22. 不滅のゲーム


 音を立てる事すら憚られるほどの緊張感。

 すでにクラス中の視線は、教室の片隅で向かい合う二人に集まっていた。

 

「さっきから聞いてればずいぶん好き勝って言ってくれんじゃん。アンタに鳳く……智の何が分かるっていうの?」

「はぁ? 彩奈なんか感じ違くない? どうしたの?」


 高宮さんの反応は当然だ。きっとここにいる誰もが同じことを思っているに違いない。あの学園のアイドル東城彩奈がこんなにも乱暴な口調で話すなんて、と。

 僕からすれば、こっちの方が自然なんだけどね。


「はっきり言わせて貰うとね、私、アンタらみたいなの大嫌いなんだよね」


 率直に、オブラートに包む気など微塵もない、正面からの拒絶。

 だからこそ、伝わる。それが本心からの言葉であると。

 高宮さんの顔が強張る。


「あっそ。で何? あーしに喧嘩売るつもり?」

「そう思いたければそれでいいよ。ただ一つ言わせてもらう。私の前で智を馬鹿にしたら許さないから」

「ちょっと待って。まさか彩奈、鳳のこと好きなの?」

「好きだよ。文句ある?」


 即答だった。彩奈はとうに腹はくくっているのか、一切動じることなく、高宮を睨み続けている。

 

 てか女の子に庇われてる僕情けなさすぎない? さっきとは別の意味で泣きそうなんですけど。


 高宮さんは小ばかにするように笑った。それは、新しいおもちゃを見つけたとでも言いたげな、ゆがんだ笑みだった。


「あはははははっ! 冗談でしょ? そんなやつのどこが良いの? 男見る目無さすぎだろ!」

「あ? テメェこそヤリモクの男ばっかひっかけてるくせに人のこと言えねぇだろうが」


 彩奈の口の悪さが加速する。

 もとより彩奈は孤独の世界の住人だ。この学園で積み上げてきたプロップスなど、彩奈にとっては無価値同然。失うものがない人間の強さ。群れることを前提とした陽キャにはない、本当の輝き、気高さが、そこにはあった。


「テメェさっき智に言ってたよな? 陰キャはリアルの人間関係に乏しいって。理想ばかりで努力してないって。確かにそうかもね。でもさ、それならお前らの人間関係は築くに値するもんなのかよ? 適当な相手と適当に群れてるだけじゃん。努力してそれならしない方がマシね」

「……っ」


 まくしたてるような彩奈の言葉に、高宮さんが唇を噛んだ。

 圧倒的な孤独観。彩奈にとって不必要な他者との繋がりは己の足を引っ張るだけなのだ。

 

「友達の多さとか、恋愛経験値とか、流行りとか人気とか、そんな上辺をステータスだと思ってる時点で浅いのよ。美化されたものほど本物の目には汚く映るって知らない? 陰キャだの陽キャだのほんとくだらない。バカが寄り集まってるだけのくせに偉そうなことほざくな。アンタ達より智の方がよっぽど自分を持ってるっつの」

「は? ダサい奴にダサいって言って何が悪いの? てかあーしらだって気が合う仲間としかつるまないし、僻みにしかきこえないんですけど」

「その気が合う仲間は陰でアンタの悪口言ってるけどね」


 彩奈の一言に、取り巻き達がビクっと狼狽えた。

 高宮さんが振り返ると、「いやっ」「ちがっ」「は? は? 意味わかんないしっ!」といった具合に体裁を取り繕う。だが、致命傷だ。彩奈はここにきて、とっておきの一手を持ってきた。僕は戦慄した。最初からこうするつもりだったのかと。彩奈は自分を立場を犠牲にして僕を庇いにきただけではなかったのだ。仮にこの場を凌いだとしても、今後高宮さんたちからの嫌味嫉みが絶えるわけではない。彩奈が損をして終わるだけ。


 ”不滅のゲーム”と呼ばれるチェス界の名局がある。

 そのゲームで白番のアンデルセンは、次々と信じられないようなサクリファイスを繰り返し、必要最低限のピースだけを残し、相手をチェックメイトへと追い込んだ。ゲームの最後はクイーンサクリファイスで幕を下ろす。

 

 もしかすると彩奈は、いつかこうなると分かっていたのかもしれない。

 僕のために、自分の積み上げたものを犠牲にして高宮さんグループを崩壊させる瞬間を……なんて、考えすぎか。


「アンタがフラれたのもアンタの彼氏にマチ子が悪口吹き込んだからだし」

「はぁ!? うそでしょマチ子!?」

「ちがっ! それは……っ」


 半熟三銃士の一人であるマチ子は思わぬ暴露に目を泳がせた。

 露骨に混乱が見て取れる。身に覚えがあるからこそ、はっきりと否定できないのだ。違うと言い逃れしようにも、彩奈はそれを許さないだろう。


「由美子もよく言ってるよね。ブスの癖に調子乗ってるって。あ、マチ子にも言ってたっけ」

「言ってないっ!!」

「言ったよ。私きいたもん。録音もしてあるし。流そうか?」

「やめて! あ」


 肯定したも同然だった。

 半熟三銃士の由美子は血の気が引いたように青ざめる。


「ね? わかったでしょ? あんたらは所詮上から目線で威張りたいだけなんだよ。そのために他人を下げて、相対的に自分を高く見せてるの。そんな奴が偉そうイケてるだのダサいだの決めつけて片腹痛いわ!」


 高宮さんは沈黙。教室内には過去一気まずい空気が流れていた。

 しかし彩奈は気にせず声を大にして言い放った。

 

「みんな、よく聞いて。セシルさんは浮気とか援交とか、そんなことするような人じゃないから。噂に惑わされて変な誤解しないように。何がリアルかフェイクかしっかりと見極めて判断すること、いいね?」


 この場の全員が訓練された兵隊のように一斉にうなずく。

 か…………かっけぇっ!!!!!!! 

 まるで王の誕生を目の当たりにしたような気分だった。



 パチ、パチ、パチ、パチ、



 どこからか手をたたく音が聞こえてきた。音のする方を見ると、川瀬くんがスカした笑みを作りながらスローなテンポで手拍子をしている。それは瞬く間に広がっていきやがて喝采へと――変わらなかった。

 川瀬くんは気まずそうに手をたたくのをやめた。僕は共感性羞恥に苛まれ、心中で願う。頼むからもう君は何もしないでくれ!


「まじきもい……しね……」


 高宮さんが気弱な捨て台詞を残して席へと戻っていく。

 

「高宮……」

「うっさい。話しかけんな」


 真由美とマチ子を乱暴にあしらい、不機嫌そうに席に着く。

 チャイムが鳴った。


「彩名……ありがとう、セシルさんのこと、庇ってくれて」

「別にいいわよ。それにセシルじゃなくてアンタを庇ったの。セシルを信用してるアンタを信用して言っただけ」


 それだけ言うと、彩奈は自分の席へと戻っていった。

 ヨシコ先生が入ってきてHRが始まる。



 こうして、半熟三銃士の絆は東城彩奈という一人の存在によって打ち砕かれたのであった。

 そしてこの日以降、彩奈が学園のアイドルと呼ばれることはなくなった。

 だが高宮さんとぶつかってもなお学園カースト最上位に君臨しつづける様は多くの畏怖と敬意の念を集め、その屈強なる精神を讃え新たにこう呼ばれはじめる。


 知ってか知らずか、あの名局を。


 ――不滅の女王、と。


 

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