23. ブラディール家 Ⅰ


 セシルさんが学校に来なくなってから、一週間が経った。


 何度か連絡してみたが、返信は無い。

 心配になってヨシコ先生に聞いてみたところ、家庭の事情とのことでそれ以上は分からないと言っていた。おかげでここ最近、心にぽっかり穴が開いてしまっていた。まるですべて夢だったのではないかとさえ思えてくる。僕のラブコメ願望が見せた夢。むしろそっちの方が現実的なくらいだ。凪の日常を過ごしていた僕が、吸血鬼と運命的な出会いを果たし恋人にまでなれたのだから。まさに事実は小説より奇なりである。


「――智?」


 自分を呼ぶ声がしてふと我に返る。

 僕は今、屋上で彩奈と一緒に昼ご飯を食べている。


「え? ごめん。何か言った?」

「言った。首にキスマークついてるよって」

「マジで!?」


 咄嗟に首を手で覆った。


「嘘に決まってるでしょ。なんで慌ててるのよ? まさか心当たりでもあるの?」

「いや別にそういうわけじゃっ」


 彩奈が怪しむように顔を覗き込んでくる。

 一瞬澪の仕業かと思ったが、妹と同衾していると知られればなんて言われるか分からないので必死に誤魔化した。


「ふーん。まぁいいわ。てか最近ぼーっとしてること多いよ? 大丈夫?」

「あはは、大丈夫大丈夫。ちょっと寝不足なだけだよ」


 適当に取り繕う。

 彩奈はあの日以来、ほかの女子達とつるむことは無くなった。お互いにご飯を食べる相手がいなくなった僕たちは、昼休みになるとこうして屋上で一緒に過ごすようになっていた。ちなみに高宮さんたちはなんだかんだ仲直りしたようだが、彩奈曰く、「一人で惨めにならないように表面上で付き合ってるだけ」だそうだ。一度失った信頼は簡単には取り戻せない。当面の間は疑心暗鬼を抱えることになるだろう。

 

「セシルさんのこと、やっぱり心配?」

「……まぁね」

「……そっか」


 彩奈はしばし黙り込むと、やがて決心したように言った。


「確かめるしかないわね」

「え?」

「あの子がどうして学校に来ないのか、直接確かめるのよ」

「確かめるって、どうやって?」

「そりゃセシルさんの家に行くに決まってるでしょ」


 彩奈の提案に、僕は目が覚めた気分になった。薄々そうするべきだとは感じていたが、真実を知る事への恐怖が心に躊躇を生んでいたのだ。彼女は吸血鬼だ。人間とは異なる事情を抱えていて、そのせいで僕を残してどこかへ消えてしまったのではないか。それを知るのが怖くて、確定するのが怖くて、待っていればそのうち何事もなかったように登校してくるんじゃないかって、淡い期待に縋っていた。行動することから逃げていた。


「どうしてそこまでしてくれるの?」


 彩奈にとってセシルさんは恋のライバル。このまま戻ってこないほうが都合がいいはずだ。それなのにどうして……


「だって仮にこのままセシルさんがいなくなったとしても、智の心は捕らわれたままじゃない。それじゃ意味ないのよ。正々堂々勝たなくちゃけないの。それにね、私がこうやって智を好きって言えるのはあの子のおかげでもあるから、こう見えて感謝してるのよ」


 僕には女心なんてまだよく分からないけど、きっと彩奈は彩奈なりに通したいスジがあるのだろう。


「あと、あの子が戻ってこないとアンタずっと心ここにあらずじゃない」

「え、そんな表にでてた?」

「でてた。自分で気づけないほど重症ってこと」


 自分では普通にしてたつもりだったんだけどな……やはり幼馴染の目は誤魔化せないか。まったく、彩奈には世話になってばかりだ。僕のために高宮さんと対峙して、今度はセシルさんの実情まで確かめてくれようとしている。僕から返してあげられるものなど何一つ無いというのに。だからこれ以上、甘えるわけにはいかない。それに、これは僕の問題だ。


「決めた。セシルさんの家には僕だけで行ってくるよ」

「……そ。いんじゃない?」

「ありがとう彩奈。本当に君は最高の幼馴染だよ!」

「べつに嬉しくないっての、クソが」


 とは言いつつも、そむけた彩奈の顔は、頬が朱色に染まっていた。素直じゃないやつめ。言ったら殴られそうなので気付かないフリをしておいてあげよう。いやほら、ラブコメの主人公は鈍感なものですから(笑)

 あと一つ分かったことがある。彩奈は興奮したり恥ずかしがると口が悪くなるようだ。なるほど、つまり昔から僕に対しての当たりが辛辣だったのはすべて照れ隠しだったと考えられる。そう思うとなんか、クるものがある。可愛いというか愛らしいというか、萌える。そう、萌えだ。きっととこの萌えのいう言葉は、感覚Yを言語化した成功例の一つなのではないだろうか。

 

「腹立つ顔すんな」

「いたっ」


 彩奈にデコピンされた。でも許す。だって愛情の裏返しだから。なんかもうなんでも許せそう。やっぱり可愛いは正義である。


 なにはともあれ、やることは決まった。さっそく今日の放課後にセシルさん宅に伺ってみるとしよう。

 僕は腹を決め、よしと言って腰を上げる。なんだか離れ離れになった恋人を迎えに行くみたいでワクワクしてきたぞ? 

 やはりポジティブなのが一番だ。逆にこれがきっかけでセシルさんとの絆がより深まる可能性だってあるのだから。


「けど智に連絡も寄こさないとなると、もしかするとセシルさんは学校に来ないのではなくて、行けないのかもしれないわね」

「というと?」

「だってさ、セシルさんから智を遠ざけようとしない限り、連絡くらいするはずでしょ? 学校には連絡入ってるみたいだし。つまり身内の誰かが何かしらの理由でセシルさんから連絡手段を奪って監禁してる可能性が……って考えすぎか」


 深読みな気もするがありえない話ではない。彩奈は知らないが、セシルさんは吸血鬼。常識では考えられないような状況に陥っていてもおかしくない。だとすれば事態は想像以上に深刻で、僕もそれなりの覚悟をしていかなければならないだろう。

 もちろん芋ひくつもりはない。彩奈にもこれ以上情けない所は見せたくないしね。

 たとえ監禁されていたとしても救い出す覚悟だ。

 うおーあがってきたぁ! よし、帰ろう! 今日は仮病で早退してやるぞ! 呑気に授業なんて受けてられっかてんだ! こうしている間にもセシルさんは僕が来るのを待っているかもしれないのだから! 一週間たってるけど!

 

「こうしちゃいられない! 僕行ってくるよ!」

「え? いまから?」

「うん! まってておくれジュリエット! すぐに迎えに行くからね!」


 ぴゅーん! と擬音を立てて駈け出そうとする僕であったが、彩奈に裾をつかまれ止められる。


「待ちなさい。アンタセシルさんの家分かるの?」

「……あ」


 彩奈が呆れたようにため息をつく。

 そういえば知らなかった。いったん落ち着こう。心は熱く、思考はクールにだ。


「多分先生に聞いても教えてもらえないわよ? 個人情報だって言ってね」

「だよね。どうしよう……」


 後悔先に立たず。こんなことなら一度くらい家まで送っておくんだった。

 しかし、彩奈は自信に満ちた笑みを浮かべ言った。


「私に任せなさい」




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