕のことが好きで、僕のためにいろいろとしてくれている。


 だから、止めるのか?


 自分を好きだから止めるのか? それってなんだかすごい都合のいい思考のような気がする。自分が好かれたいだけではないか。そうではない。きっと悲しいからだ。彩奈が悲しむから、僕も悲しむ。彩奈が悲しまなければ、僕は悲しまない。

 なるほど、自分のモチベーションの根源が分かった気がする。

 

「止めるよ」

「……そ」


 そっけない返事であったが、悪い気はして無さそうだ。

 もしセシルさんと離れることになったとしたら、きっとセシルさんは悲しむ。僕はそれを心のどこかで確信している。感覚Yが、彼女の愛を信じているのだ。だから頑張れる。迷わずに突き進める。





 うちへ帰ると、玄関に澪のローファーがあった。

 彩奈を連れてリビングへ上がると、制服姿の澪が冷蔵庫からカ〇ピスの原液を取り出していた。


「兄さんおかえり――ってなんで彩奈さんもいるのよ」


 露骨に嫌そうな顔をする澪。彩奈は気にせず「お邪魔するね、澪ちゃん」と愛嬌抜群の笑顔で挨拶をした。


「やめてください。その胡散臭いニセスマイル」

「えー。この笑顔で学園のアイドルの座を手に入れたんだけどなー」

「本性知ってるんでうざいだけです」

「ひどいなぁ……けど許しちゃう☆ いつか義妹になるかもしれないわけだからね!」

「なりませんっ!! 兄さんは絶対に渡しません!」


 澪はコップにカ〇ピスの原液をたらし水でとかすと、そのまま一気に飲み干した。


「それで、何しにきたんですか? 理由によっては追い出す準備はできています」


 澪はそう言うと、いきなりスカートをまくり上げた。僕は咄嗟に目を閉じる。

 カチャリという音がして恐る恐る目を開けると、そこには彩奈に向け拳銃を構える澪の姿。


「ちょっ、澪!? それどうしたの!?」


 最愛の妹がアンダーグラウンドの住人だったなんて! という悪夢みたいな想像をするまでもなくそれが親父の所有しているエアーガンであることに気づく。

 多分勝手に親父の部屋から持ち出したのだろう。

 流石の彩奈も苦笑いである。


「ドタマ吹っ飛ばしてやるわ」

「澪! たとえエアガンでも人に向けたら危ないよ! おろしなさい」

「ふん。分かってるわよ。でももし私の前で兄さんにべたべたしたら、容赦なく撃ちますから」


 よく見ると、澪の手にしているエアガンはルガーP08だった。

 ほ、欲しい……! 

 リボルバーこそ男のロマン! と思っていた時期が僕にもありましたが、最近はオートマチックの機能美も分かってきたところです。


 澪は銃を太ももに巻いたホルダーにしまうと、気を取り直すように言った。


「で、何しに来たのかしら?」

「特訓らしいよ。私もよくわかんないけど」

「一応、一週間後の決闘に向けてのトレーニングのはず」

「兄さん、やっぱりまた喧嘩するのね」


 澪の表情に影が差した。


「彩奈さんは反対しないんですか?」

「したところで無駄だもの」


 達観したように言う彩奈。

 喉が渇いたので僕もカ〇ピスを飲みたくなった。原液を取ろうとするが、澪が遠ざけてしまう。


「私がつくってあげるわ。座ってて」

「ありがとう」


 食卓のテーブルに座り待っていると、澪が作ってくれたカ〇ピスが運ばれてきた。そしてもう一つ、彩奈の前には緑色をした飲み物。


「ちょっと! なんで私だけ青汁なのよ!」

「青汁の方が高いんですよ? むしろ感謝して欲しいです。それじゃ、ごゆっくり」


 そう言って澪はリビングを出て行った。去り際に「いちゃついたらダメよ?」と言われ、僕たちは揃って「しないよ!」と答えた。階段を上っていく音が聞こえる。どうやら自分の部屋に戻ったらしい。

 澪の作ってくれたカ〇ピスを一口……濃っ!

 吹き出しそうになるのを必死でこらえて体にピースどころではない。くそ、仕方ない。乳酸菌の力を思い知れ悪性の腸内細菌どもめ!


 そんな僕の横では、彩奈が「おえー」と言いながら、いかにもマズそうに青汁を飲んでいた。えらい。


 



 しばらくして、セシルさんが到着した。


「なにしてたの?」

「色々と道具を揃えていたのさ」

「それは?」


 セシルさんは大きなカバンを持っていた。

 ダンベルでも入っているのかななんて思いつつ聞いてみると、セシルさんは「すぐに分かるさ」と言って僕達に庭へ出るように指示した。

 うちの庭はセシルさん家ほどではないが、まぁそこそこ広い。ちょうどボクシングリングくらいかなと思った瞬間、僕に向かって赤い何かが飛んできたのでキャッチすると、それは間違いなくボクシンググローブであった。


「まさか……」

「そのまさかさ。今日から君には格闘技の訓練を受けてもらう」

「格闘技なんてやったことないんだけど。セシルさんが教えてくれるの?」


 長きを生きる吸血鬼なら格闘技の一つや二つ齧っていてもおかしくはない。が、セシルさんは首を横に振った。


「いや、素人だよ」

「え、じゃあ誰に教わるの?」

「安心したまえ。特別コーチを呼んである」

「特別コーチ?」

「ああ、入ってきたまえ!」


 セシルさんの呼び出され庭へ入って来たのは、僕がよく知る人物だった。


「――ヨォ、オオトモ。オレガオマエヲキタエテヤルヨ」

「マイケルくんっ!?」


 


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