26. ブラディール家 Ⅳ


 喧嘩……か。小学生の時以来かも。澪にちょっかいかけてきた奴らとよく戦っていたのを思い出した。

 勝機はある。刃〇、タ〇、ホーリー〇ンド、喧嘩〇売あたりの格闘漫画は読破済みの僕に死角はない! まぁそんな単純なものでもないんだろうけど、ああいうの読むとちょっと強くなった気するよね。気持ちは大事。ソウルバイブスパッションだよ。

 正直、一発くらいなら何とかなるんじゃないか? と思っている自分がいる。この自信がどうか勘違いではないことを祈るしかない。

 

 庭へ着くと、パピーがかったるそうに待ち受けていた。セシルさんは縁側のところで心配そうな目をして立っている。それにしても、


 ――今日の僕、やばくね?


 いやもうすごすぎるでしょ。決闘だよ決闘。吸血鬼と。尋常じゃない気合だよね。

 自分でもびっくりだよ。常軌を逸してる。普通帰るって。恋人のため、殺されるかもしれない相手に立ち向かうとか完全にヒーローのそれ。人生で一番勇気だしてるわ。あとは、成し遂げるだけ。パピーに勝ってセシルさんとの日常を取り戻す。でなければすべて水の泡だ。こんな時なのに、どうしてか僕は言い知れぬ充実感に包まれていた。「危機に直面して生きていることを実感する」といった戦闘狂の類ではなく、なんかこう……誰かのために頑張れてる感じ? みたいな? とにかく今なら何でもできそうだ。ハイになっているのかもしれない。ネオ鳳再覚醒。感覚Yに心をひたすのだ。


「んじゃ、かかってこ」

「シッ」


 パピーが言い終わるより早く突き出しだした拳はあえなく空を切った。

 奇襲失敗。そううまくはいかないか。しかし残念がっている暇はない。反撃を警戒しバックステップで距離をとる。パピーは追ってない。それどころか余裕そうな笑みを浮かべていた。


「いきなりだな。卑怯だぞ」

「喧嘩にルールはありませんからね。それに容赦がない方が強いと本で読みました」

「たしかにな。もっともだ」


 だがもう不意打ちはできない。僕は意を決してパピーに殴りかかる。

 一発くらいなら当たるんじゃないか? 何とかなるんじゃないか? 

 そんな希望は、あっけなく崩れ去った。

 二発三発四発と振り回した拳が、いったい何を目掛けて振るったのか分からなくなるほど簡単に躱されていく。不思議だった。ほんの少し、ほんの少しだ。斜に構えた身体をほんの少しずらしているだけ。それだけで、それこそ宙を舞う羽のように、拳が当たる前にふわっと位置を変えてしまう。


「うっ……!」


 突然、腹部に衝撃が走った。同時にパピーの膝がめり込んだのだと理解する。

 うずくまりかけたところで、顔面を蹴り飛ばされた。


「ちょっとパパ! やりすぎじゃないか!」

「これぐらいじゃ死なねぇよ。それに自ら後方に飛んで威力を殺しやがった。たいしたダメージじゃねぇよ」

「そういう問題じゃ……っ」

「セシルさん。大丈夫だよ……まだ、やれるから」


 僕は立ち上がり拳を握り、構える。顔面への蹴りはパピーがいった通り後ろに飛んだので表面上の痛みだけだった。それよりも腹にもらった膝の方が深刻だ。ボディーが足にくるっていうのはこういう感覚なのか。太ももに力が入りずらくなって膝が笑ってしまう。普通に気持ち悪い。きっつ。帰りたい。もうやだ。気持ちが折れていく。心が弱る。諦めたくなるのを根性で支えながらゆっくりとパピーへと近づいていき、間合いに入ったところで拳を振るう。試しに蹴っても見るが、軽くガードされ体力を失うだけだった。素人がやるもんじゃないな。

 

「こんなもんか? ああ?」


 顔面を殴られ視界が飛ぶ。意識をつなぎとめたと思った時、全身が浮遊感に襲われ、強い衝撃が背中から全身に駆け抜けた。


「かはっ!」


 肺から空気が吐き出され、打ち震える内臓達が軋みを上げ痛みを主張する。


「智くんっ!」


 セシルさんが駆け寄ってくる。その顔はどこか申し訳なさそうで、泣きそうだった。自分が情けなくなった。きっとセシルさんは自分のせいで僕が傷ついたのだと感じている。違うのだ。僕が弱かっただけだ。勝ち目のない勝負に乗ってしまったから。その浅はかさが、セシルさんに悲しみと罪悪感を植え付けてしまった。

 もっと違う方法を考えるべきだったか。いや、なんにしてもパピーはセシルさんを連れて帰るつもりだろう。ならば結果は変わらなかったはずだ。


「終わりだ。しばらくは動けねぇだろうからそのままにしておけ」

「パパ、こんなのあんまりじゃないかい? 人間の智くんが勝てるはずないじゃないか。ただ痛めつけたかっただけにしか思えないよ」

「ハンデはつけてやったろ。男と男の勝負に口を出すな。……チッ、雨降ってきやがった」


 

 パピーが立ち去ろうとする。勝負は終わり。僕は賭けに負けたのだ。絶対的な力の差に屈し、セシルさんを取り戻すことができなかった。頬に雫が落てくる。雨脚は瞬く間に早くなり、疲弊しきった体を濡らしていく。


「おいセシル、お前も早くなかに」

 

 体中が痛い。足が言う事を聞かない。それでも立ち上がり構える僕を、パピーは奇怪なものでも見るように眺めた。

 格の差は示した。恐怖も与えた。心も体も折ったはずだった。勝てないと分かっている相手に、何故これ以上立ち向かうのか。そう困惑しているのだろう。

 なるほど、やはり生まれついての強者には知りえないか。自分より強い相手と戦ったことがないから。たとえ勝てなくても、惨めでも、つらくても、それでも、男には戦わなければいけない時がある。何のためにって? 決まっている。当然、


 愛のために。


「お前、正気か?」

「智くんだめだ。もういい、やめてくれ……」


 セシルさんが懇願するように言う。

 ごめんね。諦めるわけにはいかないんだ。恋人として。主人公として。

 君をラブコメに巻き込んでしまった。その責任は取らなければならない。投げ出すわけにはいかないんだ。


「必ず、勝ちます……僕は……あ」


 足がふらつき、倒れそうになったところをセシルさんに支えられる。

 

「パパ……どうしてわかってくれないんだい? 智くんの覚悟は伝わっただろう? それなのに……」


 パピーの眉がわずかに顰められた。僕はそれを見て悟った。

この人にも何か貫きたい信念があるのだと。あるいは意地か。僕の存在がそれに反するから、排除しようとしているのだ。


「……わかったよ。もう一度だけチャンスをやる。一週間だ。一週間後、もう一度相手をしてやる」

「パパ!」

「これ以上は引けねぇ。わかったなガキ?」


 僕は頷きながら「ありがとうございます」と言った。

 セシルさんは納得がいっていないようだが、僕としては満足だった。パピーから譲歩を引き出すことができたのだ。粘った甲斐もあったというものだ。


「セシル。お前もそれまでは好きにしろ。あとでうだうだ言われたくねぇからな。そのガキと悔いのない一週間を過ごせばいい。そして忘れろ。日本で起きたことは何もかも」


 はは、なんだ。優しいとこもあるじゃないか。

 僕はこのとき、確かに感じていた。光明、最善の糸を手繰り寄せているような、そんな感覚。

 安心と同時に全身から力が抜ける。


「智くん!?」


 冷たい雨に打たれながら、僕はセシルさんの腕の中で意識を手放したのだった。

 








 

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